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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5033064.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1809249933&owner_id=6445842
今年(2011年)目にした光景の中で、私が忘れられない物は、東日本大震災による津波を受けた海岸で、倒れずに立ち続けたあの木の姿です。
残念ながら、あの木は、あのまま立ち枯れを迎える運命に有るとの事です。しかし、津波を受けながら、倒れずに立ち続けたあの木の姿は、永く、私達の心の中に生きるに違い有りません。
その津波に耐えたあの木の姿を映像で見て、私は、或る事に気が付きました。
それは、あの木の光景が、『サクリファイス』と言ふ映画に登場する木の光景に酷似して居た事です。
http://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY
(『サクリファイス』より)
しかも、その木は、その映画の中で、「日本の木」として登場するのです。
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『サクリファイス』は、旧ソ連(ロシア)の監督アンドレイ・タルコフスキーの最後の作品です。
この映画について(Wikipedia)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
『サクリファイス』は、タルコフスキーが、西側で事実上の亡命生活を送る中、スウェーデンで監督した作品で、東西冷戦が続いて居たこの時代、ヨーロッパで第三次世界大戦が起きた日に、そのヨーロッパの大地に、日本の木を植えた一人の父親を主人公とする作品です。
物語は、スウェーデン南部のゴットランド島で、その初老の父親の誕生日に始まります。
スウェーデン人でありながら、何故か、自分は、前世には日本人であったと信じるその父親は、病気で口をきけない幼い息子とともに、その島の海辺に、一本の日本の木を植えます。
そのすぐ後で、ヨーロッパで、(核戦争と思はれる)戦争が勃発した事を、その父親と、彼の誕生日を祝福する為に集まった彼の家族は知り、絶望に追ひ込まれます。
その絶望の中で、その父親は、彼の家で働く若い家政婦マリアが、実は魔女である事を知らされます。そして、魔女と肉体関係を持った者は、魔女に、どんな願い事をもかなえてもらえる事を聞かされ、深夜、その若い魔女の家を訪れます。
そして、そこで、父親は魔女と情交を持ち、世界を元の世界に戻して欲しいと、その美しい魔女に懇願します。
翌朝、父親が目覚めると、世界は、核戦争が起きる前の、元の平和な世界に戻って居ます。
ところが、その元に戻った平和な世界の中で、彼の家族たちは、エゴをむき出しにし、お互いを愛する事も無く、生きようとして居る。
その光景に絶望した父親は、思ひ出で一杯の彼の家に放火し、その家を燃やしてしまひます。
父親は、その放火の結果、精神病院に入れられ、一人残された口をきけない幼い息子は、父親に代はって、父が植えたその木に水を与え続ける。
これが、『サクリファイス』の物語です。
(私は、この映画のこの物語に、キリスト教カタリ派の象徴が幾つか登場する事に注目して居ます。カタリ派は、非暴力主義で、戦いを忌み嫌った事、人間は転生すると説いた事、そして、他の宗派から、魔女がカタリ派の象徴とされた事、そしてカタリ派の聖典であったヨハネ福音書の言葉が引用される事などですが、ここでは論じません。)
この映画は、マタイ受難曲の第47曲「憐れみたまえ」で始まり、この曲をもって終はります。
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この映画(『サクリファイス』)には、日本が、とても深い意味を持って登場します。
即ち、ヨーロッパが滅亡に直面した日に、自分の人生は日本人だったと信じる父親が、魔女と情交を持ち、魔女の力を借りて、ヨーロッパを救ふと言ふのが、この映画の物語なのです。そして、物語は、その父親が、ヨーロッパの大地に日本の木を植える場面で始まり、その木が光の中で輝いて居る光景で終はるのです。
