http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/372.html
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≪日本の原発奴隷:「日本の企業は、原子力発電所の清掃の為に生活困窮者を募っている」EL MUNDO - 美浜の会、他≫
Roentgenium:これまでに何度か資料として紹介されてきたものですが、きっと未だに読んでいない人も多いと思うのでこの際転載しておきます。今後の補償問題・責任問題についても大変参考になる内容を含んでいます。
◆ ◆ ◆
≪調査報告:原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷 EL MUNDO - 美浜の会 2003年6月8日≫
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm
以下転載「」
「
(文:DAVID JIMENEZ 東京特派員)
日本の企業は、原子力発電所の清掃の為に生活困窮者を募っている。多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。
福島第1原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達の為の仕事がある。
松下さんが、東京公園で住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、2人の男が彼に近付き、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、48時間で戻って来られる。2日後、この破産した元重役と他10名のホームレスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登録された。
「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部の温度と湿気のせいで、労働者達は3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。放射線測定器は最大値を遥かに超えていた為、故障しているに違いないと彼らは考えた。1人、また1人と男達は顔を覆っていたマスクを外した。
「眼鏡のガラスが曇って視界が悪かったんだ。時間内に仕事を終えないと支払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは回想する。「仲間の1人が近付いて来て言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって」。
〔資料〕原発で働く人々 - よくわかる原子力 原子力教育を考える会
http://www.nuketext.org/roudousha.html
この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレス達に対して、黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。“仕事を受けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとってはこの警告は遅過ぎる。日本の原子力発電所における最も危険な仕事の為に、下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。
慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、更に何千人もが癌に罹っている。
■完全な秘密
原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の1つである。
いくつかの国内最大企業と、恐るべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人は殆どいない。やくざは電力会社の為に労働者を探し、選抜し、契約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。
樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。
樋口氏はカメラによって――彼は当レポートの写真の撮影者である――、藤田氏は彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして人材募集網に挑んでいる。彼らの意図は70年代に静かに始まり、原発がその操業の為に、生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキをかけることである。
「日本は近代化の進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるということも世界は知るべきなのです」と樋口氏は語る。日本は、第2次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって20世紀で最も目覚しい変革を遂げた。その変化は、かなりの電力需要を齎し、日本の国を世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事の為に別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近付かない、そこでの修理の仕事まで。
嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事を持ちかけられた。
「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせる為の労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。
彼は29歳で亡くなった。
原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレス達を騙している。発電所は、少なくとも毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、藤田教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると考える。
最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことは殆どない。原発は余剰労働力を当てにしている。
日本は12年間経済不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、1人当たり所得において、世界3大富裕国の1つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいものにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の1員となる。そうでない者はホームレスとなり、公園を彷徨い、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。
■“原発ジプシー”
原発で働くことを受け入れた労働者達は、“原発ジプシー”として知られるようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、更に酷い場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。
「貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。
日本の当局は、1人の人間が1年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100mSvの値を大きく超えている。
理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後「彼らの健康の為に」解雇し、再び彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が数日後、もしくは数カ月後、偽名で再び契約されている。そういうわけで、約10年間、雇用者の多くが許容値の何百倍もの放射線に曝されている説明がつくのである。
長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5年間働いた東電・福島第1原発で、汚染除去の作業を始める数分前に撮った写真である。
78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は契約されたホームレスの1人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。
「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかしこれらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は許容値を超える大量の放射線に曝されてきた為、歩行が困難となっている。
30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。恐らくそれ故、不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。東京の自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、東芝・・・・」。
■広島と長崎
企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずに済むシステムの中で、それは行われている。日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、殆ど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。
1945年8月6日、アメリカ合衆国はその時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、一瞬にして5万人の命が失なわれた。更に15万人が翌5年間に放射線が原因で亡くなった。数日後、長崎への第2の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにしたところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者1万人につき17人は“100%”癌で亡くなる可能性がある。更に多くが同じ運命を辿る“可能性が大いにあり”、更に数百人が癌にかかる可能性がある。
70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるを得ない。
「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議も出来ずに死に瀕しているだろうか。裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるのだろうか」。
政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることが出来る、と確認することで自己弁護をする。日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線に曝す仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
