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【福田徳行のふくしま復興コラム】
東京電力福島第1原発事故で未だに多くの県民が県内外で避難生活を余儀なくされる中、原発から半径20キロ圏内で全員が避難している警戒区域の過酷な現状を目の当たりにして言葉を失った。
【図で見る】作業員死亡で浮かび上がる過酷で劣悪な作業環境
11月16日。警戒区域に指定されている大熊町で、初めて住民のマイカーによる一時帰宅が実現し、報道陣も取材が認められたため、警戒区域に入った。
午前8時すぎ、集合場所の広野町中央体育館には住民が続々とマイカーで詰め掛けた。防護服に着替え、車の屋根の部分には一時帰宅の印である赤いリボンが付けられた。帰宅が認められる時間は移動時間も含め5時間。住民たちは先を急ぐように我が家に車を走らせた。それを追うように報道関係者を乗せたバスが検問で警察のチェックを受け、いよいよ警戒区域内に入った。
途中の道路は段差だらけで、道ばたの雑草が秩序もなく生い茂げっていた。紅葉だけが季節の移り変わりを感じさせる。ほどなく、バスは住宅が点在する場所に到着し、そこから報道陣が各々、取材のため民家を回った。
歩くこと10分。自宅から思い出の品や生活用品を持ち出す老婆と息子を取材できた。この自宅は第1原発からわずか2キロの地点。黙々と持ち出し準備をする息子は開口一番、東電への怒りをぶちまけた。
「死ぬまでに悲しみと怒りと憎しみを背負っていかなければならない。東電のやっていることは人の道を外れている。誠意を示してほしい」
息子は抗議の意味で、持参しなければならない放射線の線量計を持ってこなかったという。「東電からは国の方針で線量計を下げてくれと言われたが、自分たちが起こした事故に対して国の方針というのはおかしい」と声を荒げた。傍らでは母親が黙々と冬物をビニール袋に入れていた。
「じっちゃん(お爺さん)の冬靴も持って行がねば」
年老いた体に防護服姿は痛々しく映り、改めて事故の爪痕の大きさを感じさせた。
一通りの取材を終え、バスは大熊町と双葉町内の視察へと向かった。そこで見たものは想像を絶する世界だった。
大熊町にある双葉病院。まず目に飛び込んできたのは外に無造作に置かれたベッドだった。その数は約30。同行した担当者に聞くと、地震発生と同時に患者が全員ベッドのまま外に避難し、そこから自衛隊の誘導で別の場所に避難したのだという。
突然襲った巨大地震のショックからか、搬送中に亡くなった人もいたという。外側から病院内を除くと無数の布団が避難したそのままの状態で敷き詰められていた。患者はどれほどの恐怖を味わったのだろうか。パニックに陥ったのかもしれない。地震発生時の混乱した様子が垣間見えた。
続いて訪れたのが大熊町内にある老人ホーム。ここは第1原発を望める高台にあるが、やはりホーム内は混乱の爪痕がくっきり残されていた。食器や食物があちこちに散らばり、ベッドも倒れていた。しっかりと時を刻んでいる目覚まし時計が妙に不気味さを感じさせる。わずか数キロ先に見下ろせる原発が人々の生活を奪ったと思うと、複雑な心境にかられた。
報道陣を乗せたバスは最終目的地の大熊町の中心街に到着した。そこに飛び込んできたのは人間の息づかいが全く聞こえない非日常の世界だった。
崩れ落ちた民家、中がめちゃくちゃになっている薬店、入り口のドアが壊れている電気店、放置されている自家用車、伸び放題となっている雑草…。こうした異様な光景の中、カラスの鳴き声と「ヒュー、ヒュー」という風の音だけしか聞こえてこない。街のあちこちには誰が置いていったのか、ペットフードがいくつもあった。もちろんそれを食べる犬猫の姿はない。
約15分間、街を歩いたが、我々が日常暮らしている当たり前の姿が残念ながらここにはない。3月10日まではここでは人々があいさつしながら行き交い、笑い声が聞こえ、時には泣き、人の息吹が街を形作っていたと思うと、胸が締め付けられる思いがした。
原発と共存共栄してきたにもかかわらず、一瞬にして人々の生活を奪った原発事故。これまでは映像でしか現場の状況を知ることができなかったが、今回、初めて警戒区域に足を踏み入れたことで、1日でも早く町の復興を果たさなければならないと感じた。
11月に行われた大熊町長選では、現在のままでの町の復興を訴えた現職と町の移転を唱えた新人の一騎打ちとなったが、結果は現職が当選を果たした。町民は今のままでの大熊町の復興を選択したのだ。
以前、青森市に避難している大熊町の一家を取材した時の母親の言葉を思い出した。「必ず大熊町に帰るんだという気持ちを持ち続けたい。山があって川があって…。やはり故郷は忘れられない」。故郷を思う気持ちを持ち続けることで、不便な避難生活の中にも唯一の心のよりどころとなる。
11月16日は故郷とは何か、原発とどう向き合えばいいのかを改めて考えさせられると同時に今後、記者生活を続けていく上で一生忘れることができない1日となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111211-00000530-san-soci
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