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危機感がありながらも、現実から目を背け始めた大切な人を、僕も、あなたも、説得できるのだろうか。(木下黄太のブログ) 
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/618.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 12 月 26 日 00:55:42: igsppGRN/E9PQ
 

危機感がありながらも、現実から目を背け始めた大切な人を、僕も、あなたも、説得できるのだろうか。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/7c16c42b47503ee483f838707ca01cbe?fm=rss
2011-12-25 23:59:15  放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」


島田市のガレキ問題は、細野大臣の政治的なエゴイズムがむき出しになっています。ここを突破することで、放射性物質をばら撒きたいという彼の思考は、まるで論理性がありません。狂気の世界です。狂気にはみなで立ち向かうしかありません。疲労が顔に色濃く出ている男が、ここまで言い張る不条理が展開しています。除染を、マスクもせずにボランティアとおこなうという行動を平気でとる人間が、この話をすすめています。僕らはこれに立ち向かうしかありません。

【個別土壌調査】

@「京都市左京区修学院に、畑を持っているので、このたび、やっと土壌検査して頂くことが出来ました。」

セシウム137のみ検出され、3.8Bq/Kg 。(ただし地表十センチの数値のため、本当はもっと大きな値になる可能性が高い。通常は五センチのデータを公開している)

A静岡県三島駅周辺(住所的には三島市ではない場所)、                                    

ストロンチウム90が2Bq/kg検出(セシウム合算およそ40Bq/kgの土壌)。                             箱根より西側でも、ストロンチウムは見つかるようです。フィルタ方式による検出下限のぎりぎりの数値ですが、セシウム合算とストロンチウムの対比が、20:1になっているのが気にかかります。この対比のとおりに、ストロンチウムが出るのはこわい話です。40Bq/kg程度のセシウムの汚染エリアで、やはり気をつけなければならないかもということかとも思います。


 きょうの江東区豊洲の講演会は、嫌なことから書かなくてはなりません。僕は、結論づけてはまだおりませんが、また、気になることがありました。講演会の雰囲気です。なんというか、柏ほどではないのですが、奇妙なゆるさ、弛緩したような空気感がありました。もちろん三連休の最終日、クリスマスの午前中なので、本来ならこんな聞きたくない話をし続けるような男の講演会に来ることそのものがどうかとためらわれるようだと思います。でも来ていただいている。たぶん皆さん、いろんな形での危機感はおありなのだろうと思います。それでも、何とはなしにゆるい空気感が漂います。柏であったような場違いな質問や珍妙な問いかけまではありませんが、都内の中で比較的汚染が強いと考えられるエリアの中でおこなっている講演会とは、やはり思えない感覚です。兵庫の三田市で、避難者のお母さんたちの切実な相談を聞き続けたのに比べれば、本当に違和感が強まります。

 もう少し書くと、個別に講演の後で、ご相談を伺っていると、自分やお子さんに体調の変動がでている、しこりみたいなものがあって、とさえ言われる。でも、検査したら良性だったと安堵して言われるような話です。もちろん、良性にこした事はないのですが、そもそもなかなかおきないことが、どうやらおきていることに、なんと言うか、直面しないようなものの言い方を聞かされます。こういう言い方を聞かされるのは、柏でもありました。ここで二回目です。心配して、僕に個別に聞きに来ているはずなのに、ご自身やお子さんに起きている事実そのものから、少し遠いところに目線があります。この違和感が、とてつもなく、気になります。

 東葛地域から来ていた女性は泣きながら僕に話し続けたため、僕はただ聞き続けた以外に、できることは僕はなかったのですが、彼女は「私も柏でのおかしな雰囲気に違和感を持ち続けている。でも、避難したいと思っているけど、いろんな社会的な障害で考え込んでいると、そのことを思考できなくなる自分がいる」と、おっしゃいます。彼女もいろんな不調が出始めていて、まずいかもという危機意識の中にいる、その意識はあるのだけれども、別の事柄がさえぎると、自分自身が直面しようとしなくなる。その自分の意識と柏のおかしな雰囲気を重ねあわせて泣かれている様子です。僕はここには、大きな本質があると思いました。

 人間というのは、危機が強まれば強まるほど、その危機に直面して対応可能な人間は、ほんの一握りにしかすぎません。おそらく殆どの人々の意識というものは、そうした危機に本質的に対応できるものではないのかもしれません。ある意味、冷酷なことです。そして、汚染程度が強ければ、強いほど、本質的な危機感は強まります。尋常な強さではありません。この危機感に耐えられないがゆえに、人によっては追い詰められるし、人によっては泣き出すし、人によっては常日頃からよりも言説がおかしくなってくる。挙句の果てに、現実の認識がずれてくる。自分や子供の体調不良の認識までも。

 さらに、被曝する場所で居続ける人が、そのまま、その人でありえるのかという疑念も抱きます。放射性物質はやはり脳に影響が出やすい。ささいなことに拘ることも多くなる。被曝程度の強い場所で、正常な思考が続けられるのかとも思います。そういう場所から離れるしかないとも。

 僕の中で最近最も優先的なテーマとも重なってきます。「危機感がありながらも、現実から目を背け始めた大切な人に対しての説得は可能か」ということです。おそらく、実は首都圏に生きているある割合の人々は、こういう落とし穴にはまっていると思います。僕自身も、ずっと説得をつづけているある人の言葉が、いろんな意味でこの匂いが漂ってきています。こういう人の言説や思考は、一見論理的な体裁をととのっているかのように見せることはできますが、避難しないとなぜ考えるのかという問いかけに対して、本質的な回答を持たないということです。僕は何度も何度も問いかけても、ここに明瞭な応答はありません。「あなたを説得できなかったことで、あなたが何かしら傷つけば、僕は一生苦しむことになる」と問いかけても、こういう人は「それは、私が悪いのであって、木下さんは何も悪くない。論理的に木下さんが苦しむのがおかしい」というような答えを返すだけです。ここに、本質的な問答はありません。しかしながら、歯がゆいことに、こうなっている思考形式を固める人間を突破する方法論を、まだ僕は持ちえていてません。大切な人であっても。悔しいです。