ホームレスは間違いなく、そのような仕事に就く覚悟が出来ている。原子炉の掃除や放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、1日で建築作業の日当の倍が支払われる。何れにせよ、建築作業には彼らの働き口は滅多に無い。大部分が、新しい職のお陰で、社会に復帰し更には家族のもとに帰ることを夢見る。一旦原発に入ると直ぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気付くのである。
多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近付くが、測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射線を浴びたことを知られ、他の労働者に替えられることを怖れて、ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。「放射線量が高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ」。斉藤さんはそう話す。彼は「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園のホームレスの1人である。
原発で働く訓練と知識が欠如している為、頻繁に事故が起きる。そのような事故は、従業員が適切な指導を受けていれば防げたであろう。「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もし或る日仕事から戻らなくても彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです」と樋口氏は言う。
一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証付きで患者を再び仕事に送り出す。絶望したホームレス達は、昼は或る原発で、夜は別の原発で働くようになる。原子炉内部で働く彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認められた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている。
この2年間、殆ど常に藤田、樋口両氏のお陰で、病人の中には説明を求め始めた者達もいる。それは抗議ではないが、多くの者にとっての選択肢である。村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病に罹った2人の原発奴隷は、雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、恐らく、殺すと脅された為に、それぞれの訴訟を取り下げざるを得なかった。
■毎日の輸血
大内 久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の1人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
労働省は、国内全ての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。
残りについては、最大25の違反が検出された。その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線に曝すことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。その時からも、ホームレスの募集は続いている。
松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の1つを覆っていたシュラウドを交換する為に1000人を募集したことを確認している。
福島原発での経験から3年後、松下さんは、「更に2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。2、3カ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから退廃的な病気の兆候が現れ始めた。「ゆっくりした死が待っているそうだ」と彼は言う。
※この新聞は、インタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。尚、原文では写真は全てカラーで掲載。(訳責:美浜の会)
」
◆ ◆ ◆
(2頁へ続く)
(1頁からの続き)
≪日本の原発被曝労働を告発、他 - 写真家 樋口健二の世界 2008年11月27日、1月5日≫
http://higuti.ti-da.net/c104603.html
以下転載「」
「
■日本の原発被曝労働を告発
「今も日常的に原発被曝労働者が生み出されている。原発の定期点検は数千人の労働者の人海戦術で行われている。原発の故障で漏水したら、労働者が放射能で汚染された水を雑巾で拭き取っているんだ。しかも、70年代は18基だった原発も今では50基を超えている。原発と関わった労働者はこれまで延べ130万人を超え、その4分の1は被曝者だ。癌や原因不明の病気とされて死亡した人が沢山いる。まして被曝の後遺症に苦しんでいる人は数え切れない。このように人間を潰す被曝労働が原発の最大の問題だ」と樋口氏は憤りを隠さない。
樋口氏が、原発の取材を始めたのは72年。74年4月15日に岩佐嘉寿幸さんが日本初の原発被曝裁判を起こしたのを機に本格的に取材を始めた。岩佐さんは一度原子炉内に入って作業をしただけで放射線障害に苦しめられ、働くことも出来なくなった。しかし電力会社も国も原発労働で被曝したことを一切認めない。この国の姿勢に氏は憤りを感じた。「この人との出会いが今に至るまで原発問題を追いかける原動力だ」。
そして77年、外部の人間としては初めて敦賀原発の原子炉棟内部を撮影した。「近代的な管制室でコンピューター制御される原発」、「原発はクリーン」、「第3の火」とマスコミで持て囃されている中、原子炉の炉心近くで作業する防護服・防護マスクに包まれた労働者の異様な姿を初めて社会的に明らかにした画期的な取材だった。原発内で働く労働者の実態を捉えた写真は今もこれしか無い。
原発被爆労働者を追う樋口氏の最初の仕事は1966年、29才の時の石油化学コンビナートの排煙が原因となった四日市公害の取材だった。
高度成長期で24時間操業のコンビナートの明かりが「100万ドルの夜景」と言われ持て囃されていたという。しかしその下で公害に苦しめられる被害者がいた。若き樋口氏は四日市に飛んだ。ところが、現地での最初の1年間は全くの取材拒否。「俺達の苦しさで飯を食っているんだろう」と相手にされなかった。
苦しくて何度も「やめよう」と思いつつ通い詰めていた或る日、とうとう被害者の方に喧嘩腰で氏は訴えた。「公害の実態を社会に知らせていきたい」、「この酷い現実を変えていく為には被害者で当事者のあなた方が声を上げていかないといけない」と。こうした苦労の甲斐あって、ついに彼らは心を開いてくれた。そして取材は順調に進んだと言う。
当時の体験が樋口氏の原点にある。だが当然、全く金にはならなかった。当時、取材費・生活費はバイトして稼いだと言う。
「何を取材にするにしても7、8年は飯が食えないという覚悟でやっていたし、僕らの世代は戦争の辛さを経験しているから耐えられた。しかし今だから言えるが、金がないもんだからテレビも買えない。子供が学校に行くとみんな“仮面ライダー”とかテレビの真似をしているのにうちの子だけ分からずにポカンとしていたそうだ。72年、四日市裁判の原告側全面勝訴で一区切りがつき、その年の10月に写真集を出した。この実績で仕事も来るようになり、やっと食えるようになった」。
「次に取材するのは何か」と考え、「四日市公害」は石油産業というエネルギーの最先端で起こったことなので、原子力に取り組むことにしたと言う。
「原子力も10年やれば一区切りつくと思っていたがこれはちょっと甘かった。国や電力会社は一貫して原発被曝労働者の存在を認めようとはしなかった。原子力推進の為には被曝労働者がいてもらっては困るんだ。当然、僕に対する権力側の潰しもかかってきた。『あいつの写真はデタラメだ』というような中傷もやられたし、無言電話もかかってきたよ。ただ、辛かったのはこういった圧力そのものよりもむしろ、その為に発表の場が出来なくて、多くの被害者の人達が社会に伝えることを期待して取材に応じてくれたのに、なかなか発表出来なかったことだった。でも、多くの人々に助けられてここまでやって来れた」。
■日本報道写真界の堕落の中で
樋口氏はこのように半生を振り返りつつ、日本の写真界に対して苦言を呈した。
「今の日本の写真界は僕らのように政府や企業を批判するものを時代遅れと言って馬鹿にする。豊かだからそれでいいじゃないか、と。だがどうだ。不況で日本社会は苦しんでいるじゃないか。写真がこの現実を表現出来ないでどうする。ところが今の『写真』と言えば、自分の家の中を写したり街角の人を写したりするものばかり。無論、そういうものが悪いとは言わない。問題は、社会的な題材は取り扱わないほうが無難だとしタブー視してしまうことだ。
写真界をこうなってしまったのは、80年に新潮社が発刊した写真週刊誌『フォーカス』が作り出した“スキャンダル報道”の興隆が大きい。それ以前は沢山いた僕のような報道写真家の多くが、そちらに流れていった。確かにスキャンダルは金になる。僕も悩んだ。だけど、社会を変革する為には社会を見つめていかねばならないと思い、絶対にそうした道に行かないことにした。結局、あっちに行った連中は殆ど潰れてしまったけれど」。
更にマスコミに対しても、
「80年代以降、腐敗が著しい。70年代は大手の『朝日グラフ』や『毎日グラフ』も私の写真を取り上げたが、今ではそういった媒体そのものが無くなってしまった。大手マスコミは広告主の電力会社や原発関連会社の圧力に屈し、原発被曝労働者問題を全く取り上げなくなった。特に『朝日』は酷い。そもそも原発推進姿勢の報道を続けてきたが、今回の私の受賞の件では記者が取材に来たのに、後でこの賞自体に難癖を付けて掲載しないと言ってきたよ」と手厳しい。
そう言い終わると、「実は、私も美しいものを撮ることは嫌いじゃない。発表してはいないが、富士山や故郷の近くの諏訪湖の風景、日本全国の民家の写真など何冊も本に出来るぐらい撮っている」と笑いながら打ち明けた。
「しかし美しいものを撮ると言っても、今の日本では自然環境は破壊され、公害や被曝労働で人間が潰されている。つまり今の社会では美しいと感じる主体である人間が壊されている。こういった中でただ『美しいものを撮りましょう』とだけ言ってはられない。私はこの現実を変革する為に写真を撮り続けている。普通だったら13冊も本を出せばこの世界ではメジャーだが、私はずっと異端視され来た。しかし、私は「売れない写真家」であることに誇りを持っている。もう60才も過ぎたが、この賞を貰ったことを励みにして、これからも原発被曝労働を追いかけていこうと思う」。
樋口氏はそう抱負を語った。
■岩佐嘉寿幸さんの死に思う
「被曝労働」という言葉を知っていますか?原子力発電所は科学の最先端でコンピュータを前に働いているクリーンなイメージがありますが、実際は日常的に被曝者を生み出し、それなしには1日たりとも動かない仕組みになっています。原発の保全に労働者の手は欠かせません。原発は定期検査や様々な事故後の処理に、被曝労働の従事者をどっと増やします。その多くは釜ヶ崎や山谷でかき集められた日雇労働者達です。被曝労働で身体を壊し生命を落としても訴える手段を持たない、社会の底辺の労働者達です。
