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2011年12月29日(木)
日経の事故調批判は原発再稼働進まぬ苛立ち
福島第一原発の政府事故調査委員会が12月26日、中間報告をまとめ、野田首相に提出した。
そのあとに開かれた記者会見では、報道する側が聞き出したいことと、調査委メンバーが究明しようとしている内容の、大きなギャップが浮き彫りになった。
簡単に言えば、調査委は事故原因についての証言やデータを収集し、分析し、議論して現時点で判明したことを報告にまとめたが、記者たちは責任の所在がどこにあるのか、再稼働についてどう考えるのかという、きわめて政治・行政的な方面に関心を振り向けた。
そこで、委員の一人、柳田邦男氏が会見の最後に漏らした次のような嘆息の声が、この場面を傍観しているわれわれ一般国民の印象に強く残ることとなる。
「今日皆さんの質問を聞いてて、クエスチョンを感じたことがあります。原発が機能停止した最大の原因は、非常用ディーゼル発電機が浸水して全電源が喪失したといわれるが、我々の議論は違う。ディーゼル発電機が動いても、電気を配る中枢神経である配電盤が地下にあり、それが冠水したため、いくら予備電源をもってきても電源は回復しないわけです」
ジャーナリストとしての大先輩でもある柳田氏が、なぜ最も肝心な配電盤の問題に関心を向けないのかと、後輩たちを、やさしく叱責しているように筆者は感じた。
配電盤さえ冠水しない位置に設置してあれば、予備電源をつなげば対処できたかもしれないのだ。
しかし、多くの記者は「事故の犯人捜し」に躍起となり、一部の記者は「原発再稼働」の後押しになる安全対策確立を期待する。
原発事故の原因調査は急げばいいというものではない。利害得失の関わらないメンバーによって綿密に、科学的に、冷静に進められなければならない。
原発推進とか脱原発とか、あらかじめ前提を置いてするものでもないだろう。純粋に原因を究明できれば役に立つ情報、教訓が得られるが、何らかの意図のもとに行われば、バイアスのかかった中身になる。
福島第一原発の政府事故調査委員会は、そのあたりをよく心得ているらしく、まだまだ調査、分析不十分な部分、委員どうし審議を尽くしていない課題にはふれないまま、ひとまず予定されていたスケジュール通り、中間段階での報告書を作成した。
予断をもって報告書の体裁を見ばえよく繕うより、情報として十分な価値を有するとは思えないものは盛り込まないほうが、報告書としての価値はむしろ高いはずだ。
ところが、日経新聞は、そうは受け取らなかった。この報告書に対し、27日の朝刊一面解説記事と社説で敵意むき出しの批判を連発し、比較的素直に報告内容を受け取った他紙との違いを見せつけた。
一面に掲載された滝順一編集委員の記事は、いきなり「中間報告は目的にかなう内容とはいえない」と断じた。その理由はこうだ。
「事故の検証からくみ取った教訓を原発の安全な運転や安全規制の仕組みづくりに生かす必要がある。踏み込み不足の報告では国民の納得が得られず、原子力への信頼回復につながらない」
つまり、財界の機関紙色をいっそう強める日経新聞としては、脱原発という選択肢はハナからあり得ず、「原子力への信頼回復」につながる報告書が必要だと主張しているのである。
どういう報告書を日経が望むのかがはっきりしないが、どうやら原発再稼働につながる安全対策や提言が打ち出されていないと言いたいようだ。
「原発がある自治体の中には、事故の徹底検証を再稼働の条件とみるところもある」とも書いているが、徹底検証とは何かとなると難しい。
そもそも、原発再稼働の理由づくりがこの調査の目的ではない。
あらゆる先入観を排して事故関連の事実を集め、どんな仕組みや考え方が不足していたのか、どうしてシステムが機能しなかったのか、なぜ組織が機能的に動かなかったのかなどを検証しつくして、事故原因の本質に迫るのが目的であるはずだ。
事故調の畑村洋太郎委員長(東大名誉教授)は、少なくとも福島原発事故発生以前、「原発は危険だが便利であり、絶対安全などないということを前提に徹底した事故防止対策を講じるべきだ」と述べていた。今の考えはわからないが、どちらかといえば原発容認論者のようにも思える。だとすれば、筆者とは考えが違っている。