 皆さんにも、僕と同じような悩みがあると思います。こうした壁を、何か別の方法で突き崩さないと、この大きな流れがなかなか形にならないと僕は思います。僕自身、何かないのか、何かないのかと毎日、毎日考えています。答えはまだありません。答えにたどりつけないことかもしれません。そういうことではなくて、ある意味、勝手に、大きな流れができないことには、始まらないかもしれません。もしかしたら、もっと大きな流れを僕は作らなければならないのかもしれません。クリスマスの夜になっても、僕は一人で考え続けています。どこまでも。

 ある程度被曝しているエリア(首都圏も入ります)の人、特に子ども、妊婦、妊娠可能な女性は、放射性物質の少ない場所に避難すべきだと僕は考えます。優先順位は「避難する」ことです。慢性的に被曝することは避けるべきですから、できる限り早く避難することをすすめます。


 

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コメント
 
01. 爺さん 2011年12月26日 01:54:59 : pkMRoq8j2xu8g : ERFAskl1So
木下さんには感謝しています。応援しているつもりです。
退避が一番だと思います。
2番と3番は何でしょう。

人生ずっと、1番したいことはできず、1番なりたいものにはなれず、自分をもてあましてきた男の独り言でした。


02. 2011年12月26日 01:55:19 : W0TO5Vahm2
私の場合は、受け入れ側として、仕事や客を紹介出来る用意がない場合は、移住の話はしない。
仕事のパートナーとして信頼できる人物以外にも移住の話はしない。
放射能のことにはあまり触れず、仕事に関することを中心に話をすすめる。
移住してもやっていける目途があれば、若い人ほど動きは早い。
自分ひとりですべての人間を受け入れるのは、当然不可能だから、はなから自分で出来る範囲のことしかやろうとは思っていない。
背負えないものまで背負う気はない。ただ背負えるだけのものは背負おうと思う。
つねに優先順位を考えながら事を進めていると思う。切り捨てている部分があるのは自覚してるが致し方ない。すべては背負えない。

03. ポリーテイアー 2011年12月26日 02:25:01 : trv0OrkwFmReI : w6jnLGPqbg
ペトカウ博士は、低線量の方が危険であることを見つけました。低線量被爆エリアとなった東京は危険です。

「アブラム・ペトカウ博士は、カナダの医師で最近までマニトバ州ピナワにあるホワイトシェル核研究所の生物物理学部門を統括していた生物物理学者である。彼は1971年に少量の放射性のナトリウムを、新鮮な牛の脳から抽出した脂質膜モデルを含む水に加えた。驚いたことに、細胞膜はきっかり1ラドの兆時間照射で破裂してしまった。対照的なことであるが、ペトカウ博士は以前X線を数分間照射し、細胞膜を破壊するのに3500ラドを要するにことを発見していた。彼は、照射が長ければ長いほど細胞に障害を与えるのに必要な線量はより少量でよいのだと結論した。さらに数回の実験をして、彼はこの効果の理由を発見した。放射線照射というのは電子の関数であり、開放された電子は水中に分解している酸素に捕えられ、フリーラジカルと呼ばれる有害な陰イオンになる。陰性に荷電したフリーラジカル分子は、電気的に分極している細胞膜に引きつけられる。このことは、細胞にあるすべての膜の基本構造成分である脂質分子を融解する化学連鎖反応を引き起こす。膜が傷害を受け、内容が漏れ出た細胞は、その傷害を修復できなければ間もなく死ぬ。もしフリーラジカルが細胞核の遺伝物質の近くで形成されると、傷害を受けた細胞は突然変異を起こし生き延びるかもしれない。この現象は、バックグランド放射線でも起こることが証明された。ペトカウは、フリーラジカル生成によって起こる細胞傷害は、吸収エネルギー単位あたりでみると、高線量放射線の方が、低線量の場合よりも少ないことを発見した。・・・フリーラジカルは正常な細胞機能に対して加齢を早める。」グールド「死にいたる虚構」p.152より


04. kristenpart99 2011年12月26日 05:54:44 : 6lghLweqHvN/I : pj0KXIvxBk
「科学より政治方針を優先させてはいけないという教訓は、
原子力の歴史の中で証明済みです。しかし政府は、こりもせずに
“安全宣言”を出してしまいました。(舘野淳・
元中央大学教授(核燃料化学))」

この言葉にあるように、福島原発事故での放射能汚染での
政府の対応は「政治」でしかない。そして経済界からの
「経済的合理性」がその基準になっている。

被曝基準は法律で定められている。その限度もその範囲で放射性物質を
扱える人まで定めがある。それらの「原理原則」を破るのも
国民の生命・財産よりも国として「経済的合理性」と向き合う「政治」が
あるからだ。

「政治」がそうだから、生活者は翻弄される。
生活者のレベルでも敢えて異を唱えるよりも、「経済的合理性」で
どこかで手打ちをする方が昨日の自分のままで居られると思う。

たとえ異を唱えても、自分にそれほど不都合がないと判断すると
もうヤメてしまう。政治や社会を変えるよりも自分で納得して
殻を閉ざしてしまうわけだ。

本来、「政治的都合」や「経済的合理性」とは相容れない
放射能汚染なのに、その相容れない方に自分を寄せていた方が
気が楽だという気持も理解できなくはない。

だが、「科学より政治方針を優先させてはいけないという教訓」
の通り、その結果は科学として生活者に戻ってくる。
つまり「被曝」であり、将来世代の健康被害である。

このジレンマに木下さんも困惑しているのだろう。

以上


05. 2011年12月26日 06:29:56 : E69MsnLwGw
俺は諦めた。正直、忠告以上は出来ないと思うね。

06. 2011年12月26日 08:14:54 : xTBLVK9vu4
責任を誰に押し付ける分けでは無いが ウソ・誤魔化しを流布した政府・マスコミに立腹し また それを真に受ける人たちに 苛立ちを覚えます。
そして 未だに 避難できない自分にも!