また原発の出発点となるのは燃料となるウランの採掘ですが、ここではオーストラリアのアボリジニーやカナダ・アメリカのネイティヴ・アメリカン(アメリカ先住民)が労働者として常に被曝させられています。電気はこうやって沢山の生命を食い物にすることで生産されています。社会的弱者の生贄なしには豊かな生活が維持出来ない、それが日本の社会なのです(上手く言えないのですが、この「社会的弱者」という言葉を用いるのは抵抗があります)。
この被曝労働の理不尽を初めて告発したのが、10月11日に亡くなられた岩佐嘉寿幸さんでした。「岩佐訴訟」で知られる、日本初の原発での被曝労働を訴えた裁判の元原告です。享年77歳。その半生はまさに国策である原子力行政との闘いでした。
岩佐嘉寿幸さん(当時56歳) 樋口健二写真集『原発』(オリジン出版センター)より
岩佐嘉寿幸さんは1971年、敦賀原発1号炉の格納容器内の労働で被曝しました。孫請け会社の社員として大阪から遠い敦賀の現場に向かい、突然「予定と違うが格納容器内で作業に当たってくれ」と言われ、パイプ修理を渋々こなしたのです。格納容器内の仕事と聞いて岩佐さんはかなり躊躇し、「事故があってからでは遅いので工事は中止させてくれ」と申し入れたそうですが、「絶対安全」「工期に遅れるので困る」と説得され、遠方の現場ということもあって引き受けたそうです。まさにこの日の数時間の労働によって、岩佐さんの人生は狂わされたのです。
8日後、岩佐さんは発病しました。膝が赤く水膨れがブツブツ出来、浮腫を併発、倦怠感や寝汗や高血圧症などが伴って、仕事も続けられなくなりました。膝の症状は典型的な放射線障害で、倦怠感などはいわゆる「原爆ブラブラ病」と言われるものです。阪大病院はこれを「放射線皮膚炎」と診断しました。しかし国と日本原電は、決して被曝を認めませんでした。阪大病院が「放射性皮膚炎」と診断したにも拘わらずです。御用学者を総動員し、まさに「先に結論ありき」の手法で被曝との因果関係を認めませんでした。
紆余曲折があって、1974年に裁判で訴え解決することを余儀なくされます。
弁護士先生曰く、「内容では完全に勝利していた」そうです。誰の目にも被曝が原因であることは明らかで、被告・国の主張は主張の名に価しないほど酷いものでした。それでも日本の司法は明らかな事実でさえ目をつぶり、事実を捩じ曲げるような所です。1審、2審とも岩佐さんの訴えを退け、91年、最高裁も上告を棄却しました。
私は岩佐さんとは直接面識がありません。フォト・ジャーナリストの樋口健二さんの写真展を何回か主催したことから、樋口さんの話と書籍を通じて、岩佐さんには想いを寄せていました。樋口健二さんは原発問題を生涯の課題として取り組んでおられますが、その樋口さんの原発問題の第1歩が、岩佐訴訟だったのです。
私が反原発運動に係わりだしたのは大学生の時、関西では和歌山県の日高・日置川の原発新規立地が問題になっていた時期です。チェルノブイリ原発事故の後で、全国的にも反原発運動が最も盛り上がっていた時期です(当時は「脱原発」という言葉が流行っていました)。当時から私は樋口健二氏のファンでしたし、岩佐さんのことも知っていましたが、今思えば想いが足りなかったような気もします。
当時は「日本でチェルノブイリ級の事故が起こったら・・・・」という恐怖心でいっぱいでした(今も恐怖心でいっぱいですが)。「被曝労働」という4文字が私の中では観念としてのみ存在し、悲惨な被曝労働の実態を血肉化出来なかったのだと思います。今でも血肉化しているとは言えません。それでも、就職して自分で生活するようになり、結婚して所帯を持ち、日雇なり現場仕事なりが身近に存在するようになってから、急に被曝労働がリアリティを持って目前に現れてきたのです。
いろいろな経緯があって反原発運動と一定の距離を置くようになり、それでも原発問題として自分の心に最後に残ったのは、この被曝労働の問題でした。もし絶対に事故を起こさない「絶対安全原発」が出来たとしても、絶対に被曝労働はなくならない。それも既に述べたように、先住民や日雇労働者、ホームレスなど、社会的弱者を犠牲にするのです。
被曝する労働者にしてみれば、数年後生命を落とすかも知れなくても、明日の日銭が大事。今はそれがよく分かります。私が同じ立場ならやはりあの放射能まみれの現場に行くと思います。原発とは人の弱みにつけ込んだ、汚い、限りなく卑怯な存在です。
岩佐さんは頑固な人だったと聞きます。
〔中略〕
樋口健二さんも『売れない写真家になるには』の中でこう書いておられます。 初めのうちは「この人は他人の言うことを聞かない人だ」と思ったんですが、裁判に訴えて実質上、国家と闘っているんですからね。自己中心的だとか、我儘だとかいろいろと批判を浴びていましたが、岩佐さんくらい個性が強くなくては、あちこち振りまわされて潰されてしまうでしょうね。国家というのは最高、最大の力を持っているわけですから、一度政策として決めたものはテコでも動かさない。これと正面切って闘うのに、他人のことをはいはい聞いていたら、どうしようもないですよ。「オレは嫌だ」という原点を貫き通して闘うということが非常に大事なことだと、岩佐さんから学ばせてもらいましたね。
現在は、94年に労災認定された嶋橋さんを始めとして数人の被曝労働者が労災認定されています。認定されているのは「白血病で死亡した人」だけで、何十万と言われる被曝者全体から見れば本当にごく僅かです。しかし、それも岩佐さんの闘志に満ちた告発があったからこそ、その素地が生まれたのだと思います(勿論、労災認定を闘い取る運動があったことは言うまでもありません)。或いは今、岩佐訴訟が闘われていたなら勝利したかも知れません。岩佐訴訟が闘われていた時代はチェルノブイリ事故の起こる前でした。美浜事故も、もんじゅ事故も、東海村爆発事故も、東海村JCO事故もありませんでした。岩佐さんの闘いは4半世紀も先駆けていたのです。
■九十九里の「岩佐基金」の土屋さんという方の記事より抜粋
この10月11日に岩佐嘉寿幸さんが77歳で亡くなりました。岩佐さんは1971年に日本原子力発電・敦賀発電所の原子炉格納容器内で作業した際に被曝し、1週間後に右足に水ぶくれが出来、体の具合も悪くなりました。73年に大阪大学病院で診断を受け、検査の結果、翌年「放射性皮膚炎」との診断書が出されました(診断書を書いた若手の医師は飛ばされました)。
岩佐さんは「現場で働く者が放射能を浴びるような発電はおかしい」と74年に日本で最初に原発被爆労働の裁判を起こしました。今でこそ原発の危険さ、情報の独占と誤魔化しの非民主性が少しずつ明らかになってきましたが、当時は第1次オイルショックの後で、日本中が「原発が日本のエネルギー問題を救う」という風潮で、岩佐さんは「お上に逆らい時代の進歩に反する者」と見られて文字どおり「孤独な闘い」でした(今は原発に批判的な朝日新聞でさえ推進側の資料のみを上げて、被曝の事実はないと勝手に決めつけ、「気のせいだ」という記事を書いていました。
そして、岩佐原発被爆訴訟は原子力産業側からの「科学的権威者」を使っての嘘、誤魔化しと様々な妨害工作(家族への脅しを含む)の連続でした。裁判官の多くはどちらの内容もよく分からないと、阪大助手の科学的な事実よりも東大教授の言い分の方を採るのです。結局、地裁、高裁と敗訴し、91年に最高裁で上告を棄却され、岩佐さんの裁判は終わりましたが、岩佐さんはそれからも反原発、反戦争に積極的に関わってきました。
JCOの事故で2人が死亡し、「原発事故による最初の犠牲者」と新聞などにありましたが、急性の死亡でない原発作業員の被爆・死亡は数え切れません。体がだるくて、やる気が起きてこない「原発ぶらぶら病」は共通の症状です。原発は事故が起こって初めて人間に被害が及ぶのではありません。平常運転を続ける原発であっても、労働者は多かれ少なかれ被曝しています。
原発被爆労働の問題を訴え続け、自らも原発の中に入った写真家・樋口健二さんは言います。「原発から生み出される被曝労働者の存在は闇に消され、社会問題にもならない。原発で働いた下請け労働者は延べ数十万人を超え、そのうち3割以上が被曝し、このうち癌や白血病で死んだ人は数百人を超えるだろう」。
被曝の影響でしょう、岩佐さんは網膜剥離、白内障の手術を何回も受け、また気管支炎や心臓も患いました。骨も極端に脆くなり、元々体が丈夫なのに何度も骨折しました。亡くなる前の岩佐さんは複数の癌に侵されていたようでした。
岩佐さんは暴力団の脅しにも屈せず筋を通したので、家族が分裂してしまいました。会社とヤクザに脅されて、示談に応じた被曝労働者は沢山いますし、本人の居ない時に家族が脅されたり丸め込まれて示談した例も数え切れません。日本の企業はヤクザの使い方が本当に巧みですが、これでは総会屋にお金がかかるわけだ。
17年間の裁判で岩佐さんは多大な時間、精神的な苦痛を被り、また、金銭的に大変で、蓄えは全て消えました。「筋を通した岩佐さんを、精神的にも金銭的にも孤立させることは絶対にしては
ならない。そうなれば岩佐さんの御苦労は水の泡になり、非人間的なことに異議を唱える人が次からは出て来られなくなる」と思い、私達は岩佐さんの御苦労に感謝の気持ちを伝えるとともに、物心ともに支えようと、地域の仲間で「岩佐基金」を作り、大したことは出来ませんでしたが、支援してきました。
私達が岩佐さんのことを知ったのは、フォト・ジャーナリスト樋口健二さんの写真展と講演会でした。多くの下請けの労働者(その多くは過疎地の農民・漁民や被差別部落の人達など)が原子力発電所の内部で被曝している非人間的な現状・・・・。「暑くて苦しくてよ、マスクなんかしてられないよ」と放射能をたらふく吸い込んで被曝し、働けなくなる原発労働者・・・・。法律で定められている「放射能管理手帳」は親方などが持って作業員には渡さないので、実際の作業員それがあることさえ知りません。だから、補償なんて出ません。地裁、高裁、最高裁と岩佐さんは敗訴しましたが、最大の原因は「被曝を記録した証明がなかったこと」でした。原発の中で作業させながら、会社は法律で決められた「手帳」さえ渡さなかったのです。
他方、原子力会社の社員は原発現地へは行きたがらず、下請けの労働者に危険な仕事をを押しつけ、また労組も原発は「クリーン」で「安全だ」と開き直る。原発を取りまく問題が如何に日本社会の構造的問題にあることを考えさせられました。
原発内の労働は非常に危険なので、今は下請け社員も嫌がります。電力会社は日当7万円を支払いますが、作業員(多くは日雇い)が手にするのは1万円。中間にいる企業や手配師、親方などがピンハネするからです。ヤクザの資金源でしょう。
樋口健二さんの話によると、日本原子力発電・敦賀原発<7万円・支払い>→元請け(日立プラントなど)→孫請け(東京・西牧工業など) →ひ孫請け(下関・井上工業など)→親方・人出し業(北九州・塩見設備など)→原発労働者<1万円・受け取り>
原発は近代科学技術の結晶で、あたかもコンピュータのみで動いているかのような錯覚を私達に与えますが、コンピュータ・ルームは電力会社の社員が働く清潔で安全な場所です。原発は、定期点検や事故・故障の時に、原発の中でモップと雑巾で放射性物質の拭き取り、放射能ヘドロの掻い出し、ひび割れした配管の補修などの作業を行う多くの労働者がいなければ動きません。原発はハイテクの固まりに見えますが、モップと雑巾の仕事がなくては動きません。定期検査や事故・故障時には1基の原発で1日1000人以上の労働者が働いています。
「岩佐原発訴訟」はまともな事実究明なしに最高裁でも退けられました。その過程で、原発での労働者被曝の実態とズサンな管理が法廷で明らかになり、原発関連産業の労働組合も、会社と被曝を減らす労使協定を結ぶようになり、また、少なからぬ人々が原発での労働をやめて、被曝を免れています。
