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(書評)
ガンを見すえて生きる―告知からの出発 [単行本]
青木 日出雄 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%99%E3%81%88%E3%81%A6%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E2%80%95%E5%91%8A%E7%9F%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%99%BA-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%9B%84/dp/4062036967/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1324821314&sr=1-1
5つ星のうち 5.0
一人の癌患者が見たチェルノブイリ原発事故と日本の情報公開, 2011/12/25
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私はこれまで、航空という専門分野の仕事にたずさわってきて、およそ仕事上の科学的考えと態度を生き方の中にもしみこませている。
そんな私が、ガンにかかった。どうしても、すべてを明らかにして、ガンと闘おうとしてしまう。そうしないと何だか、自分でないような気がしてしまうからだ。
(本書233ページより)
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本書の著者である青木日出雄氏(1927−1988)は、1988年に、癌でこの世を去る直前まで、精力的な言論・評論活動を行なって居た著名な航空評論家であった。青木氏は、陸軍士官学校を卒業し、戦後、電気通信省に入省。1956年には自衛隊に入隊するが、退職後、航空機関係の記事執筆を開始し、1974年には航空ジャーナルを創刊し、自ら編集長を務めた。青木氏は、航空機と軍事問題に精通し、かつ、その解説が分かりやすかった為、航空機事故が起きた際などには、テレビに非常に頻回に登場し、技術的な事柄を解説して居た。この本は、その青木日出雄氏が、甲状腺癌を患ひ、手術を受けた翌年(1986年)、チェルノブイリ原発事故の報道に関はる中で、癌の告知の問題と、原子力を巡る情報公開について考え、悩み続けた日々を回想した、青木氏の遺言とも呼べる貴重な一書である。青木氏の癌とチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の間に、もちろん、直接の関係は無い。しかし、その二つの事柄が、青木氏の人生において深く関はり合ふ事に成ったいきさつを、この本の中で、青木氏は、こう回想して居る。
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私は、チェルノブイリ原発事故の報道の中で、自分がガンであることを告白した。テレビを通じて視聴者に放射能の本当の姿を知ってもらいたかったからである。
ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年の4月末、正確には、26日午前1時すぎと伝えられている。しかし、日本にそれが情報として入ってきた
のは、28日の午後。それも、ソ連が直接発表したものではなく、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなど北欧の各国で、大気中の放射能に異常値が観測され
たというニュースによってであった。その原因は「多分、ソ連の原子力発電所などで、放射能もれがあったのではないか」というのである。
ソ連からの正式発表は、29日午前2時(ソ連時間では28日午後9時)で、国営タス通信によるもの。チェルノブイリ原子力発電所で事故という簡単なものであ
った。
私はその日から2週間の間に、合計7回、このチェルノブイリ事故の報道に関連してTBSテレビの「情報デスクTODAY」に顔を出した。本来なら、誰か原子
力の専門家にお願いして出演して頂くのが本筋だと思うが、その分野の方はどなたも内容が内容だけに敬遠されたらしい。「情報デスク」の担当者が電話の向こうで
困りはてている様子が目に浮かぶ。
「もう他に誰もいないんです。みなさん事故という文字に敏感で、“かんべんしてほしい”といわれるんです。こうなったら、もう青木さん以外にいないんです。何
とかお願いできないでしょうか」「しかし、私は専門家ではないし・・・・」「でも、考えてみたら、原子力発電所を作るわけではなくて、それが破壊された後のこ
とが中心になりますね。知りたいのはその点だから、そうなると、青木さんが適任ということになりませんでしょうか」
(中略)
チェルノブイリの周辺は、事故が起きてからもう三日が経過し、大変な事態に陥っているにちがいなかった。 私は、4月29日の放送から、連日、チェルノブイリ
の報道にたずさわることになった。
(本書8〜11ページより)