07. 2011年12月26日 11:36:43 : N4ysGmxBeU
爺様

退避が一番。
就職が二番。

二番にこだわっているから
一番が遅れている優先順位がまちがっている私。

三番は仲間内の呼び寄せかな。
これすら絶対信じてもらえません。

安心弁当


08. 2011年12月26日 13:10:27 : ivImGi9jsU
過去と他人は変えられません
未来と自分は変えられます

やるべき事を全力でやる
あとは天命に任せる


09. 2011年12月26日 22:40:15 : 545SbpbMvo
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村田メールと旧内務省(その1/2)

亀田総合病院 
小松秀樹

2011年12月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●村田メール
南相馬市に副市長として総務省から出向している村田崇氏(37歳)から、坪倉正治医師(29歳)に送られたメールが問題になっています。坪倉医師は6年目の若手医師で、東京大学医科学研究所の大学院生です。震災後、4月より相双地区に入り、5月より、南相馬市立総合病院の非常勤医師として、ホールボディカウンター(WBC)による内部被ばくの検査、幼児の内部被ばくを調べるための尿のセシウム検査(体が小さすぎるとWBCが使えない)、検診、被ばくについての健康相談、さらには除染にまで関わってきました。南相馬市立総合病院の医師の中では、被ばくについて、もっとも詳しい専門知識を有しています。

坪倉医師はWBCや尿のセシウム検査の技術的問題についての知識を深めるために、東京大学理学部物理学科の早野龍五教授を訪問しました。ここで、早野教授から南相馬市の桜井勝延市長に対し、早野教授側の費用負担で、学校給食を丸ごとミキサーにかけて、放射性セシウムを測定することが提案されていたことを聞きました。坪倉医師は、早野教授から、「南相馬市では検査は不要と断られてしまった。」と聞いて驚きました。今後の被ばくを防ぐのに、食品の検査が最重要と考えていたからです。とくに放射線の影響を受けやすい子供が重要です。

坪倉医師によると、南相馬市立総合病院のWBCによる検査結果では、セシウムが検出された子供のほとんどは、再検査時、セシウム値が低下していました。しかし、無頓着に自宅で作った野菜を食べ続けている大人の中には、体内のセシウム値がまったく低下していない人がいました。

ウクライナの研究機関のホームページ(http://t.co¬/LS4FTnHR)には、チェルノブイリの住民の体内の放射線量の推移を示すグラフが掲載されています。事故後、線量は上昇しました。食品検査を徹底したところ、線量は一旦低下しましたが、10年後、再度上昇しました。ウクライナのWBC研究所の責任者は、坪倉医師に、ソビエトが崩壊し、食品の流通経路が変化したことと食品検査が不十分になったことが原因だったと説明しました。再上昇の後、食品検査を徹底したところ、内部被ばくは再度低下しました。以後、現在に至るまで、ウクライナやベラルーシでは、食品検査と内部被ばくの検査が継続的に、頻繁におこなわれています。
2011年11月11日、坪倉医師は、食品の検査体制の強化が重要なので、早野提案を検討してほしいとのメールを桜井市長と村田副市長あてに送りました。
これに対し、村田副市長から返事がありました。その文面に、坪倉医師は困惑し、私を含む何人かに相談しました。以下、このメールの意味を解析していきます。

「内容の是非はともかく、入口論で副市長という立場にある者から、総合病院の一医師である坪倉さんにはどうしても少し申し上げざるを得ません。」

「特別職に対して原因を調べろという趣旨のメールになっていますから、私に対してはともかく、市長に対しては失礼極まりない行為であり、また、今回のような意見をお持ちでありながら、組織として総合病院がどのような庁内調整をされているのかが全く見えてきません。言葉は良くありませんが、これでは単なる一職員による感情任せの『ちくり』としてしか扱うことが出来ません。ご自身の責任や立場を踏まえられた行動をお願いしたいと思います。」

「この際申し上げますが、WBCや尿検査の問題など、市民を巻き込むような話題において重大な守秘義務違反を繰り返されていることは、極めて遺憾です。これらの問題について何らの反省や状況報告がなされないままで今回のようなメールを頂戴し、上から職員を押さえつけるような事態が生じれば、ますます総合病院の立場は苦しくなるものと思います。これらに加え、県や県立医大に多大なご迷惑をおかけし、これら対応を総合病院ではなく市の側で負わされている現状を考えると、市職員としても、感情的にどうしても総合病院を敬遠せざるを得なくなるのではないでしょうか。」

「総合的に、良識的かつ市職員として最低限守るべきことは何なのかを再度見つめなおしていただき、日ごろの業務にあたっていただければと思います。」

●村田メールとジュネーブ宣言
坪倉医師が困惑したのは、村田メールに、以下のような医師の行動規範と相容れない内容が含まれていたからです。

1)南相馬市立総合病院の一職員である非常勤医師が、市長に直接メールを送ることはあってはならない。「庁内調整」をした上で段階を追って意見を上げるべきである。
2)WBCや尿の放射性物質検査の結果は、守秘義務が課されるべき情報である。

第二次世界大戦中、医師が、戦争犯罪に国家の命令で加担しました。ドイツではこのような医師たちの行為は法律に則っていましたが、ニュルンベルグ継続裁判で起訴され、23人中、16人が有罪になり、7人が処刑されました。断わっておきますが、この裁判自体、戦勝国が正義を敗戦国に押し付けたもので、手続き上、公平なものではありませんでした。新しく作成した規範に従って、過去の行為を裁くもので、大陸法の原則に反していました。

第二次大戦後、医療倫理についてさまざまな議論が積み重ねられ、医療における正しさを、国家が決めるべきでないという合意が世界に広まりました。国家に脅迫されても患者を害するなというのが、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところです。これは行政上の常識にもなっているはずです。ナチス・ドイツでは、国の暴走に医師が加わることで、犠牲者数が膨大になりました。医療における正しさの判断を、国ではなく、個々の医師に委ねなければ、悲劇の再発は防げません。これは日本の医師の間でも広く認識されています。例えば、虎の門病院で2003年に制定された『医師のための入院診療基本指針』の第1項目では、「医師の医療上の判断は命令や強制ではなく、自らの知識と良心に基づく。したがって、医師の医療における言葉と行動には常に個人的責任を伴う。」と定められています。