91年には、31才で白血病で死亡した原発労働者が初めて労災として認定され、95年には、29才で白血病で死亡した嶋橋伸之さんと、闘病中の38才の原発労働者の労災が認定されました。こうした認定も「岩佐原発訴訟」抜きにはあり得なかったでしょう。便利な電気の裏側で傷つき死んでゆく「原発被爆労働者」のことは本当に知られていません。真っ当な社会を望んで、困難な時代に声を上げ、事態の悪化を少しでも防いだ岩佐さんへ感謝し、岩佐さんの志を受け継いで、少しでも真っ当な社会にしてゆきたいと思います。
」
◆ ◆ ◆
(3頁へ続く)
(2頁からの続き)
≪樋口健二氏講演 「ヒバク〜放射能の恐怖」(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センター) より抜粋≫
http://3tarou.blogspot.com/
以下転載「」 ※略した部分などは原文を参照
「
■巨大原子力産業がマスコミをコントロールしている
私は30数年間、被曝労働だけを追ってきました。原発の問題というのは様々ありますね。「もんじゅ」を始め、JCOの臨界事故や、核廃棄物問題とか、地震まで含めると様々ありますけれども、私にとって労働者の被曝問題はどうにも避けて通れませんでした。それというのも、僕の被曝問題の原点は、この大阪なんですよ、皆さん。
もう、御存知かと思いますが、2001年10月10日に亡くなられた岩佐嘉寿幸さんという方が、我が国初の原発被曝裁判を起こした方です。裁判は1974年4月15日から始まりました。岩佐さんが実際に被曝したのは1971年5月27日、敦賀原発でした。僅か2時間半で、右側の膝(ひざ)に腫瘍が出来る放射線被曝を受けました。この岩佐さんの訴えに対して、国も原発関係者も、更に東大の教授まで出てきて、被曝が原因ではないという政治判断を下していった、凄い時代がありました。
時代を振り返ると70年代というのは、高度経済成長に向けて日本がまっしぐらな時です。この時はやっぱり原発というのは説得力があったんですよね。エネルギーはいくらあっても必要な時だったんです。でも今はどこも工場をぶっ壊してるのに、どうして原発が必要なんですか?日本に原発なんか1つも無くていいんです。
今、物を作っているのは中国や東南アジアですよ。或いはトヨタなんかみんなアメリカで作ってますよ。日本では物は作れません。何故作れないかと言うと労働力が高いからですよね。人件費が安いところにみんな工場を持って行ってるから電力なんて要らないんですよ。
しかもこの国は地震大国なのにビルをバカバカ建ててるでしょう。ここ大阪もそうだけど、東京なんか酷いもんじゃないですか。ニューヨークのマンハッタン以上ですよ。これを建てたのにはね、理由があるんですよ。それは電気を使う為ですよ。日本人は僕も含めてみんな馬鹿なことやってますよね。だから、本当はもう電気は要らないんですよ。それよりも労働者を殺すことをやめましょうと、今日は訴えに来ました。
大阪でも沢山の労働者が原発を渡り歩いています。本当に凄まじいもんです。僕の集めた資料だって凄いもんですよ。今日はちょっとしか持ってこなかったんですが、資料を見ると凄まじいことが分かりますよ。
原発は全国の労働者を必要としていますから。何百万という人間が原発には必要なんですから。この話をしないから、みんな原発はコンピュータで動いているという認識を持ってしまったんですよ。それはマスコミがそのように報じたから。僕に言わせると、一番悪かったのはジャーナリズムです。今日はジャーナリストの方はいらっしゃいませんか。何故こんなことをしたんでしょう?真実を伝えるのがジャーナリズムですよ。僕はその真実を伝える為に30数年かかっています。
日本のマスコミが伝えない理由は簡単なんですよ。日本のジャーナリズムは、NHKも含め全部、国や企業から金を貰っているんですよね。だから本当のことを報道出来ないんですよ。皆さんの視聴率の影響なんて僅かなもんですよ。みんな原発から金を貰ってるんですよね。巨大原子力産業です。
ところで皆さん、原発をどのように思っておられましたか?原発というのは電力会社がやっていると思っていたでしょう?電力会社が電気を作るのは当たり前だと思っていらっしゃるでしょう。ところが現実はそうじゃないんですよね。三井グループ、三菱グループ、住友グループ、この3大財閥が、原子力を根底から支えているんです。
これじゃあ、敵いませんよね。ジャーナリズムなんか簡単に抑えて来れたわけですよね。その上に東京原子力グループなど、日本には原子力グループが5つあって、日本の政治を根底から支えているんですからちょっとやそっとじゃ敵いませんよ。だから、30年経とうが、40年経とうが原子力が止まらなかったのはそういうことなんですよ。
■40万人もの労働者が被曝した
〔略〕
さて、日本も明治維新という時には、やっぱり若い人達が闘ったんですよね。爺様達じゃないんですよね。そして、外国に追いつけ追い越せというのは良かったんだけど、どこかが間違っていたんですよね。人間教育をもっとしなくちゃいけなかったんだけど、金儲けばっかり勉強してしまったんですよ。ここが間違いだったんです。
先ず、近代の幕開けは、欧米に追いつけ追い越せだったんですよね。でも欧米はとんでもなく違ってたんですよね、ビルだらけだったんだから。トンネルは掘ってるし、列車は走ってるし。で、この時代の日本と言えば、みんな草鞋を履いて歩いてたんだから大変ですよね。一刻も早く道路を造れ、トンネルを掘れとなったんですよね。で、何より欧米列強に追いつくには鉄が必要だっていうことになったんですよね。全てはここから始まったんですよ。
それで、石炭が日本にもあるだろうということで掘ってみるとあったんですよね。筑豊地帯、宇部炭鉱、北海道と。ここで掘りまくっていったんですよね。これが近代の幕開けですよ。ここで、財閥が形成されたんですよ。三井炭鉱、三菱炭鉱、みんなそうだったでしょう。これ以外にもコンツェルンがどんどん出てきて、明治政府が力をつけて、それで戦争やろう、戦争やろう、こんな小さい国じゃダメだ、みんな奪ってしまえ、みたいになった。みんな鉄から始まったことじゃないですか。先ずは、石炭で財閥が形成されたわけです。燃える石。鉄を溶かす為には単なる石炭では駄目だった。これをコークスにして、鉄を溶かしたんですよ。そして軍艦を造り、戦車を造り、鉄砲玉をどんどん造って、軽薄にも戦争をやっちゃうんですよね、この国は。
日清、日露なんて戦争してね、勝たなきゃよかったものを勝っちゃったんだからね。ここでも間違いが起きたんですよね。他人の国に行って戦争したくせに今何を言ってると思いますか?右翼文化人から始まって「あれは正しい戦争だった」なんて言ってるんです。中国や韓国に「お前達が悪いんじゃないか」って言ってる。どうなってるんでしょうね。世の中恐ろしいですね、嘘も百回言えば本当になっちゃうんですよね。昔からそういうこともありますからね。日本はとんでもない方向に動いてます。原発も同じです。
石炭からいよいよ60年代に入りますと、石油ですよ。これがどんどん出てきたんですよね。ここで切り替わるんですが、みんな利権が付きまとうんですよ。それがコンビナート列島。さて、何故私がこんなことを始めたのか、一緒に話をさせてください。
私は四日市公害からこの矛盾した日本の現実に飛び込まざるを得なかったんです。1966年のことです。
石油のお陰で日本は豊かになってきました。豊かになったとはいっても、実は豊かでも何でもないじゃないですか。あれは何だったんだろうって。夢と幻だったんですよね、実は。そして人間性をみんなどこかに置いてきちゃった。
今の子供の姿を見れば分かりますね。今、日本列島ではどうなってると思いますか?日常的に人を殺すなんて僕らの世代じゃあり得ないことですよ。親が子を、子が親を、孫まで殺してしまう。想像がつかない世界に来ていますね。日本人は何かを置いてきちゃった。つまり人間性を置いてきちゃった。これは全てに、いろんなところに波及してますよ。教育から何まで。原発がその象徴なんですよ。どこかに人間性を置き去りにしたまま大儲けした。持ったことのない金が日本中に溢れ出たんじゃないですか。それで終にバブル崩壊まで行ってしまったんですね。
1966年のことですよ、原子力に切り替わっていくのが。1966年7月25日のことです、東海原発第1号炉に火が入ったのが。
この時のマスコミは恥ずかしいよね、私もマスコミの一員として。新聞はどんなことを書いてると思います?「次代を担う」とかね、「安全でクリーン」だとか、みんな書きまくってたんだよね。その裏で被曝は直ぐに始まってるんですよね。でも、そんなことは1つも報道しようとはしない。今もしません。何にもしません。やってないから困るんですよね。国民が知らないだけのことで。僕に言わせれば、原発の最大のアキレス腱は被曝労働者ですよ。
今、40万人の人が被曝してるんですよ。これを放ったらかしにしている国民も含めて、この国は何だろう?これで文明国家と言えるのかと、毎日つくづく自問自答してますよ、自分も含めてね。じゃあ、せめて自分は写真を撮り、この苦しみを伝えることしか出来ないけれどもやっていこうと。そのくらいの能力しかないから。そうやって、やってきたら30年も経ってしまった。でも何1つ変わりはしない。悲しいけれども変わらない。でも、やり続けたことで、こうやって皆さんとお会い出来た。これは大きい収穫ですね。
■第5福竜丸以外にも1000隻近く被曝
最初の頃、被曝労働の話をしたら、総評の連中、今の連合ですが、「何だそりゃ」って言ってましたよ。連合は駄目ですよ。原発をやれと言ってるんですから。労働者が今や労働者を守らないとは何なんでしょう。許し難いですね。
さて、話を戻しますと、今、原発は53基あります。1995年時点で53基です。僕は写真学校や、ジャーナリストの学校で学生達に教えるんですが、学生に原発はいくつあるかと訊くと、大概は15基か、多くて25基くらいかなと返事が返ってくるんです。「バカ、53基あるんだって」言うと、「え、そんなにあるんですか」って言うから、「そんなにあるんですかってもんじゃない、日本中埋め尽くしてるんだ」って言うと、学生達はびっくりしてますね。そう、無関心なんですよね。この無関心が一番の敵なんですね。
さて、原子力は「平和利用」、「安全」で「クリーン」というこの安全神話を誰が作ったんだと言えば、マスコミが作ったんですよ。コンピュータ・ルームだけをテレビは映してたんですよね。
確かにコンピューター・ルームには被曝労働者なんていませんよ。エリートが座って壁を見てるだけですよ。これだけを写したら現代の科学の粋を集めた結晶ですよ。ところが、この向こう側に労働者が大量に放り込まれてるんですよね。このことについては、もう少し後から話しますね。
さて、原子力が今このように広がって、次にプルトニウム社会を迎えたんですね。「もんじゅ」(高速増殖炉)がナトリウム火災事故を起こしてしばらく止まってたんですが、先日の最高裁で運転再開が決まりましたね。何を考えてるんですかね?原子力はやめなきゃならない時代が来てるのに、「もんじゅ」は良い、やれやれなんて言って。政治の世界も、司法の世界も何も考えてない。つくづくそう思います。
1966年から日本の社会ががっちり出来てしまったんですよ。大切なのは経済なんですよね。エネルギーでも何でもない。原発はただのエネルギー産業ですよ。この原子力の時代が日本では長過ぎる。外国ではもう原子力はやめましょうと、殆どの国がやめてるじゃないですか。ドイツなんか凄いですよ、あっさり原発をやめたんですから〔ドイツはエコカーの概念も日本とは違う〕。そのドイツの人達が私に賞をくれたんですよ。国内と外国で一生懸命、被曝問題をやってるからということで。なのに日本では無視してるんですから、どうにもなりませんね。
さて、原発ですが、電力会社の言い分では原発を改良したんですって。電力会社に行って話しを聞いたら、「改良しました」って言うんだから。つまり、原発は最初、アメリカから輸入されたんですよ。何でこんなもの輸入したと思いますか?誰がこんなものを持ってきたんでしょう?
