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東北関東大地震、津波による福島原発の事故は、ついに危惧された放射能汚染を現実のものとしてしまった。野菜作物・牛乳の出荷停止は周辺農家・消費者を不安に陥れ、水道水の放射性物質検出は乳幼児を持つ母親の不安を募らせ、海水の汚染は漁業者の生活を奪い去ろうとしている。セシウムの検出は果たして今後、農地が使えるのか? 魚介類が食べれるのか? 政府や学者の「人体に影響はない」という説明が果たして真実なのか? 食の自給ができない国家はすでに国家ではない。
1963年以来の原子力政策を改めて糾弾する必要がある。広瀬隆氏や佐藤栄佐久前福島県知事の発言を聞けば今回の事故と危険はいわばありうべき必然の帰結とさえいえよう。
日本に原発は要らなかったのだ。ましてや核兵器に繋がる使用済み核燃料の再処理施設など作ってはならなかったのだ。ヒロシマ・ナガサキの悲劇をわれわれ日本国民は忘れていたのか? あの悲惨な経験を生かすことができなかったことを悔いざるをえない。
ヒロシマの原爆慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻みながら。
いまからでも遅くはない。日本から原発を無くし、核を無くさなければならない。
計画中の原発の中止はもとより、全国の原発を稼働中止すべきでなないだろうか。
電力需要を賄うためには原発が必要だという人がいる。本当にそうだろうか?
2008年の発電量と消費量の比率は概略次のようである。(エネルギー統計)
<発電>原発25%、火力60%、水力10%、その他5%
<消費>家庭用27%、業務用20%、製造業50%、非製造業1%、運輸2%
業務用って一体何だろう。それが今日、理解できた。福島原発に通電できたと政府・東電、マスコミがはしゃいでいる。業務用とは発電のために使う電力なのだと。
上記の統計数値は「原発で発電するためにほぼ同量に近い電力を使用している」ことを物語っている。つまり、危険極まりない原発は要らないのだ。
そうでなくても現実には余っているとの情報はすでに沢山流れている。
アメリカのために造った原発はもう要らない。
低酸素社会のためには水力や風力や太陽光や地熱や振動や潮流など自然エネルギーの技術を磨けばいいではないか? それこそ世界で一番の技術を。
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