坪倉医師は、南相馬市で活動する医師の中では、被ばく医療について最も多くの知識と経験を有しています。被ばく問題の重大性からみれば、坪倉医師が市長と内部被ばくの検査体制について直接話すのは当然のことです。事務官を通じて間接的に話すと、誤解、歪曲、握りつぶしが生じかねません。
内部被ばくのデータの取りまとめと解析は坪倉医師が担当しました。このデータは、坪倉医師が、協力した他の医師や学者の合意を得た上で公表すべきものです。法令に基づく権威勾配が関わるべき問題ではありません。法令による強制力を持った権威は、合理的な議論を阻害するので科学と相容れません。宗教裁判という神学による強制力を持った権威が、地動説を排除したのと同じです。「庁内調整」をして、事務官の許可を得た上で、論文なり研究成果を発表するという習慣は、学問の世界にはありません。事務サイドに対しては、公表について、混乱が起きないよう協力を求めるだけです。むしろ、市役所は関わらないようにすべきかもしれません。坪倉医師が知り得た市民の健康についての重要情報を、市民に伝えるのは、坪倉医師の責務でもあります。たとえ公表するなと脅迫されても従ってはならないというのが、医師の常識です。

下に示すジュネーブ宣言は、世界医師会の医の倫理に関する規定です。主語からも分かるように、徹底して個人が重視されています。臨床試験についての規範を定めたヘルシンキ宣言などとともに、日本を含む多くの国で、実質的に国内法の上位規範として機能しています。官庁内での事務官の行動規範とは異なります。

総務省内では、医学上の判断について役人が医師に命令できるというのが常識かもしれませんが、世界には通用しません。

ジュネーブ宣言(2006年版全文。翻訳はウィキペディアより引用)
・私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。
・私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。
・私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。
・私は患者の健康を、私の第一の関心事項とする。
・私は、例え患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。
・私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。
・私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。
・私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職
務と私の患者との間に干渉することを許さない。
・私は、人命を最大限尊重し続ける。
・私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。
・私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

官庁が扱う情報には、建設工事の競争入札での予定価格のように、秘密にすべきものがあるのは間違いありません。しかし、内部被ばくのデータは、通常の行政事務のルールにおいても、隠蔽してよいものとは思えません。村田副市長のような考え方によって、様々なデータが隠蔽されてきたので、市民が疑心暗鬼になるのです。事務職の判断としても、批判は免れません。

2011年10月23日、私は、南相馬市を訪問し、医療再建の相談のために数人の方々と議論しました。かねて、桜井市長から、亀田総合病院に対し、南相馬市の医療再建への協力を求められていたためです。最初に市役所を訪ねて、副市長と面談しました。南相馬市復興顧問会議委員を務める東京大学医科学研究所の上昌広特任教授、たまたま前日仙台で開かれたシンポジウムで一緒だった国際医療福祉大学の高橋泰教授が同席しました。上教授は坪倉医師の指導教官でもあります。高橋教授とはシンポジウムが初対面でした。高橋教授は、シンポジウムの主催者から、私が南相馬市を訪問すると聞き、私に同行を求めてきました。秘密にすべきことは何もないと思っていたので、全ての面談に同席してもらいました。上教授と村田副市長は、その場で、WBCの検査結果の公表の段取りについて相談しました。その際、公表することに対する反対は、村田副市長からは述べられませんでした。市役所の職員が公表を受け入れられるように、準備が必要だという議論がありました。私は、当然、村田副市長が対応するものと思っていました。しかし、公表された後、市役所内部で混乱があり、南相馬市立総合病院が非難されたと聞きました。

●村田メールと日本国憲法
村田メールの下記内容は、村田副市長の姿勢を如実に示しています。

1)南相馬市立総合病院は、福島県や福島県立医大に多大な迷惑をかけた。
2)福島県や福島県立医大に多大な迷惑をかけたことについての対応を南相馬市立総合病院ではなく市の側で負わされている。

村田メールを読むと、南相馬市の行政の最大の関心事が、福島県や福島県立医大の機嫌を取り繕うことにあると理解されます。
私は、東日本大震災でいくつかの救援活動に関わりました(引用文献1)。いずれも、それまで誰もが実施したことのない救援活動でした。新しい取り組みだったこともあり、様々な局面で、行政と齟齬が生じました。行政の、法令と前例に縛られた硬直性、事実を捻じ曲げる知的誠実性の欠如、被災者救済より自らの責任回避を優先する倫理的退廃には、何度も驚かされました。自らの権力を高めるだけのためとしか思えない情報の非開示や小出しは、日常的におこなわれているように思えました。とくに、福島県の対応には、数々の問題がありました(引用文献2,3,4,5,6,7)。
以下、具体例をいくつか示します。

1.福島県は、メディアに対し誤った認識を誘導して双葉病院に対する非難報道のきっかけを作った。
2.福島県福祉事業協会傘下の知的障害者施設の多くは、福島原発の10キロ圏内にあった。急に避難を強いられたため、名簿が持ち出せなかった。利用者の多くは、抗てんかん薬をはじめ、重要な薬剤を投与されていた。法令上、生年月日が分からないと、正確な年齢が分からず、処方箋が書けない。このため、福島県の災害対策本部及び障がい福祉課に対し、生年月日データの有無とない場合の対応について相談したが、自分たちの責任で対応するよう言われ、一切の協力を拒否された。この直後、てんかん発作の重積状態で障害者が1人死亡した。福島県はこれを受けて、投薬などが適切におこなわれているか、避難所に調査にきた。
3.福島県は、南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後、法的権限なしに、書面を出すことなく、口頭で入院病床の再開を抑制し続けた。長期間、入院診療が抑制されたため、民間病院の資金が枯渇した。病院が存続できるかどうか危ぶまれる状況である。
4.福島県・福島県立医大は、被ばくについて、市町村が、県外の医師たちに依頼して実施しようとした検診をやめるよう圧力をかけた。
5.福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、被災者を対象とする個別の調査・研究を、差し控えよとする文書を学内の各所属長宛てに出した。調査は行政主導でおこなうので、従うよう指示するものだった。
6.南相馬市立総合病院の院長が、関西の専門病院の協力を得て、小児の甲状腺がんの検診体制を整えようとした。講演会や人事交流が進められようとしていた矢先、この専門病院に対し、県立医大の教授から、福島県立医大副学長の山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が不可能になった。
7.南相馬医師会の高橋亨平会長と協力者が、飯館村で除染の効果を検証するための実験を実施しようとしたのを、福島県が阻んだ。