一番先に、原子力で市民権を得た男がいたでしょう?かつての読売新聞の社主ですよ。正力松太郎〔CIA暗号名:PODAM〕。あれはA級戦犯ですよ。戦後、追放されてたんですよ。それで、何とか自分の市民権を得たいと考えたんですよ。で、何を一番最初に考えたと思います?野球ですよ。戦後、アメリカからシールズっていう2軍の球団を連れてきたんですよ。みんな喜びましたよね。私もよく憶えてるんですが。そうやってアメリカの野球を日本に紹介した。これで名を挙げたんだよね。
それともう1つ、原発を持ってきたんですよ、あの男は。これで完全に市民権を得たんですよ。これで公職追放が解けたから、偉ぶり始めたんですよね。これに田中角栄とか中曽根とか、首相になるような連中がついてくるんですよね。
アメリカに2大原子力産業があることを皆さんご存知でしょう。ゼネラル・エレクトリック(GE)とウェスチング・ハウス。それぞれが沸騰水型軽水炉と加圧水型軽水炉を作った。ちなみに関西電力は加圧水型ですね。ゼネラルはモルガン財閥〔現在はロックフェラー系〕、ウェスチングはロックフェラー財閥の傘下なんですよ。電力会社が原発を動かしてるわけじゃない。どこの国でも財閥がやってるんですよ。
〔資料〕20世紀メディア研究所・特別研究会−CIAと緒方竹虎(PDF、全26頁)←公開された米国公文書、日本人ファイルに登場するCIA暗号名一覧は、6〜8頁を参照。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/0907OGATA.pdf
〔資料〕またまたお勧めの新書 - ライジング・サン(甦る日本) 2009年9月6日
http://ameblo.jp/kriubist/entry-10336927829.html
ところで、何でこんなもの造ったと思いますか?原発っていうのはつまり核実験ですよ。アメリカは太平洋で核実験を130回以上やってるでしょ。南太平洋なんかで。それで、国際世論が、核実験をやめろと言ったんですよね。
その一番の問題が第5福竜丸ですよ。報道されたのはあの1隻だけだったでしょ。ところが、実際は1000隻近くの被曝船があったんですよね。皆さん御存知でしたか?その被曝マグロは日本に持ってきて全部埋めたんですよ。知らなかったでしょう。みんなアメリカの力で抑えたんですよね。でも、読売の23歳の若い記者が焼津でスクープしたんですよね。そこから大問題になって、手がつけられなくなったから、後は全部抑えて隠したんですよ。
そこで、この核を何とかしなくてはいけないということで出てきたのが、原発なんですよ。原発は核兵器から生まれたんですよね。核兵器とは兄弟ですよ。
日本では沸騰水型をゼネラル・エレクトリック(GE)から、三井商事が持ち込んで、三井グループのトップ企業である東芝と、東京原子力グループに日立が入ってるんですが、ここが沸騰水型のプラントをそれぞれ日本国内で造った。これに日本原電、東京電力、東北電力、中部電力、中国電力、北陸電力が系列になってますね。
ウェスチング・ハウスの加圧水型は、三菱商事が持ち込んでいた。で、三菱重工が神戸で本体を造ってるんですよ。そしてプラントを持ち、原発をつくり、美浜原発、大飯原発、高浜原発を各地で建設した。悪の権化みたいな会社ですね。四国電力は、伊方原発、九州電力は川内原発、玄海原発、北海道電力が泊原発、その上に、動燃の「ふげん」、「常陽」、「もんじゅ」。
凄いですね、原子力産業というのは。これでジャーナリズムを抑えているだけのことなんですよ。被曝労働者が少ないからじゃないんですよ。一番人間を殺してるから、これを本気で報道されたら原発は止まりますよ、本当に。
日本のマスコミは凄いんですから。テレビを見てくださいよ。全国ネットですよ。朝日、毎日放送、産経グループ、読売、みんな全国ネットのメディアでしょ。これにラジオ、その上にみんな出版部門を持ってるでしょう。それで新聞5大紙なんて言うんですよ。
でも内容なんて何もないですよ。小さくったって真実伝える方が良いんですけどね。更に地方紙があって、機関紙があって、例えば日本共産党なんか650万部って最大部数出してますよね。でも、ここが困るんですよね。民主主義と言いながら原発を認めてしまってるんですから〔註:問題もある党ではあるけれども、日本共産党が原発事故の危険を訴えてきたことは少なくとも評価すべき〕。
さて、まさに原発は輸入から始まって、今や原発は全て国産原発になった。国産になったから大変なんですよね。輸入しているうちに止めればよかった。でも、その頃は、みんな大したことないと思ってたんですよね。平和利用だと思ってたから。平和利用じゃないと言ったのは僅かしかいなかった。その頃、僕なんか何と言われてたか。「異端なカメラマン」なんて言われてたんですよ。異端だって。真実を追究してたのに。
■16歳の少年も原発で働いていた
さて、ついでだから、労働形態も知っておいてください。この前近代的な労働形態を。現代科学の粋を集めた原発で、如何に差別が酷いかということを知ってほしいんです。
先ず、原発というのは電力会社、その下に元請けがあって、これが日本の経済を根底から支えている東芝であり、日立であり、三菱重工、住友です。これが労働組合を作ったら連合になる。連合は原発を造れと言うんです。「原発をやめろなんてとんでもない、我々の生活はどうなるんだ」と言うんです。
日立の労働組合の委員長に会ったら驚きましたね。どこの会社の社長かと思いましたよ。「これからは原子力の時代だ」と平気で言う。「何を言ってるんだバカ野郎!」って思いましたよ。労働組合の委員長がそんなこと言ってるんですからね。組合が人を救うわけがない。
原発労働者の日当も言っておきますね。約7万円です。今でも。7万円というのは原発が労働者1人当たりに払う額です。それをピンはねしてみんなで食い物にしてるんです。7万円とだけ聞くと、7万円も貰ってるのかとみんな言うんですよ。ここで但し書きを付けないといけない。「そんなに貰ってるならいいじゃないか」という人がいたんですから、東京で。「7万円なら仕方ないじゃないですか」って。
でも、このお金は原発から出るだけのこと。原発に入るって言っても、ただ入るだけじゃないですから。いろんな道具を持って入る。それでいろんなとこを修理する。それが300カウントを越えるとみんな廃棄処分してしまう。これは大変ですよ。1日に道具を山ほど捨てなくちゃならない。その代金もみんな7万円に含まれている。
元請けから下請けがありますね。ここから下が貧しい労働者です。元請けにだけ労働組合があるだけです。これが連合。連合は、元請けの人達は出来るだけ原発に入れませんと言ってます。危険なところには入れませんと。日立の労働組合の鈴木という委員長が言ったんだから間違いない。何のことはない。我々は入らないけれども、下の連中は入れと言ってるんです。「お前達は被曝要員だから、死んでもらいましょう」と言ってるようなもんですよ。
下請けがあり、孫請けがあり、ひ孫請けがあり、人出し業がある。この大阪にも人出し業の親方が沢山います。親方が原発に労働者を送れば、労働者1人につき3万円が下りてきます。これを親方が2万円ピンはねするんです。労働者には1万円しか渡してないんです。
7万円出たって、下に行くに従ってみんなピンはねしていくんです。これは何も原発に限ったことじゃない。日本の企業は全部これですよ。三菱自動車の欠陥隠しがあったでしょう。どこが泣いたと思います?下請けですよ、下請け。おかしいですよね、日本っていうのは。文句を言いたくっても言えないんですよ。
それはいけません、言いましょう、人間はみんな平等だって憲法にも謳ってるじゃないですかって。なのに、何でこんな階級があるんだってことですよね。皆さんに知ってもらいたいのは、そういうことです。1億2000万人、皆、平等じゃありません。約6000万人は下請けなんですよ。これをこき使って踏み躙って生きているのが今の日本ですよ。僕はそうやって40年間写真を撮ってきましたけど、それは一向に変わっていません。
この親方についてですが、福井だとか、福島だとか、地方へ行くと、ここの親方は周辺の農民を抱え込んでみんな原発に送り込むんですよ。3万円貰って2万円ピンはねすれば、御殿も建ちますよ。福井で建設中の原発御殿を見ましたよ。ここの親方に、無理矢理取材を申し込みましたよ。仮名を条件に取材をしましたけど、矛盾だらけのことを言ってましたが、よく正直に話してくれたと思いますよ。「うまい飯を食うにはどうしたらいいんだ?格好いいことばっかり言っちゃいらんねぇや」って。人間の幸せって何だろうって考えちゃいますね。
この親方連中の中に、暴力団がだいぶ入り込んでますね。この話をついでだからしときますね、忘れちゃいけないから。かつて、京都府の綾部市で暴力団が高校生のアルバイトを原発労働に使ってたってたんです。これも知っておいてください。原発に入れるのは法律で18歳以上ですよ。この時の3人はみんな18歳未満だったんです。1人は16歳、あとの2人は17歳。何で入れたと思いますか?
原発に入るにはちゃんと住民票を取らないといけない。暴力団もこういうことだけは頭が良いんですね。18歳の先輩の住所を書いたんですよ。それで幽霊みたいな存在になっちゃったわけですよ。この高校生が被曝しちゃったんですよ。一般労働者の5倍の被曝をして捨てられちゃった。
彼らを暴力団が使ってたんですよ。で、何故この事件が発覚したかというと、彼らが休みの日に遊んでて保護されたんですよね。「お前達、何やってるんだ」と聞いたら、「原発に行ってた」って言うんですよ。入域カードを持ってたんでしょうね。それで警察がその住所に電話したんですよ。そしたら、「うちの子は行ってませんよ」って返事が返ってくる。当たり前ですよね、先輩の住所使って入ってたんだから。
こんなケースがあったんですね。ここだけの話かと思ったら北海道でもあったんですよ。学校の先生は何を教えてたんでしょうね。平和利用だけ教えてたんですよ。今でも同じことやってるんじゃないかって思ってますけどね。原発労働者は20代が圧倒的ですからね、皆さん。地方には仕事がないから。じゃあ、とにかく1日1万円貰えるからって原発に行っちゃう。
去年の美浜原発の事故を思い出してください、みんな若い人達でしたでしょ。一番上が46歳、次が41歳、31歳、29歳だったでしょ。彼らが最初にみんな死んで、後からもう1人亡くなりましたが、亀窟さんでしたっけ、彼も30歳だったでしょ。みんな若年労働者ですよ、みんな。未来があると思いますか?未来無し。これを許していったらどうなるでしょう?原発をやめる頃にこの問題が噴き出しますかね?今は噴き出さないでしょうね、お金が欲しいから。
■労働者が手作業で放射能を拭き取る
マスコミは今、大変ですから。広告料が無かったら自分達の給料が出ないんだから。そういうところに首を突っ込みたくないんですよ。みんな金ですよ。原発に、そういう連中がみんな巣くってて、とんでもないことが起きてることをみんな知らない。これは私が勝手に作った問題じゃないですよ。
さっきの高校生、普通の労働者の5倍被曝して、それで1人が稼いだのが100万円くらい。で、みんなピンはねされてた。それで暴力団がやっていることが分かってきたんですよ。暴力団の親方は、人間をもっと連れて来い、もっと連れて来いって煽っている。そりゃあもっと連れて来いって言いますよね。2万円を毎日ピンはねしてたらいいんだから。自分は、「どこどこに何人ですね、わかりました」って言って人を突っ込んでいればいいんだから。今でも同じですよ。
ついでに下請け労働者の作業内容も言って、本題に入ってお終いとします。それは、放射能の除洗作業です。ボロ雑巾で何もない床を拭くだけなんですよ。皆さん、想像してみてください。
僕のこの写真がスクープになったんですよね。撮っちゃいけないところで撮ったんですよ。誓約書を破って撮った写真です。そうしなきゃね、マスコミなんてみんな記者クラブで、「はい、ここ撮ってください」って言われたところを1人が行って代表撮影するだけ。これじゃあね、何も写せるわけないじゃないですか。
この写真撮った時、中では人海戦術でしたよ。写真には写ってないけど、向うに3人、こっちに4人横にいるんだけどさ、これを見た時、原発ってのは何のことはない、人が動かしてるんだって思いましたね。ここに行く途中にも通路に、真っ赤な作業服着たマスクをつけた待機要員がはあはあって息苦しいんで肩で息をしてましたよ。凄まじいもんだったけど、写真を撮らせないように誓約書があったから撮らなかったけど。
放射能の除洗、パイプの補修、パイプの掃除をやる時、この作業服を毎日捨てたら何万円もするから、毎日、大型洗濯機で洗うんですって。この洗濯機のある部屋が、服についた放射能で、放射能の海みたいなところなんですって。こんな仕事他にある?
