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秋場龍一のねごと ブログ
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東電社長語る。第2弾。「責任を取るという言い方が正しいと言うことはともかく」
【ただちに危険だ! 原発通信】bQ8
東京電力の西沢俊夫社長は朝日新聞のインタビュー(12月7日デジタル版)で東電が除染作業に参加するのは「ボランティアで、協力であり、お手伝い」と語ったが、これ以外にも数多くの「はあっ?」発言を連発している。まずはつぎの朝日新聞の質問にこたえる西沢社長の発言(とくに筆者が引いたアンダーライン)にご注目いただきたい。
――東電の原発事故中間報告書が2日に出ました。「国と相談しながら、安全対策をしてきたが、想定を超えた津波が来てしまった。結果的に事故が起きてしまった」という内容で、東電として事故の責任をどう考えるか、あいまいでした。
「国といっしょになってやってきたというのは、アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)も含めて、我々としては安全の対策をそのつど、講じてきたのは確かだと。ただ、やはり、今回の事象を思うと、結果的には、電源がなくなり、冷却が行えなくなり、放射性物質を外に出してしまったということは、事実としてこれを受け止めて、おわびしなければいけないと思っている。(中略)それから、いろいろおしかりを受けて、改善しながらやっているが、賠償だ。我々としてやれることはやらないといけないという思いがあり、私自身もそう思う。事故の収束、安定、賠償きちっとやり遂げることが、責任を取るという言い方が正しいと言うことはともかくとして、それをやるということが、大事だ。法的にうんぬんということとは、また、別だが。それを除いても、われわれとして当事者としてやるべきこととして、この二つはやらないといけないと強く思っている」(朝日新聞12月7日デジタル版)
この西沢社長の発言も突っ込みどころ満載だ。
まず「我々としては安全の対策をそのつど、講じてきたのは確か」についてだが、これは真っ赤なうそだ。それはNHK・Eテレで12月11日放送されたETV特集「シリーズ大震災発掘・第1回・埋もれた警告」を観るだけで明らかだろう。
福島沖に大地震が近い将来、起こる可能性の高いことを警告していた数人の専門家がいた。大地震や大津波が「想定」されていたのである。しかし、東電や文科省、経産省、それに御用学者は、この「想定」をいろいろな理由をつけて闇に葬り、何らの対策もとらなかったのである。しかも番組は、実は東電内部でも15メートル級の津波が福島沿岸に来ることを想定していたことを詳らかにする。
では、なぜ東電は大地震や大津波の対策を講じなかったのか。金がかかるからである。ただそれだけの理由だ。自分たちの金儲けのために、「想定」をしないことにしたのである。
つぎに「今回の事象」という発言だ。これは原発推進派が責任回避するための象徴的な言葉である。
福島第一原発がつぎつぎと爆発したとき、NHKをはじめ各テレビ局に出ていた原子力の専門家と紹介された御用学者はなんと言ったか。「爆発的事象」と発したよね。誰が見ても爆発そのものなのに、彼らは「爆発」とは言わないのだ。「爆発的事象」とは「爆発のようなもの」と言っているのだ。
そして西沢社長は東京電力福島第一原子力発電所事故、つまり4基の原発大爆発及び放射性物質ばらまき事件を「今回の事象」と呼ぶわけである。そう、「なんか原発の事故のようなものが起きちゃって」と言っているわけだ。そのうち、放射性障害で人が死んだことが証明されても、きっと「死亡的事象」と言うだろう。いや、原発事故で地球が滅亡するときでも、彼らなら「地球滅亡的事象」と呼ぶはずだ。
さらに「電源がなくなり、冷却が行えなくなり、放射性物質を外に出してしまった」というのは、原発が地震で壊れたことを隠蔽し、あくまで想定外の津波によるものだ、ということを言外に含んでいる。
そして、これらの発言はつぎの「責任を取るという言い方が正しいと言うことはともかくとして、それをやるということが、大事だ。法的にうんぬんということとは、また、別だが」という発言に結ばれる。まだこの期に及んでも、責任を認めたくないということなんだろう。
人の身体や人の住む環境に致死性の毒をまいた張本人が「責任を取るという言い方が正しいと言うことはともかくとして」なんて言葉をよくも吐けるものだ。この発言を聞いて、放射能汚染に見舞われた住民のなかで、怒らない人が一人でもいるだろうか。
こんな邪悪な感性とこんな発言をする者が社長になる会社が、放射性物質という人類の手に負えない危険極まりのないものを扱っていたのだ。
東電は責任をとりたくないのだ。より正確に言えば、法的な責任から逃れたいのである。可能なかぎり責任を小さくして、その賠償を値切り倒したいのだ。そういう心根があるから「法的にうんぬんということとは、また、別だが」とか「除染はボランティア、協力、お手伝い」という言葉を吐いてしまうのである。
これらの発言は、責任を問われない除染作業や東電が主導権を握る「賠償」には応じるが、もし法的な賠償訴訟をするなら徹底的に争うという意思表明でもある。それを余すことなく露呈したのが、福島ゴルフ場の除染・損害賠償請求の仮処分申請での東電側の主張だ。
東電の答弁には、放射性物質について「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」とある。福島原発で爆発し拡散した放射性物質は東電の所有物ではないので、東電は除染に責任をもたない、というのが東電の主張である。
そう、これこそ東電の本音そのものではないか。これは除染だけの話ではない。もしこの天下御免の「無主物論法」がまかり通るなら、賠償も、さらにたとえ原発事故の放射性障害で人が病気になろうが死のうが責任はない、ということになる。だって、東電のものではない無主物なんだもの。
この東電社長の発言は、「嘘」「言葉のすり替え」「責任回避」の自己表明以外なにものでもない。そして、このような東京電力の体質があるかぎり、今後稼働をたくらむ柏崎刈羽原発(7基中、事故と定期検査で5基が停止中、2基が運転稼働中。この2基も来年1月と3月に定期検査に入り、東電の原発は全て停止する)が、もし運転を再開するなら、ふたたびフクイチの二の舞になる大事故が起こる可能性はきわめて高いだろう。そうなれば、すくなくとも日本という国は完膚なきまでに崩壊するだろう。
なお、NHKのETV特集「シリーズ大震災発掘・第1回・埋もれた警告」は最上級のドキュメンタリーだろう。この番組の制作者に満腔から讃辞をおくります。
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