行政と学問の関係は注意が必要です。先に述べたように、行政が学問を支配すると、行政の都合でデータの隠蔽や歪曲が生じてしまいます。内部被ばく検査についても、複数の施設が、独立した形で関わるべきです。それぞれが成果を発表し、議論するのが学問のあるべき姿です。意見の違いが、進歩を生みます。互いにデータを検証するのは良いにしても、県が一括管理すると、隠蔽が生じたり、行政の都合で医学上の正しさが捻じ曲げられたりする可能性があります。
南相馬市の行政の最優先事項は、福島県や福島県立医大の機嫌ではなく、南相馬市民の幸福です。南相馬市立総合病院は、福島県・福島県立医大に対して、WBCのデータを1件5千円で譲ることを拒否しましたが、これはデータを行政が一括管理することのリスクを考えれば、当然のことです。これをもって、福島県や福島県立医大に多大な迷惑をかけたとするならば、基礎自治体の職員としての姿勢が問われます。

県庁の機嫌を市役所が取り繕わないと、総務省-福島県経由の予算に影響があるとすれば、副市長が県庁の機嫌を気にするのは理解できます。しかし、そうだとすれば、総務省と福島県に問題があることになります。県の裁量で予算を市町村に分配すると、県に過剰な権力が生じ、県と市町村の行政をゆがめます。総務省からの市町村への予算配分は、県を介在させない、あるいは何らかの方法で、総務省や県の裁量の余地を小さくすべきです。
実際に、福島県の復興予算要求は火事場泥棒とでもいうべきものでした。復興とは、被災者の生活が再建されることですが、福島県は、復興予算を、被災地や被災者に振り向けず、県立医大病院に病棟を建設するなど、本来県の通常の予算でおこなうべきことに使おうとしています(引用文献8)。

そもそも、総務官僚が、県や市町村に幹部として出向するのは、過剰な権力が生じていることの証のような気がします。メディアの監視が県レベルに及んでいないため、地方自治における権力は、権力の自覚と用心深さを欠きます。福島県や村田副市長はその典型ではないでしょうか。南相馬市立総合病院の動きは、住民のためとはいえ、総務省-都道府県-市町村の権威勾配を脅かすものでした。村田副市長は、自分がどのように見られているかを考慮しつつ、注意深く対応すべきでしたが、総務省の権力を客観視できず、当然のものと思っていたので、ただただ不愉快に感じて抑制を失ったのかもしれません。

いずれにしても、福島県の機嫌を損ねたことを理由に、震災で大活躍した南相馬市立総合病院を非難してよいものでしょうか。原発事故後、南相馬市立総合病院の常勤医師は12人から一時は4人にまで減少し、看護師も半減しました。医師、看護師が中心になって、給食や清掃の外部委託職員がいなくなった中、入院患者を守りぬきました。被災地の病院としては、最も早くから、WBCを導入して内部被ばくの検査をおこなってきました。これに対し、福島県は、これまで述べてきたように、不適切な対応が目立ちました。福島県への機嫌の取り繕い方よっては、南相馬市立総合病院を貶めることになりかねません。これは市民を貶めることに他なりません。

戦後制定された日本国憲法が、最高の価値として掲げているのは個人の尊厳です。日本国憲法は、国家権力を制限して、個人の自由を実現するという基本構造を持っています。これは、立憲主義とよばれ、近代憲法の基本的な考え方です。日本国憲法92条にある「地方自治の本旨」は、地方自治を、個人の尊厳を守るという目的に奉仕させるための文言と理解されています(高橋和之『立憲主義と日本国憲法』有斐閣)。このため、住民が、首長や地方議会の議員を選挙します。県という大きな単位があるのは、市町村では国に対抗できず、個人の尊厳を守れないからとされています。

しかし、この建前は実態と異なり、今も、総務省が、県を通じて市町村を支配する状況が続いています。明治憲法下では、県知事は勅任官であり、選挙されていませんでした。県庁は、内務省の出先機関でした。内務省が県を通じて全国をくまなく支配しました。立憲主義を基本とする近代憲法は、市民革命から生まれましたが、日本には、市民が君主と対峙して権利を勝ち取る歴史はありませんでした。市民階級の自立の弱さが、戦後も旧内務省的支配を存続させたのではないでしょうか。

私は、村田メールに、立会人がいない取調室の雰囲気を感じます。戦前、警察や特別高等警察は、旧内務省所属の機関でした。旧内務省は絶大な権力を持っていました。効果的な抑制手段がなければ、恫喝が行政の常套手段になるのは、容易に想像がつきます。
市町村側の力量がしばしば不足しているので、総務省が必要なのだとする意見があります。例えば自治体の合併などの大きなプロジェクトでは、総務省の手助けがないと、実行できないところがあったそうです。もう一つ、日本の国民は、自治体の暴走にたいするチェック役を、総務省に期待しているように思います。いずれも、自分の生存と尊厳を、自力で確保せずに、お上頼みにしようとする論理です。ところが、日本政府は制度疲労のため、機能が大きく低下しています。お上頼みの害は、住民の自立に伴う不利益より、桁違いに大きくなります。地方自治体の首長は、問題があれば、比較的簡単に選挙で交代させられるのです。住民の不利益は住民の責任なのです。

引用文献
1. 小松秀樹:大規模災害時の医療・介護. 『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』pp64-73, 全労済協会. 2011年6月.
2. 小松秀樹:病院の震災対応 病院ごとの事前マニュアル作成のすすめ. pp123−128, 経済セミナー増刊. 復興と希望の経済学. 経済評論社2011年9月.
3. 「原発30キロ圏」の医療が崩壊. 『選択』7月号,100-101, 2011.
4.福島県の横暴、福島県立医大の悲劇. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン;Vol.277, 2011年9月27日. http://medg.jp/mt/2011/09/vol277.html
5.小松秀樹:災害時の医療と自立した個人のネットワーク. 医療救援活動戸災害弱者へ対策への提言. 外来小児科. 14; 315-324, 2011.
6.小松秀樹:無理です山下さん、やめてください福島県(その1/2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.318, 2011年11月18日.http://medg.jp/mt/2011/11/vol318-12.html
7.小松秀樹:無理です山下さん、やめてください福島県(その2/2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.319, 2011年11月19日. http://medg.jp/mt/2011/11/vol319-22.html
8.小松秀樹:福島県の横暴、福島県立医大の悲劇. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.277, 2011年9月27日. http://medg.jp/mt/2011/09/vol277.html