タルコフスキーは、日本に対して非常に深い思ひ入れを抱いて居た芸術家です。タルコフスキーは、新しい映画を作る時には、黒澤明の『七人の侍』と溝口健二の『雨月物語』を必ずもう一度見直す事にして居ると、自ら語って居ますが、この映画(『サクリファイス』)におけるこうした「日本」の意味に、タルコフスキーの日本への思ひが反映されて居る事は、余りにも明らかです。
初めてこの映画を見た時、私は、タルコフスキーが、この遺作と成った映画の中で現した日本への思ひに驚かされました。そして、この映画(『サクリファイス』)には、人類の未来を託せる国は日本だと言ふ、タルコフスキーのメッセージが籠めらられて居ると考えずには居られませんでした。
しかし、今回の東日本大震災とそれに続く原発事故の中で、私は、タルコフスキーが、人類の未来を託したその日本において、現実が、この映画の物語と鏡像に成って進行する事に驚愕し、愕然とせずに居られませんでした。
今年、私達が、東日本大震災とそれに続く原発事故の中で見た光景は、『サクリファイス』に描かれたあの島の光景に何とそっくりだった事でしょうか。
そして、皮肉にも、人類の希望を象徴する物として、ヨーロッパの大地に植えられたあの木にそっくりな姿の日本の木が、今、その日本の土の上で枯れようとして居ます。
その『サクリファイス』について、震災からまだ11日しか経って居なかった日に、或る方が、アマゾンに、こんな文章を書いて居た事に、私は気が付きました。
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28 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
無かったことになって欲しい。。。。東日本大震災の今、心に迫ります, 2011/3/22
By solaris1 (東京都中野区) -
(トップ500レビュアー)
核戦争が起こり、主人公が、「犠牲を捧げるから、核戦争を無かったことにしてくれ」と魔女に頼む。夜が明けると、核戦争は無かったことになっていて、主人公は、家を焼く。家を焼いた主人公は、家族によって、病院送りにされてしまう。
東日本大震災が発生し、11日が経ちました。公開時に見たときは、美しいけれど冗長で退屈な印象もあったこの映画が、私にとって、今はじめてとても重要な意味をもつようになりました。もし本当に、今回の地震・津波とその後の原発損傷が無かったことになるのであれば、なんらかの犠牲を捧げても構わなかった。そう考えている方は、少なからずいるのではないでしょうか。でも、現実は、この主人公のように、周囲にその行為はまったく理解されず、病院送りになるか、財産を失うだけになるか、そもそも、「起ってからでないと、「犠牲を捧げてもよかった」などと思うことなど、そもそもできない」というパラドックスに直面することになります。
主人公には魔女がいるという幸運がありました。しかし、我々に魔女はいません。それはどうにもなりません。だからこそ、取り返しのつかないことになってから後悔しないよう、せめて人災が極力抑えられるように普段から意識的に取り組んでいかなくてはならない。3月11日を境に、私にとって本作は、戒めを説く作品と変わりました。魔女はいない。でも、日々の少しの犠牲の積み重ねで大きな危機が回避できるのであれば、そのように生きたい。このような作品を作られた監督に感謝します。
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この文章を読んで、私は、胸が熱く成るのをどうする事も出来ませんでした。
そうです。魔女は居ないのです。世界を、あの大震災の前に戻してくれる魔女は居ないのです。
居るのは、私たち人間だけなのです。
だからこそ、私たちは、その魔女の居ない世界で、世界を元に戻さなければなりません。
今年、私が一番感動したsolaris1さんのこの文章をお送りして、2011年に別れを告げたいと思ひます。
(この映画(『サクリファイス』)のラストシーンです。)
↓
http://www.youtube.com/watch?v=QeQCb5uyIFY
(バッハの『マタイ受難曲』第47曲「憐みたまえ、わが神よ」が流れる中で、これまで声が出なかった少年が、「初めにことばありき、なぜなのパパ?」とつぶやくシーンです。(スウェーデン・ゴットランド島にて))
2011年12月31日(土)
形成に十三年の大晦日に
西岡昌紀(内科医)
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前司令官「日本終わりかと」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1865058&media_id=2