それから、ヘドロ。その辺の家のヘドロ、ちょっと臭いけど、そんなもんはいいんです。死にゃあしない。この原発のヘドロは放射能ヘドロですよ。これを掻い出しては核廃棄物処理運搬です。
機械類の運搬、配電盤施設の点検、補修、サンダーがけ、溶接作業、他、全ての雑役でどのくらいの数になりますかって北九州の親方に聞いたんですよ。そしたら、300種以上にはなるだろうよって。でも俺ら手抜き作業してるから3カ月くらいの定期検査でいけるんだよって。手抜きをしてるんだって。そうでしょう、去年の美浜での事故見ればわかるでしょ。パイプが腐ってたのに28年も放ったらかしにしてたんだから。ああいうのを手抜きって言うんですよ。
恐らく、あれは本当は8月14日に点検に入る予定だったわけでしょう。でも9日だったでしょ、事件が起きたの。あの日、何であんなとこに入ってたんだろ、210人も。つまり、法律的にはこれから点検に入るにも拘わらず、もう点検をやらしてたんですよ。それでたまたま、あの会社の人があのパイプの点検やってたんだろうね、想像すると。だって、作業してるそのままの格好で蒸気にやられたって言ってるんだから。そのまんまで。酷いね。
こういう作業だけだって、これをやらなきゃ1日たりとも原発は動かないんだって。ここに労働者はみんな入ってるわけだから、定期検査は特に被曝が酷いんだけどさ、日常だってやってるんですよ。
2003年までの資料しか国は出してきませんが、総労働者数が156万人を突破しました。原発に関わった労働者が4分の1、5分の1と見積もっても、40万人からの被曝者がいるんだって、この国には。で、僅か6例だけど、白血病に対して、労災が下りたんですが、あとの病気は切捨て。
いや、白血病以外では1例だけです。大阪で裁判が起きてるのをご存知ですか?長尾光明さんという78歳のおじいさんが4年半位、東京電力相手に裁判やってます。7000ミリレムも浴びてたんで労災認定が下りた。生きてるうちに労災認定うけたのはこの人だけです。この人が今、裁判を起こしてます。労災は認定されましたけどね、被曝の因果関係を明確にしようというので、大阪で裁判が起きてます。これを支援してやってくださいよ。署名とかね。
力関係ですからね、裁判なんて。被曝労働者がいないんじゃなくて、いないことにしている体制だけなんだから。本当に、この被曝問題をやったらこの国はどうなるんだろう?こんなこと放っといていいのか?原爆だって何十万人ですが、これを超えてきますよ。長崎、広島は40万人ですよ。
今朝のTBSラジオで女性評論家が言ってましたよ。「原発に反対する連中は電気を使うな」って。この無能な女に1回言ってやろうかって思ってるんですけど、一方通行ですよね。私みたいなのを呼べばいいんだけど、絶対呼びませんからね、ラジオもテレビも。真実を言う連中はみんなカット。程々にうまいこと言ってる連中だけ、テレビやラジオに出るんですよ。いい加減な時代じゃないですか。全てがいい加減。
さあ、労働者の年間被曝線量は50ミリシーベルトです。僕は本気で被曝問題をやってる医者に尋ねたら、これは我慢線量でしかないんだって、労働者の。こんなの浴び続けたら体がぼろぼろになりますよって言ってましたよ。何でこんなに高い被曝を許してるんでしょう。ICRP、国際放射線防護委員会が20ミリシーベルトまで基準を下げてますよ。何だ、これは一体。日本は人殺し国家です。そう結論付けました私は。
さあ、もう1つ、2001年3月いっぱい、外国特派員協会で外国の特派員達が僕の写真展をやってくれたんですよ。東京銀座のど真ん中にあるでしょ、有楽町の駅前にね。そこで講演したんですけど、これをいろんな新聞がよく書いてくれましたよ。特によく書いてくれたのが、ロサンゼルスタイムスとスペインのエルムンド(EL MUNDO)です。講演の時、原発に入った時の写真もちゃんと持ってたんです。特集を組んでくれましたよ、両面で。これを大阪で支援してくれる仲間達が訳してくれました。
講演に外国の記者は来てたのに、日本の記者は1人も来てませんでしたね。分かりますね。余計なことに首を突っ込んだら偉くなれない、どっかに飛ばされるのがオチだってことです。どうにもなりませんね。
(4頁へ続く)
(3頁からの続き)
■隠された被曝労働
さて、もう少し具体的に話をさせてください。先ず、被曝の原点は何と言っても岩佐嘉寿幸さんです。1974年のことですから、もう30年も前に遡(さかのぼ)ります。被曝の事実を知って私は岩佐さんのところに行きました。彼は怒ってました。私以上に怒ってました。最初はうちの中に入れてくれませんでした。「何だ、オメーは!アサヒと同じか!」って言うもんだから、全然分からない。それから「オメーは東京か」って言うから、「東京です」って答えると、「何やってんだ!」って言うんです。
「実は四日市公害の取材を7年やって本を出したんです。こういう問題を実はやらないでどっかに逃げようかと思ったんですが、岩佐さんの裁判に一度は触れておかなくてはならんと、それから考えようと思って」って言うと「そうか、じゃあ上がれ」って言ったんです。それで怒ってる意味が分かったんです。
ここに朝日新聞があります。1974年4月18日木曜日付、「みんなの科学」欄。これ、何て書いてあったと思います?「初の原子力炉被曝訴訟 謎だらけの皮膚炎」なんて書いてあるんですよ!先ず、これを書いた記者を紹介しなきゃね。マスコミにはいろんなのがいるので。
朝日新聞科学部に、東大哲学科を出た大熊由紀子って、後に論説委員にまでなった人がいるんです。その後どこに行ったかと思って尋ねたら朝日新聞にいないって言うから、テレビ朝日の連中に調べてもらったら、大阪大学の教授になってるの。その女性が書いた記事です。この記事で岩佐さん怒っちゃたんだよね。岩佐さんに取材なんかしてないんだよね。国側だけを取材したんだよ。こんな記者ありますか?いくら俺だってちゃんとしますよ。でもこの大先生、記者なのに一方通行。
これで私も狂っちゃたんですよね。東大の哲学科まで出た、朝日新聞の科学部の記者がこんな記事書いて、これで真実なんか報道出来るわけないじゃないかって。実はここで腹が決まったんですよ。「よーし、俺がやってやろうじゃないか」って。何の力も金も頭もないけどさ、やれるところまでやってみようと。
それから悪戦苦闘です。だって何にも知らないんだから。岩佐さんにだって馬鹿にされましたよ。「俺、100ミリレムしか浴びてねぇ。おい、お前分かるか?」って言うから「わかりません」って言うと、「お前、阪大の岡村日出夫って助手のところ行って勉強してこい」って言われたんですよ。「はい、わかりました」って、大阪に来て阪大に行ったんですよ。で先生に会って、「先生、放射科学について教えてください」って言ったら無料で教えてくれました。これが原点だったんです。岩佐さんに会わなかったら今、こんなことやってませんよ。
それと、ジャーナリズムです。大の朝日ですよ。国民の殆どは朝日新聞をとってます。信用してます。それがこんなことやってたんだから、最初から。これは面白くなると思いましたね。そしたら面白くなっちゃった。それで、この後、この女、逃げ回ってたんです。
岩佐さんとテレビ朝日に呼ばれたことがあったんですけど、その時、テレビ朝日に、「この記者出せよ、お前達のとこのもんだろう」って言ったんですけど、結局逃げちゃったんですよね。樋口と岩佐に噛みつかれたら損だと思ったんでしょう、頭の良い人だから。
さて、岩佐さんはそれから11年間闘いました。1974年4月15日に大阪地裁に提訴して、それから、最初の判決は1980年3月30日、全面棄却。当たり前じゃないですか。これを支援した人はどれくらいだったと思います?全国ネットで138人しかいない。僕も含めて。これじゃあ裁判は勝てませんよね。それから高裁、最高裁に行って全部棄却でした。時代が悪かったね、70年代だもの。高度経済成長の時代、「何を言ってるんだ」ってもんでしょう。それでも、これを見続けよう、伝え続けようと決心しました。もう売れる写真家になろうなんて考えなかったね。これが僕の生き方まで決めてくれました。
そして、岩佐さんの後を引き取ったのが、西淀川に住んでる、長尾光明さんです。78歳。この人が今、東京電力を相手に提訴しています。何かの時には、署名してください、お願いしますよ。
そういうことで、岩佐さんと出会って次に言われたことは、「おい、樋口さん、お前知ってるか? 金の出る裁判があるんだ」って。まさか原発会社がそんな汚いもんだとは思ってもみなかった。クリーン、安全、現代科学の粋を集めたって言ってるでしょ、一方では。だから金で裁判するなんて思ってもみなかった。
僕も能天気だったね、当時は。僕だって最初は国が言う通り信じてたんですから。クリーンで安全で、僅かな恨みを生んでも、何十万キロワット発電できたらいいじゃないかって思うくらいのレベルだったんですから。それが原点ですよ、言ってみれば。ここで懺悔しなきゃいけないと思います。たまたま岩佐さんに会わなかったらその程度で終わってたんですからね。
で、岩佐さんから、「おい、樋口さん知ってるか?琵琶湖の近くで、どの位の金かわからんけど、俺と裁判を共闘しようとしたら、奥さんが丸め込まれたかなんかで裁判を潰された奴がいるんだって。知ってるか?」って言われて、「知るわけないじゃないか!岩佐さんは知ってるのか?」って聞いたら、「いや、岡村日出夫さんが言ってるんだ」って。