(その2/2につづく)
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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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10. 2011年12月27日 00:12:28 : pyf9PkrBc2
説得する必要がないし相手からしたら余計なお世話であることに気がつかねばならない。

11. 2011年12月27日 00:40:32 : XZWCRAyTMM
福島の事はそっとしておきましょう。それより、放置しておくと危ないのは、下のような事。日本は、ノモンハンの後にガダルカナルという具合に「大失敗を何度でも性懲りも無く繰り返す国」でもあります。ご用心あれ。それとも、みんなは、関西、九州あたりでお茶を濁さず「沖縄」「諸外国」に移住済み?

「メルトダウンを防げなかった本当の理由」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?P=6

「事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順」


12. 2011年12月27日 09:19:07 : ffyPUpbv0w
http://www.soumu.go.jp/main_content/000058312.pdf

リアルな「現場感覚」から「国」を創る
長崎県総務部財政課長(参事監)
村田 崇

 私は、石川県金沢市で育ち、大学時代を東京で過ごし
ました。その後総務省(旧自治省)に入り、宮崎県へ赴
任、現在は長崎県と各地で生活してきました。故郷金沢
と九州は(そして勿論東京もですが)、言葉にも文化に
も大きな違いがあり、同じ九州でも宮崎県と長崎県で
は様々な点でやはり大きな違いがあります。日本狭し
といえども、隣町に行けば文化が違い、祭りが違い、食
べ物までもが異なり、地域ごとにそれぞれ特徴がある
のが我が国の姿です。
 私は現在、そんな我が国の姿の「縮図」とも言える長
崎県に勤務しています。長崎県は、異国情緒あふれ華や
かな観光都市長崎や、米軍の色彩が垣間見られる佐世
保、五島・壱岐・対馬をはじめとした多くの離島など、そ
れぞれの地域が長年にわたり独自の文化を育んできて
おり、到底一つの県とは思えない程に大きな違いが見
受けられます。
 地域の多様性は政策の多様性にもつながります。長
崎県の景気・雇用対策を例にすると、もともと半農半漁
を生業とし、高度成長にあわせ公共事業へと産業構造
をシフトしていった離島地域は、一次産業だけでは地
域を支えきれず、公共事業の減少が即地域経済の破綻
に繋がりかねない一方、造船業中心に発展してきた長
崎あるいは佐世保などの都市部では、製造業対策こそ
が最大の景気・雇用対策となります。我々行政マンはこ
うした地域の実態を踏まえた施策を推進しなければ、
住民満足度の向上どころか雇用や安全・安心という行
政の根幹分野においてさえ結果は出せません。そして、
地域の実態は直接地域住民の皆さんからのお話を聞
き、肌で感じることでしか得られないものだからこそ、
どの地方自治体でも「現場第一主義」で地域の声を直接
反映させた様々な施策を展開しているのです。
 私は上京、そして総務省に入省するに際して一つの
志がありました。それは、「自分の住むまちは自らの知
恵と工夫によって守り、育てられる国にしたい」という
ものです。その思いは今も変わりません。そして私に
とって、その思いを実現するカギが総務省と地方自治
体なのです。総務省では地方自治体全体の仕組みを作
ることで、「自分の住む町を自らの知恵と工夫によって
守り、育てられる国」の「土台づくり」をしています。地
方自治体はその土台の上で、創意工夫のもとに現場第
一主義の仕事をしています。私は現在、現場の様々な実
態を学んでおりますが、東京に戻ればこの経験を活か
して国や地域の「土台づくり」をすることになります。
皆さん、私達とともに全国の「現場」で学び、住民の声を
最大限活かしていくことのできる「国のかたち」を一緒
に創っていきませんか!?


13. 2011年12月27日 15:17:40 : 545SbpbMvo
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村田メールと旧内務省(その2/2)

亀田総合病院 
小松秀樹

2011年12月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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(その1/2よりつづき)

●日本の危機的状況とトクビルの自由主義
今、日本は危機的状況にあります。急速に貧しく、高齢化しつつあります。平成21年度の国民健康保険被保険者3954万人の、1世帯当たり平均所得は158万円でしかありません。被保険者の所得は、14年間で3分の1減少しました。平均保険料は14万8千円でした。収入からみると残酷といってよい額です。12%の世帯は保険料を払っていません。国民皆保険はすでに破綻しています。これまでの医療・介護サービスは維持できなくなりつつあります。厳しい状況の中で、それなりに満足して人生を全うしてもらうために、医療や介護をどうしていくのがよいか、解決策は見えていません。

国家公務員は、自由な立場で、新しい試みを考え出して、それを実行することは許されていません。村田メールに言及されている庁内調整とは、端的に言えば前例のない活動を潰す作業ではないでしょうか。官僚には、未来に向かって、斬新な方法を考え出して、危機的状況を突破する能力は、原理的に期待できません。日本中で、活力を持った個人が、知恵を振り絞って、様々なことを試みなければなりません。めったにないであろう成功体験を、日本中で共有しなければなりません。

活力のある個人の活動は、社会を大きく変えます。未来のスティーブ・ジョブズ(アップル)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリン(グーグル)が活動を開始した時に、彼らの活動を抑圧してはならないのです。村田メールは、突出した個人を抑圧することにおいて、横並びを強いることにおいて、極めて日本的です。

南相馬市では、これから、被災者が暮らすためのまちづくりが始まります。まちづくりは、高齢化日本の閉塞状況を解決するための実証実験のようなものになります。解決の糸口を見つけ出すとすれば、南相馬市のようなフィールドで、これまでにない活動にチャレンジする若者ではないでしょうか。村田メールは、南相馬市の未来の可能性を閉ざす方向に働きます。