<福島原発事故>「日本は終わりかと考えた」陸自前司令官
(毎日新聞 - 12月31日 14:55)
原発事故対応にあたった当時の状況を語る宮島さん=福岡市博多区で、矢頭智剛撮影
東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた。深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100〜200キロに広げるシミュレーションを重ねた。状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。
自衛隊が警察や消防などの関係機関を指揮下に置いて任務に当たったのは自衛隊史上初めて。しかし、自衛隊に暴走する原子炉を止める能力はない。宮島さんは「ヘリコプターによる原発への放水は、本格的な冷却装置ができるまでの時間稼ぎにすぎなかった。高濃度の放射能などへの不安はあったが、我々がここまでしなくてはいけなくなったというのは、かなり危険性があるという裏返しだった」と語る。
その上で、「危険に立ち向かってでも事故を抑えるんだという日本の本気度を示す一つの手段だったと思う。あれが大きな転換点となり、米国を中心に各国の積極的な支援につながった。自国が命を賭してやろうとしなければ、他国は助けてくれない」と話した。
一問一答は次の通り。
−−原発事故対応の指揮を命じられたのは
◆自衛隊内では3月14日、同20日には菅直人首相(当時)から警察、消防も含めて一元的に指揮するよう命じられた。(1)物資輸送と水の供給(2)原発を冷却するための放水(3)避難民支援や除染(4)ヘリコプターによる放射線測定などにあたった。
−−これまで原発事故対応の訓練は
◆まったくしていなかった。あくまでテロなどの備えとして持っていた放射線の知識を流用して対処した。
−−被ばくへの恐怖は
◆まったく予想しなかった任務だったので、当初は隊員にも相当な不安があった。現地で指揮を執った副司令官がまず一人で現場に赴き、状況を確認した上で「大丈夫だ」と笑顔を見せた。それで隊員たちも安心し、落ち着いて行動することができた。消防車による放水では線量計の警報が常時鳴っているとの報告を受けたが、それなりの防護をし、放射線量を管理していたので大きな心配はなかった。
−−ヘリによる放水を命じられた時は
◆本当にやるのかと不安はあった。高濃度の放射能に加え、5トンの水を上空から落とせば衝撃で第2の爆発を起こすのではとの懸念もあった。危険は分かっていても、ここまでやらないといけないぐらい後がないという判断だった。放水の様子を画面でにらみながら祈り続け、無線で「命中しました」と聞いた時はホッとした。
−−最悪の事態を考えたことは
◆部下に知られないよう1人で司令官室の地図に模型を配置しながら、避難区域を100〜200キロに広げるシミュレーションを重ね、日本は終わりかと愕然(がくぜん)としたこともあった。我々は「想定外」という言葉を使わない。すべて最悪の事態を考え、想定内に納めておかないと対処できませんから。
−−かなりの重圧だったのでは
◆自衛官になって35年間、常に指揮官とはどうあるべきかを自問自答してきた。孤独に耐え、心中は相当に焦っていても悠然とした態度を部下に見せることが非常に重要だと思っている。
−−関係機関との連携は
◆東電は情報隠しと責められたが、持てる情報はすべて出してもらったと思う。自衛隊の一元的な指揮は戦後初めてだが、おかげで警察、消防、東電を含め関係機関が一体的に行動できた。ただ、自衛隊は主役ではない。本格的な冷却装置が作動するまでの時間を稼ぎ、政府や東電の判断に余裕を与えるのが役割だった。
−−今後の課題は
◆どこまで自衛隊に原発対応を求めるのか明確にしないと教育や訓練ができない。また原子力災害を想定した訓練が各地で実施されているが、これまでは安全神話の下で形式的なものだった。今回の教訓を生かし、実効性のあるものにしなければならない。【聞き手・鈴木美穂】
中央即応集団(CRF) テロなどの新たな脅威や国際貢献活動に迅速に対応するため、07年3月に編成された防衛相直轄組織。司令部は朝霞(埼玉県)。対テロ対策部隊「特殊作戦群」、核・生物・化学兵器対処専門の「中央特殊武器防護隊」など専門性の高い部隊を持つ。原発事故には同防護隊が中心に活動した。
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