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私は、1986年のこの放送を見て居た一人である。青木氏が、自分がガンである事をニコニコしながら告白するのを見て、驚いた事を記憶して居るが、こうした経緯で、自らが癌にかかって居る事を告白した青木氏は、その後、チェルノブイリ原発事故の報道に関はる中で、日本の原子力行政が、原子力に関する情報を公開しようとしない事を強く感じ、批判の気持ちを抱く様に成る。青木氏は、原子力発電その物には反対しない立場の論者であったが、本書の中で、青木氏は、例えば、次の様に述べて、日本の原子力行政の在り方を批判する。
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1986年4月26日の事故がはっきりした29日以来、見事に原子力の専門家の間で報道管制がしかれた。いや、しかれたのではないかと私は思っている。
なぜなら、そのとき以来、テレビや新聞などに、原子力研究所、科学技術庁、電力会社など原発の関係者が、依頼をしても誰も出てこなかったのだから。
TBSの「情報デスクTODAY」でも、依頼をすれど、誰も“ノーコメント”。「どうも、科学技術庁が原子力委員会あたりにかんこうれいをしいたよう
ですね」それ以外に考えられない事態となったのである。
もちろん、彼らは「止められている」とはいわない。断る理由は一様に、「状況がわからない」。加えて、「チェルノブイリの黒鉛チャンネル型原子炉は、
特別な原子炉で、我々はそれを扱ったことがないのでまったくわからない。不正確な話になっても困るから、お話しするのも遠慮したい」という。どこへ依頼
しても、ほぼ同じように断られてしまったということだった。
結局、テレビなどで意見をいったのは、私と立教大学の服部学氏だけだった。実際、好意的にみても、原子力関係者が出てこなかったのにはいろいろな理由が
考えられる。一つは、とにかく原子力関係者は“事故”に触れるのを極端にいやがる。それが“原発反対運動”のもとだから、事故に触れられることを非常に
怖れている。
もう一つは、日本では原子力の専門家はいるけれど、原子力の事故の専門家はいないということだ。原子力を仕事にしているから知識はあるが、現実に今まで
扱ったものは、パイプにちょっと穴があいたとか、間違ってバルブを開いて水を流してしまったとかいう程度の事故なので、原子力の大災害の経験者がいないの
である。原発は以前にアメリカのスリーマイル島でも事故を起こしているから、大災害についても、専門家は知っているかも知れないが、それをいうと、原発は
「だから危険だ」といわれるから「いわない」。
そのため、原発事故後の日本についての影響と対応策という点では、科学技術庁も統一見解が出せなかった。原子力発電所は事故がない、という前提に立って
いるものだから、事故後の対応については対策が“ゼロ”といっても過言ではなかったのである。
(本書220〜221ページより)
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そして、青木氏は、この様な驚くべき事を述べて居る。
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チェルノブイリの原発事故が起きたとき、まっ先に日本の原子力研究所や科学技術庁が強調したのは、日本の原発は安全ということであった。その理由は、ソ連のチェルノブイリの原子炉が、黒鉛チャンネル型の原子炉であること。事故はあたかもそのタイプの原子炉が原因であるかのような印象を植えつけようとしていた。日本の原子力発電所は沸騰水型原子炉でタイプが違うから安全というのである。
(中略)
事故後、アメリカの原子力委員会が検討したところ、現在使用されている西側の沸騰水型原子炉も、初期に作られたマーク'Tと呼ばれるものは、重大事故の際に格納容器が破壊される恐れありとしている。もちろん改善の余地はあるのだが、チェルノブイリ事故と同様の爆発で放射性物質をまき散らす可能性はあるわけだ。
アメリカにはこのタイプが22基、日本にも10基あり、福島原発1〜5号機、浜岡原発1〜2号機、島根原発1号機、女川原発1号機、敦賀原発1号機がこのタイプの原子炉である。
それがただちに危険だというわけではないが、ソ連のものとは形式が違うので日本で起こりえない、と考えるのは論理的ではない。日本の原発が安全という理由にはならないのである。
その上、原発事故が、原子炉そのものの故障とか、構造上の不備によるものよりも、その原子炉を運転する操作員との関連で起こる可能性が高いと考えれば、さらにその恐れは大きくなるに違いない。
現に、チェルノブイリの事故は、人為的なミスによって起こったのである。
(本書227〜229ページより)
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福島第一原発の事故を経験した私達がこの箇所を読む時、青木氏の懸念が見事に現実と化した事に驚くのは、私だけではない筈である。
この様な内容の本書を残して、青木氏は、世を去った。東日本大震災と福島第一原発の事故を経験した今、この本は、もう一度、広く読まれるべきであると、私は思ふ。
(西岡昌紀・内科医/平成23年(西暦2011年)のクリスマスに)
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