フランスの政治哲学者アレクシス・ド・トクビルは、『アメリカの民主政治』で、中央集権を政治的中央集権と行政的中央集権に分類し、前者は評価しましたが、後者については疑問を投げかけています。トクビルの180年前の文章を、村田副市長にも読んでいただきたいものです。日本の現在の危機について書かれたように感じます。以下、トクビルの文章を引用します。内容をまとめた見出しは筆者によります。

行政的中央集権は、現状維持はできるが、社会を前進させることはできない。
「中央集権は、日常の事務に規則正しい様子を加味したり、社会的警務の詳細事を巧みに指導したり、軽度の無秩序と小軽罪とを抑制したり、本来退歩でも進歩でもない「現状」に社会を維持したり、行政官たちが良秩序と公安とよびなれている一種の行政的半睡状態を社会のうちに育成したりすることには容易に成功する。つまるところ、中央集権は進んでおこなうのでなく、防止することではすぐれている。ところが、社会を深くゆり動かしたり、社会を速く前進させたりすることが必要な場合に、中央集権は全く無力なのである。」(講談社学術文庫『アメリカの民主政治 上』182ページ)

国家が、細かいところまで全国民を指導すると、国家が絶対的な主人になり、国家が衰えると全てが衰える。
「ある権威があるとする。それは、わたくしの歓楽が平穏に満たされるのを見張っており、わたくしの行く先々を先廻りして、わたくしが心配しないでもすむようにすべての危険を免れるようにしてくれる。この権威はこのようにしてわたくしが通過する途上でどのような小さなとげも除いてくれると同時に、私の生活の絶対的な主人でもある。そしてまた、この権威はそれが衰えるときにはその周囲ですべてのものが衰え、それが眠るときにはすべてのものが眠り、それが亡びるならばすべてのものが死滅するにちがいないほどに、それが運動と生存とを独占している。」(講談社学術文庫『アメリカの民主政治 上』184ページ)

行政的中央集権は、活力ある個人を抑圧し、国民を羊のようにしてしまう。政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。
「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。 人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。」(ウィキペディア「自由主義」からの孫引き 講談社学術文庫『アメリカの民主政治 下』560ページに相当)

●給食セシウム検査のその後と南相馬市の現在の危機
2011年11月30日、東大の早野教授が桜井市長と面談しました。桜井市長は給食の検査を実施したいという姿勢でしたが、同席した教育委員会事務局の職員は、大人の方が大事だから、子供から検査する意味が分からないとして、終始反対したとのことです。早野教授はツイッターで発信しました。

僕が一ヶ月前に桜井市長宛に送ったFAXは、教育委員会が握りつぶしていた事が本日判明。子供の食を測定する前にまず大人の食の安全を確立すべきと主張する南相馬教育委員会の実態に愕然。市長は私の主張を正しく理解されたが、これじゃ前途多難。
市長が退席すると、教育委員会の職員は「ということで、この件は無かったことにしてください」と締めくくったとのことです。
教育委員会の職員は、南相馬市の現在の危機を理解していないようです。震災直後は市民の生命が危機にさらされていました。今は、地域社会が存亡の危機にあります。番場さち子氏の文章が、切迫した状況を雄弁に物語っています。

「お年を召した患者はいる。だが、若い者はいない。働く場所はある。だが、働く人はいない。緊急時避難準備区域が解除されても、働き手が帰って来ないのである(引用文献9)。」

南相馬市の最大の問題は、人口問題です。2011年11月27日の南相馬市復興シンポジウムの基調講演で、藻谷浩介氏が延々と人口問題について話していました。震災後子供の数が激減しました。出産がほとんどなくなったので、現状を維持するだけでは、いずれ市は消滅します。まず、学校の除染をして、全ての学校を再開しなければなりません。その上で、わくわくするような希望のある大きな動きを演出して空気を一変させない限り、地域社会崩壊の流れは止められません。

ポイントは若者と広報です。まちづくり、医療・福祉の再建の主導権を若者に持たせること、外部から若者が入ってくるのを促進すること、それを物語として実況中継することです。広報も若者に任せなければ、若者を引き付けることはできません。先端産業の誘致は誰もが口にしますが、雇用されるべき若者がいなければ、全く意味がありません。まちづくりや医療・福祉という基礎自治体の根幹部分の再建に若者を参加させることが、先端産業の誘致よりはるかに重要だと思います。
もう一つのポイントは、高齢化社会へ対応です。高齢化は、日本だけではなく、中国、韓国など東アジアの国々の最大の問題です。南相馬市では、仮設住宅4900人の住むまちを新しく作らなければなりません。通常のまちづくりでは、使えなくなった既存部分を、スクラップしていく過程が最大の問題になります。今回は、この部分がないだけに、大胆なまちづくりが可能です。高齢化社会のまちづくりを、現在進行形のいくつかの物語として演出して、経過を逐一発信できないものでしょうか。

いずれにしも、若者を引き留め、ひきつけるには、子供の被ばく対策を徹底すること、情報を開示すること、教育を充実させることが必須条件です。
教育委員会の職員は、目先の仕事量を増やさないことだけを考えているように見えます。南相馬市では、教育委員会の職員が、委員による検討を経ずに、市長の意向を無視してよいのでしょうか。私は、教育委員会の仕事が、未来永劫存続すると信じて疑っていない様子にびっくりしてしまいます。子供がいなくなれば、教育委員会は存在理由がなくなります。

●役人保護バリアのほころび
村田メール事件が、12月18日付の朝日新聞「プロメテウスの罠」に取り上げられました。記事によると、記者はメール問題で村田副市長に取材を申し込みましたが、南相馬市役所の秘書課から取材を断られました。記事の最後に、南相馬市の秘書課長の発言が引用されていました。

「市立病院をいかに守り、市民のために機能させていくか検討している最中なので、いまは回答できません。それより、市役所内の話がどうして外部にもれたのか」

この発言には二つの問題があります。第一は、村田副市長と同じく、「市役所でひどいことをするより、それを外部に流すことがもっといけないことだ」と主張していると理解されます。ひどいことがおこなわれていれば、表に出るのは当然です。そもそも、医師は、これを内部の議論とは思っていませんし、村田市長とのやり取りに守秘義務が及ぶとも思っていません。