それでも、筆者は畑村事故調を前向きに評価してきた。あえて10人の委員に原子力工学の専門家を入れなかったのは、いわゆる「原子力村」の学者の利害を排除するためだろう。原発を批判的に論じてきた吉岡斉九大副学長も物理学者だ。
ただし、委員とは別に、事故原因等調査チームには原子炉過酷事故解析と原子炉物理の専門家をそれぞれ一名加えている。
もうひとつ重要なのは、経産省が事故調の操縦を画策したにもかかわらず、畑村氏はそれを受けつけず、事務局の官僚に「畑村の考えで進める」と宣言したことだ。
そこで、「畑村の考え」への理解を深めていただくために、筆者が6月16日のメルマガ版で書いた「畑村事故調の骨抜きを画策した経産省」から一部を抜き出して、以下に転載する。
◇◇◇
もともと機械工学の専門家である畑村氏が、自ら「勝手連事故調」「隠れ事故調」と称するように、公的機関とは無関係に、事故原因の徹底究明を本格的に始めたのは、2004年に六本木ヒルズで男児が回転ドアにはさまれて死亡した事故がきっかけだった。
畑村氏は「こうした痛ましい事故が続くのは、事故の原因がきちんと知識化され社会で共有されていないからだ」(著書「危険不可視社会」)と考え、本当の事故原因を検証する私的プロジェクト「ドアプロジェクト」を立ち上げた。
事故を引き起こした人間の失敗には、学ぶべきさまざまな教訓が生きているはずだ。ところが、従来は裁判やメディア報道において、失敗した人間の責任追及ばかりに重きが置かれ、被告側が制裁を避けるため原因究明に必要な真実を隠すようなケースが多かった。
裁判が終わると、その事件事故の記憶とともに、学ぶべき教訓も忘却の彼方に消えてゆく。それでは、被害にあった人々も浮かばれまい。
畑村氏が「失敗の知識化」をめざして、私的に活動をはじめたのはそういう思いがあったからだ。多くの仲間がそのプロジェクトに手弁当で参加してくれたという。
これまでJR福知山線脱線事故や日航の連続トラブル、金融システム障害、リコール隠し、ロケット打ち上げ失敗など、様々な事故やトラブルの原因解明に取り組み、原発関係ではJOC臨界事故などいくつかの問題に切り込んでいる。
もとより原発は、推進、廃絶、縮小など争論のタネになりやすいテーマである。政治やイデオロギー、産業界の利害などとは隔絶された地平で、徹底した原因究明が必要であることはいうまでもない。
◇◇◇
「畑村の考え」は、失敗の知識化であって、誰かの責任追及に重きを置いているわけではない。
日経の滝順一編集委員は同じ記事の中で、次のように書く。「畑村委員長は記者会見で『事故調査と再稼働は別のもの』と強調した。だが国民の期待は、調査で得た教訓を一刻も早く原発の安全な稼働や事故の再発防止に生かすことにある」
日経は滝記者の記事でも、社説でも、「踏み込み不足」という表現で、畑村事故調の中間報告を批判する。
しかしこの「踏み込み不足」は、「原発再稼働」を後押ししていない物足りなさを言い表しているだけであり、日経新聞の社論を基準にした言葉に過ぎない。
いま全国の原発54基のうち47基が停止している。現在稼働中の炉も定期点検入りしてゆくため、このままどこも再稼働しなければ、来春にはすべての原発がストップする。
経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所は来年の夏になって全国の原発がストップしたままなら、国内全体で電力供給が7.2%不足するとの試算を出したが、逆にそのくらいなら、原発全停止でもなんとかなるのではないか。
日経社説は「事故から1年になる来年3月の節目には、掘り下げた検証結果を示してはどうか」と焦りを隠さない。しかし、ここは拙速をいましめ、十分な調査、分析をつくして、真に役に立つ「失敗の知識化」を進めるべきであろう。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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