岡村日出夫さんって人は今はもう事故で亡くなったんですが、この先生のところに行って聞けって、相手の住所も分かってるはずだからって言われて。岡村さんから住所を聞いて、その人のところに行ったんです。夜の7時位にやっと捜し当ててたんです。大阪の岡村先生と岩佐さんから紹介されて来ましたって言ったら、「はぁ?」なんて言ってね。そりゃあ「はぁ?」って言いますよね。変なのが来たって思ったでしょうね。
「実は私、こういう者で、取材をさせていただきたいと思って来たのですが」って言うと、最初は迷惑って顔してましたよ。でもね、「岩佐さんが一生懸命裁判やっているのをご存知ですね」って言うと、「じゃあ、まあ入りなさい」と入れてくれました。既に生活が破壊されてて、自分の僅かな田畑と家を手放して、借家に奥さんと女の子の子供3人と住んでました。子供はまだ小さくて、「一番下の子は俺が被曝してから出来た子なんだよ。この子が一番気がかりだ」って言うんですよ。重い十字架を背負って生まれたんですよ。
最初はお金の話は一度も出ませんでした。ところが、2度3度と行ったら、押入れの上から書類を持って見せてくれました。これが示談書だって。この書類を廃棄しろって言われてたんだけど、残してたんだって。600万円貰ってもう終わったんだから書類を廃棄しろって言われてたけど、何かの役に立つかも知れんと残しておいたんだそうです。
そしたら、そこに部落解放同盟の名前が入ってたんです。ここが仲立ちしたんです。これは恐らく、村居さんが部落民だから、彼の為に会社から金をとってやろうという思いで、金をとったんだと思いますよ。それで600万円を受け取ったんだろうね。1回の振り込み額はそれぞれ違いましたが、銀行振り込みで3回にわたって振り込んでありました。「村居さん、これを使ってもいいか」って言ったら、「これは真実だから使っていい」って言いました。勇気のある男がいたもんだね。感動しましたね。
でもここで、何てことだろう、何でこの人達もお金なんて受け取ったんだろうって思いましたね。この時は僕も泣いたよ。この社会って腐りきってるんじゃないかって。でもその後、部落解放同盟は被曝問題には絶対に手を出さなかった。
これを知った大阪にある部落解放同盟の本部が、僕に村居さんについての原稿を書いてくださいって言って来ました。二度とこういうことがあってはいけないからって。で、被曝労働について書きました。これで全国の解放同盟の人は僕の記事を読んだんでしょう。
九州で講演した時に、解放同盟の青年が来て、「樋口さん、樋口さんの話は本当ですか?」って聞くんです。「嘘を言ったら1発でクビが飛ぶんだよ、俺らの世界は」って言いました。そしたら「間違いありませんか。そうですか、非常に残念です」って言う。真面目な青年がいるもんです。これを契機にして、部落解放同盟は手を染めなかったんだよね。でも、良かったね。偉い人達だと思います。もし、あれを隠蔽してたらもっといろんな問題が出たと思います。
裁判を起こそうとして、村居さんの奥さんは丸め込まれちゃったんだよね。生活は逼迫してどん底にいたんですから。それで電力会社はね、奥さんに、「今、大阪で裁判を起こしてる人がいるけど、この裁判は長くなるよ」って、「あんたら裁判起こしたらどうなんの?お金のほうがいいだろう」って先ず奥さんを説得したわけです。本人よりも。本人が外出してる間に。本人は恐らく、先程話した岡村さんと裁判について話してたんでしょう。
奥さんも生活に疲れきってね、本当にぼろぼろになって。そこを突かれたんですね。それでも村居さんは、いつも会えば「いや、女房が可愛そうだ」と、そうやって僕に言うわけですよ。奥さんを庇ってね。
この裁判を潰す犯罪を担った1人が重松教授。「異常無し」とカルテに書いてしまった。この人は後にね、この問題が吹き出してきたから首吊り自殺をしてます。いたたまれなくなったんだろうね。追求もされたんでしょう。「異常無し」カルテの裏は金。教授もたった100万円しか貰ってないのにそんなカルテを書いちゃった。これは村井さんが職員から聞いてんだよ、駄目だな。
もう1つ、金で裁判潰されたケースは北九州の親方だよ。この人ですよ!「俺らがいい加減な検査や提携やってるから・・・・。3カ月やそこらで点検なんか終わるかよ。きちんとやったら6カ月や1年はかかるぞ、樋口さん」って言ってたのは。
だから、去年の美浜原発の事故が起きた時は、「親方言った通りじゃねえか、肝心な所やってねえんだ」と僕は言いました。凄いね、これから一杯起きる可能性があるってことだ。この親方は、自分が入らなきゃ良かったのに真面目な男だったから。普通は労働者連れてくりゃ、その数だけピンハネする訳で。
言ったの、「労働者は皆ピンハネしたんですか?」ってね。そしたら怒って、「いや樋口さん、そう言うけどウチみたいな7人位の会社じゃ、こうしないと盆と暮れのボーナスも出せない。それはきちんとさせてもらってますよ」って。自分も働けばもっと金が入る訳でしょ。「ああ、すいません」って謝りましたよ。でもピンハネには違いないんだけどね。この人も裁判起こそうとしたんだけど、この人の時は凄かったね。暴力団が毎日、脅迫電話をかけて生活を脅かしたんですよ。それで奥さんがノイローゼになっちゃってね。
最後は日立プラントがわざわざ行ってるんですよ。課長が本社から。親方に直接仕事を回していた、井上工業って下関のひ孫請け会社の社長といっしょに、親方の家に行って、強引に連れ出して。九州大学連れ込んで、ここで異常無しカルテまた書いた。僅か106万円で裁判潰しやがった。その時の資料はちゃんと持ってますよ。まさに闇の世界。原発ってとんでもない事やってるんですよ。皆さんが考えてるようなもんじゃないよ。
僕が村居さんの所に最後に行ったのは95年だったけど、「樋口さん、俺もあれから周りの話を色々と聞いてる。3000万円貰った、4000万円貰った・・・・。それで皆黙らされた。自分は僅か600万円だったから悲しみを表に出せる」って言ってました。
こういう風に、現実に人を潰していく時に、必ず裏に医師達がいたんですよ。裏は取ってあるんだよね。先程の高校生のアルバイト、これは氷山の一角でしょう。労災認定は僅か6例だけど、岩佐訴訟が11年間闘ったお陰で、あの暗黒労働が引き出された訳ですよ。これで国の連中も、労働省も含めて、やっと6例を認定するようになったんだよね。でなきゃ労災認定なんか出来ません、しなかったと思います。岩佐さんが、そういう意味で先駆者なんだよ。
でもこの数にJCOと去年の美浜は入ってませんよ。「原発被曝」じゃないから。それを入れると、3人と5人だから8人プラスだけどね。今までの被曝労災認定は、唯一長尾さんを除いて、全部白血病です。他の癌は全部不認定。
他の癌を認めたら、「俺も助けろー、俺も助けろー」って、この国潰れるでしょう。労災認定って、1人認定すると幾ら払うかご存じですか。1000万?違う、3000万払うのよ、皆さん。もしこれをバカバカ認定してごらんなさい、国が潰れちゃうよ。えらい事になってるんだよ。だから隠せるだけ隠そうとしてるんだって。それでバレたらバレたでしょうがないや、と。皆で責任取ろうやって言ってるんじゃないんです。
全てが明らかになるのは、僕が死んだ後だ。その時に「樋口ってのが言ってたね」ってなるんだ。コレ本当になるよ、なるに決まってるんだから。もっと知りたかったら僕の本の『闇に消される原発被曝者』、これを読んでいただきたい。沢山の被曝者の証言が一杯入ってるから。色んな形で潰れていった連中、これはまた読んでいただきたい。冗談抜きで読んで下さい。
〔資料〕樋口健二 著『闇に消される原発被曝者』(御茶の水書房 2003年5月刊行)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101974318/subno/1
■田中角栄と柏崎刈羽原発
ということでね、被曝の暗黒部分ってのは皆さんの想像以上。何も考えなかったら、この国は良い国だね。社会問題考えなかったら、僕は良い国だと思うよ。頭パーで生きてたら。だってニートとかいって、働かないで85万人生きてるんだよ。
後、もう1つ言いたいのは、この国の有り様。60年代から高度経済成長に入ったのは良かったんですよ。それまでは貧しかったからね。僕なんか戦争終わった時は小学校2年か3年でしたよ。信州の山の中、食う物も無く、餓えて餓えて。信州なんか沢山飯が喰えたんじゃないかと思ったら大間違い。国が1つの田んぼに対して何俵供出せって命令が来てるからさ、隠し通せなかったんだよね。親爺達も、自分の息子だ娘だ、家族が皆餓えてるのに、国にみんな出した。だから餓えてた、我々は。それで大きくなった時に「何だあの餓えは」って言ったら、「戦争だからしょうがないじゃねえか」って。
戦争の為に餓えたんだぞ、じゃあ戦争反対するに決まってんだろ。何か食い意地だけの戦争反対みたいだけどさ。人間、餓えの恐ろしさが一番辛いですよ。皆さんも、見た所たらふく飯を食ってますね。8時間寝てお酒飲んで。これじゃ困るのよ本当は。一度で良いから学生に経験してもらいたい。「餓えなさい、3日食うな」って。
3日食わなかったらね、本当辛い。食う所なんて幾らでもあるじゃねえか、ちょっと足を伸ばせばコンビニがある、捨てるぐらいある。だからこそ一度でいいからやってみたらいい。日本は一体どうなっていくと思いますか、皆さん。やっぱり革命が必要ですね。革命っていっても殺し合いとかじゃなくて。体制をもう一度立て直す。やらなきゃ駄目だね、やっぱり。大学教育から始まってね。良い芽を起こさないとね。