象徴的な事件を紹介します。1999年、都立広尾病院で、消毒薬が誤って静脈内に投与されたたため患者が死亡しました。院長は、警察への届け出を決意しましたが、東京都病院事業部副参事の反対を受けてこれに従いました。東京都副参事、院長の行動には問題がありました。とくに、院長が都庁の事務官に従ったことは大きな問題です。副参事は罪に問われませんでしたが、院長は医師法21条違反で有罪が確定しました。この最高裁判決は、医師の間では評判が悪いのですが、私は良い影響もあったと思っています。判決は、医師の判断は、医学と自身の良心に基づくべきであって、事務方の事情に基づく判断に従うべきではないという強いメッセージになりました。事務官には、医師の責任の肩代わりはできないのです。

もう一つは、市役所の姿勢です。市役所は、支援を期待して、福島県と福島県立医大の機嫌をとることが、病院を守ることだと判断しているようです。しかし、福島県立医大の医局は、南相馬市で、急性心筋梗塞に対処できる専門家を引き上げたにもかかわらず、病院が他から専門家を招聘するのを阻止したことがあります。この結果、南相馬市では、急性心筋梗塞の治療ができなくなりました。さらに、福島県のさまざまな医療現場から、原発事故を契機に、福島県立医大の医局を多く医師が離れていると伝わってきました。福島県立医大は、南相馬市を支援できる状況にはないようです。医局は、法律に基づかない自然発生の排他的運命共同体です。外部の医師に対して、参入障壁として存在してきました。福島県と県立医大ばかり見ていると、外からの支援を排除することになりかねません。

私は、村田氏が、坪倉医師と南相馬市立総合病院に対して、なぜ、早い段階で謝罪しないのか不思議に思っていました。日本の医師は、1999年以後の医療バッシングで鍛えられました。自らの行動に問題があると思えば、素早く、適切に謝罪をします。これが、事態の悪化を防ぎ、自分を守ります。私の見るところ、官の権力は、役人から危機に対する認知能力と対応能力を奪っています。彼らは野生では生きていけません。通常の社会人は、自らの安全のために、周囲に気を配り、真摯に危機に対応します。役人は、国-県-市町村の権力による役人保護バリアが、インターネットの発達によって、ほころびつつあることを肝に銘じておくべきです。

引用文献
9.番場さち子:地域医療亡くなる不安〜南相馬市の現状. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.341, 2011年12月16日. http://medg.jp/mt/2011/12/vol341.html

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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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14. 2011年12月27日 15:37:22 : 545SbpbMvo
副市長として住民の生殺しを進めている村田祟という人は
明治時代の福島県令だった三島通庸を彷彿とさせる。

福島への国権にとる弾圧や収奪は、今に始まったことではなく、
薩長売国奴によるクーデタ以来、戊辰戦争をピークに延々と続いている。

津軽への原子力施設の建設も、やはり明治政府が福島の藩士たちを弾圧
追放した延長上の出来事だ。

戊辰戦争以来のジェノサイドで、福島の優秀な人々は根絶されてしまった
感がある。

福島県を貶める意図がないが、福島県の代表的な出身者として連想できるのは
ロックフェラーのバイオ実験苦力(クーリー)として浪費された野口英世、
チンピラのまとめ役として大陸で軍の命令で山賊を行なっていた(そして
戦後はアメリカの駒として売国にいそしんだ)児玉誉士夫、
それに日本映画界のピエロ、西田敏行くらいなものだ。
さらにつけくわえるなら、今年の8・15に「コンサート」という名の
集団野外被曝集会を開いた元スターリンの遠藤みちろうくらいなものか。

権力の犬しか育ってこなかったのか?

三島通庸県令を爆殺する、という意図で明治期にはいくつかの謀叛も
計画されたが、おっちょこちょいの跳ね上がり連中のせいで大失敗に
おわり、後世の笑いぐさになってしまった。

福島の現状をみると、山上たつひこの「光る風」を連想させる異様な
圧政、窒息状況を見ざるを得ない。

愚痴っぽいことを縷々述べたが、結局、福島の「復興」は、戊辰戦争以前
のこの地域の在り方まで振り返って考えないといけないのかも知れない。
この地域の人間の社会が、家畜社会・動物農場のようなものであったと
いうこと自体が、原発の10基もの誘致もひっくるめて、すべての元凶
だったとも想えるからだ。


15. 2011年12月27日 19:27:27 : MPjrZRTGRY
無力ながら福島県住民の避難を応援している県外の者です。
木下さんの被曝への警告やそのための活動は正当です。
しかし、木下さんは、転倒しています。
木下さんは「正しいこと」を言えば、人はそれを受け入れるはずなのにそうならないと苛立ち、一人芝居を繰り広げています。
人にとって、正しいことは多面的です(放射能問題だけではなく、また、この問題の中でも多面的です)。人の行動は、一人一人単一ですが(たとえば避難するかしないか)それを決める要因は無限に複雑で多様です。
考えは一致しないことが前提、「正しいこと」で説得できないことがあたりまえです(なぜなら、相手の行動を規制する要因のすべてなど他人にはわからないし、自分自身でも多くがわかりません)。
違うことを前提に、すこしでも接近させること、それをプラス思考でとらえ、さらに、(それが正当ならば)様々な面から積み上げることが必要です。
自分がこんなに正しいことを言っているのに………という「なのに」思考に陥ったらおしまいです。そこから思考が広がらなくなります。そこからくるマイナス思考は、自分も他人も傷つけます。
木下さんには、このことを経験を通じて学んでほしいといつも感じます。

木下さんが、まだ答えがない、と最後に言っているところは、反対に、答えがありすぎるのではないでしょうか。

なぜ避難しないのかの「反定率」として、当然のことながら、なぜ避難が難しいのかの面から考え、双方の面をつきあわせてゆく思考でなければ、避難を促進し応援することも妨げるようにすらなりかねません。これは、仮に避難が順当に、自分の思うように進んでいるときですら、常に考えなければならないことです。


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