何でこんな国になったかって、僕に言わせりゃ簡単だよ。豊かになっていったでしょ、企業が大きくなったでしょ。大企業に就職すりゃ、みんな給料沢山貰えたんだよね。ここが間違いだったのよ。皆、良い大学行って。そこに行けば良い会社に入れるようになってたからよ。だから、ちょっと僕みたいに出来が悪いのは大変だよ。落ちこぼれていくんだから。僕は落ちこぼれるのはかえって良かったんだけどね、自分の道を選んだんだから。それを分からなかった子供達が一杯いたんだわ。それがグレたり、ワルするようになって、そこを疎かにしちゃったからいけなかったんだよ。
大体、皆サラリーマンにしようなんて。1億総サラリーマンにしようと思ったことが、教育を間違ってたんだよ。大工になるのがいても良いし、いろんな職業が世の中に一杯あるんだから、おめえはコレがいいぞって先生が言ってやらなきゃならなかったんだよ。我々の世代は皆そういう風にやってきてたんだよ。「お前は体が丈夫だし、よく動くからお前蕎麦屋になれ」とかね。先生がよく言ったのよ。今は、そうじゃないだろ。皆仲良くサラリーマンになろうよってやったから。なれないのがいるに決まってるじゃねえか。大学だって1流大学出れる奴と出れない奴がいるんだから。
教育がなっちゃないんですよ、哲学を教えなきゃ。産学一体で、良い会社へ人材をドドーって。それは今だって同じだ。増々酷くなってる。もっと酷くなると思いますよ、この日本は。戦争なんかやらなくてもね、そういうことで潰れていくだろうよ。そして初めて気が付くんだよね。全日本国民が。
日本って国は大体そうじゃない、戦争だってとことんやらなきゃならないんだから。途中でやめないんだから。そうでしょう、玉砕だって言ったんでしょう。戦争やった連中こそ死んでほしいって思いますよ。関東軍が一番責任者なんだよね、満州では。それで残ったのが残留孤児だ。現代史を1つも教えてないよ、学校は。それで日中、日韓がおかしくなっちゃうんだな。
さあ、革命を起こしましょう。皆さん!原発被曝をやめさせましょうって言って下さいよ、皆さん。
他の事も、もちろん必要だけどさ、今やっぱり「人間を殺している」ということ、これをどうしたって許しちゃならないと思います。これは小さな問題じゃありません。実は大き過ぎたから潰しているんですよ、こうやって。他の問題はね、地震とかは「いや、それは大丈夫ですよ」って言うに決まってる。日本の土木工学は世界一だって言ってるんだから、地震に耐えられるって言ってるんだから。それでお終いじゃないですか。いくらワアワア言った所で。
被曝を本当に問題にしたら青くなるよ。「人を殺すのだけは止めましょう」って。それでもエネルギーが欲しいんですかって。自分達だけ平和を買って、労働者を潰して、殺して、今だってそうして動いてるんですよ、実際は。
〔中略〕
もう1つ言い忘れてた。原発の体制ってのは、実は電力の需要から作られてるんじゃないんだ、経済から作られてるんだ。1機原発を作ると、6000億以上金が動く。これは美味しい仕事ですね。100万キロワットが1機でですよ。中国電力が新しいの作ろうとしてるでしょ、今。無情だね。
それから、議員のレベルになると、国会議員で億の金が入るんだそうです。地方議員で何千万。その連中を見てりゃよく分かる。ありゃ原発推進してるなって。止められませんよ、そんな美味しい事は。田中角栄が首相になったのも分かりますね、今太閤でも何でもありませんよ。東京電力とくっ付いたからですよ。柏崎とかに、1カ所に800万キロワットを作ったから、これで首相になった。マスコミは馬鹿だから今太閤とか言ってたけれど、馬鹿も程々にしないとね。角栄が原発用地を土地転がししたルポルタージュを僕が初めて書いたんだけれどね、土地転がしをして1回引っくり返しゃ4億とかやってた訳ですよ、あの男は。それで自民党員に金を配ったんだよね。
投票するに決まってるでしょ。俺が自民党員で国会議員だったら。田中先生って書くに決まってるじゃん。全て金。何だこりゃ?これが巨大原子力産業なんだよ。ここからコマーシャル料ばっちり貰ってるから、こんな一番酷い問題が分かっていても書かないんだよ。報道しません。これからもしないでしょう。だから皆さんにやってもらうしかありません。これは国民がやるしかない問題です。マスコミは駄目ですよ。
■質疑応答での裏話より抜粋
それから、もう1つ話したいのが、三菱って会社のこと。これは悪いところですね。悪の権化です。
四日市公害で1967年に裁判起きましたね。被告6社。その中に3社も三菱グループが入ってた。三菱化成、三菱モンサント、三菱油化ですね。その化成がモナザイト鉱石から希土類金属を生成、抽出してるなんぞ、ろくでもない話だね。
四日市の公害裁判で断罪されたでしょ。1972年の7月24日ですね。全面勝訴でした。その1年後に日本から逃げ出してマレーシアに行った。希土類金属は、日本の原発から始まって、あらゆるコンピューターから原子炉遮蔽材やらに必要とされるもんです。この希土類金属は日本が豊かになっていく為に必要だった。これ日本で作れなかったんだよね、だからマレーシアに行った。マレーシアには鉱山があって、そこから採れるモナザイト鉱石を生成していく過程で、放射性物質が出ていた。トリウム232です。これを現地で放ったらかしにしちゃった。
これ、あまり知らないでしょう。一度はメディアにも載ったんだけどさ。特派員が一生懸命日本に送ってたんだけど、みんな潰されたの、三菱に。三菱は今とは違いますよ。今は三菱自動車がこんなになっちゃってますけど、この時は力があった。三菱って言ったら、三菱重工なんかは戦車だって作ってる。今にジェット機もきっと作るぞ。三菱化成はマレーシアに行って、現地で放射性被害を齎して、白血病患者をバカスカ生み出した。それでマレーシアでは大社会問題だ。凄かったんですよ。この時活躍したのが京都大学の助手だった市川定夫さんです。後に埼玉大学に教授で迎えられたけど。彼が現地で放射性物質を測ったら、通常の何百倍って値が出たんだよ。裁判過程での彼の証言は素晴らしかった。
国際社会で、三菱化成、今は三菱化学って名前の会社が放射能被害を起こしました。これは公害輸出です。俺が日本各地でこの話をすると、学生なんかはこんな話誰も知りません。これも「お金」。日本が豊かになる為に、他の国に行って人を殺してきた。凄まじい国ですね、この国は。それで国民が知らない。現地の人達は皆知ってるから日本を憎む。当たり前だね。僕は東南アジアをいろんな原発取材で訪れるけど、皆の話には必ず第2次世界大戦の話が出る。皆に頭下げて来ましたよ、「申し訳なかった」って。一日本人ですからね、自分達がやったんじゃねえって言えないでしょ。
右翼文化人は、ああいう所に一度行くべきだね。苦しめた現地の人達の所へ。そしたら歴史観も人生観も戦争観も少しは変わる。行かないから変わらないんだよね、動かないで理屈言ってる連中だから、大学は。今の文化人ってのは、東大から拓大へ行った藤岡もそうだろう、西尾幹二もそうだろう。皆コンピューターで生きてる連中だから、困ったもんだよね。三菱の最近の不祥事はそこに原点があるわけですよ。三菱自動車がふざけたことやったけど、何でああなったか良く分かるよ。人間性のかけらもありませんでしたから。四日市から見てるんだから。
僕は四日市公害の時に思いましたよ、「あ、日本駄目になるぞ」って。このまま行ったら環境はぶっ壊すし、人間まで駄目になってきちゃうよね。1流大学1流大学って言うばかりで。ああこりゃ駄目だ、やがてどえらい事になるぞって言ってたら本当になっちゃった。
今、どこも閉塞してるでしょう。これを打開するにはどうしたらいいですか?今の価値観全部捨てましょうよ。そこから立ち直ってくるんだよ。俺はそう思ってるんだけどね。1人じゃどうにもならない。でもそんな人が順に増えてるじゃないですか。だからこういう人達が結集して、やりましょう。根気良くやりましょう。僕は死んだって何も残らないけど、写真と文章は残るから。それしかないんだよね、後は何もないよ。死ぬまでのたうち回っていこう。そういう生き方を、これからも貫いていきたいとつくづく思っています。
日本をもう一度良い国にしませんか。今は悪い国です。戦争に加担することもやめるようにしましょう。どんな戦争にも大義名分なんて要りません。全部悪いのが人を殺すんだから。アメリカがどんな事言ったってね、どんな美辞麗句くっつけたって許せない。その尻馬に乗るなんてもっと駄目だよね。そりゃ憲法九条はアメリカが作ったとか言ってるけど、誰が作ったっていいんだからさ、あんなものは。良ければ。アメリカが作ったからから変えろだなんて、冗談言っちゃいけないよ。良いものは良いんだって、それを僕は押し通してますよ。何で今変えるんだ、ふざけんなって、本当に。この問題も大きいね。
原発もね、原発だけで終わるわけじゃないんだよ、核のゴミもあるから。劣化ウラン弾ってのはみんな核のゴミから出来てるんだよ、アメリカの。核のゴミだから、劣化って言葉を付けた。広島に落としたウラニウム爆弾は劣化って言わないでしょ。ウラニウムを生成したからね。今度は、日本だって兵器を持ったらいいんだって安倍晋三も言ってますよ。連中が言ってるってことは、もう殆どの国会議員がそう思ってるってことですよ。最終的には原発被爆だけじゃ終わらせないんだ、この原発王国では。その為に、九条を変えるんだ、変えなきゃ持てない。そこまで考えてるんだよ。
アメリカだけじゃ戦争するにも大変だから、日本のも出させりゃ良いんだ、それで日本がどうなろうと構いやしないってのがアメリカの本音だ。でなきゃこんなに基地を置く訳ないだろって。
〔後略〕
」
◆ ◆ ◆
(全4頁完)
≪日本の原発奴隷:「日本の企業は、原子力発電所の清掃の為に生活困窮者を募っている」EL MUNDO - 美浜の会、他(1〜4)≫
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