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「夢の原子炉」にかけた1兆円は無駄なのか[日経ウェブ刊]
2011/12/11 21:53
国策として1兆円を超す研究開発費が投じられてきた高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が存廃の岐路に立たされている。構想から半世紀、燃やした以上の核燃料を生む「夢の原子炉」と期待されながら、相次ぐトラブルや不祥事で運転停止が長期化。東京電力福島第1原発事故後は「無駄遣い」の批判にさらされて、廃炉も取り沙汰されている。
■「菩薩」の理想遠く
「もんじゅ運転再開反対」「廃炉に追い込むぞー」――。12月3日、日本海に突き出た敦賀半島の先端に建つもんじゅに向かって、シュプレヒコールが上がった。反原発団体が毎年開く抗議集会に、今年は例年の1.5倍の1300人(主催者発表)が参加した。
1995年のナトリウム漏れ事故から8日で丸16年を迎えたもんじゅをめぐって、政府の提言型政策仕分けは「存廃を含めて見直すべきだ」と判定。細野豪志原発事故担当相も廃炉を含めて検討する考えを示した。
もんじゅの暗い未来を想起させるものが、半島の数キロ北東にある。かつての新型転換炉「ふげん」だ。高速増殖炉へのつなぎ役として78年に稼働し、88年にはふげんから出た使用済み核燃料を再処理したウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を再び燃やして、核燃料サイクルを完結させた。しかし、国は高いコストを理由に開発を断念して2003年に運転を停止。今は「原子炉廃止措置研究開発センター」として、廃炉研究の場になっている。
もんじゅをめぐる経緯
1961年2月 国の原子力委員会が国産動力炉開発を提起
67年10月 動力炉・核燃料開発事業団が発足
70年4月 建設地に福井県敦賀市を選定
85年10月 本体工事着工
94年4月 初臨界
95年12月 ナトリウム漏れ事故で停止
98年10月 核燃料サイクル開発機構が発足
2005年9月 改造工事着工
10月 日本原子力研究開発機構が発足
10年5月 運転再開
8月 原子炉内に装置が落下して停止
11年3月 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故
11月 国の仕分けで、研究開発見直し判定
細野原発相が「廃炉含め検討」
もんじゅ、ふげんの名前の由来は、知恵、慈悲を象徴する「文殊」「普賢」の2菩薩(ぼさつ)で、それぞれ獅子、象に乗っている。命名には原子力の巨大な力を知恵と慈悲でコントロールしようという願いが込められていた。しかし、両原子炉とも国策と地域利害に翻弄(ほんろう)され続けた。
■隠蔽体質に強い批判
もんじゅの運命が暗転したのは、95年12月に起きたナトリウム漏れ事故だった。当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が福井県や消防への通報を遅らせ、現場撮影ビデオを隠して虚偽の報告をしたことが発覚して、隠蔽体質に批判が高まった。
動燃は解体され、旧核燃料サイクル開発機構、現在の日本原子力研究開発機構へと運営組織が変わっても、「官僚体質が抜けない」「空気が読めない技術屋集団」と揶揄(やゆ)されるなど、組織風土に対する不信感はぬぐえなかった。
もんじゅの再開試験中の08年、ナトリウム漏れを示す警報器が頻繁に作動(その後、誤作動と判明)しても、原子力機構は自治体への迅速な通報を怠り、国や地元の怒りを買った。かつて原子力機構敦賀本部長として、もんじゅ再開に尽力した早瀬佑一東電顧問は「ややもすると、研究職場は独りよがりになり、社会との接点が欠落しがちだ」と指摘している。
もんじゅは10年5月、14年半ぶりに運転を再開したが、わずか3カ月後に原子炉容器内に装置が落下する事故を起こし、再び長期停止に追い込まれた。
「もんじゅの事業費は累計1兆810億円」。会計検査院は11月、原子力機構が公表していた10年度までの研究開発費9265億円の中に人件費や固定資産税が含まれていないことを指摘した。機構は「人件費などは研究開発費に含まないのが一般的」と説明したが、政策提言型仕分けでは「1兆円もつぎ込んで成果が出ていない。まだ40年先の実用化まで続けていいのか」(玉木雄一郎民主党衆院議員)などと厳しい意見が相次いだ。
■地元自治体は存続要望
細野原発相がもんじゅを視察して廃炉の可能性に言及した翌日の11月27日、敦賀市で福井県と国、電力事業者の代表が顔をそろえた。県が毎年開く「エネルギー研究開発拠点化推進会議」は、原発を地場産業の活性化につなげる協議の場だ。県は、もんじゅの再開了承にあたって北陸新幹線の整備を求めるなど、原発を国との駆け引き材料にしてきた。
西川一誠知事は「まずは核燃料サイクルの方向性を議論することだ。政策決定の順序が逆ではないか」と、もんじゅ存廃論議に疑問を呈した。敦賀商工会議所の有馬義一会頭も「仕分けなどの議論は、リスクを抱えながら国策に協力してきた立地地域の心情を踏まえているのか」と不快感を示した。
長期停止の間も、もんじゅは多額の原発マネーを地元に落とした。95年8月の初送電から固定資産税の課税対象になり、わずか4カ月後にナトリウム事故で停止しても、初年度の96年度に75億円が敦賀市に入り、納付額は累計数百億円にのぼる。
国も新たな交付金を振り出した。97年度にリサイクル研究開発促進交付金が設けられ、敦賀市はその24億円を充てて豪華な温泉施設「リラ・ポート」を建設した。08年度には高速増殖炉サイクル技術研究開発推進交付金が新設され、市に毎年約20億円が入る。4基の原発で潤っていた市も昨年度、国から地方交付金をもらう交付団体に転落した。河瀬一治市長は「これからも原発と共存共栄していく」と強調する。
「まな板の上のコイ。できる限り情報を発信して国民の理解を得たい」。原子力機構の鈴木篤之理事長はこう語る。政府は来年夏までにまとめるエネルギー政策見直しの中で、もんじゅの方向性を決める方針だ。もんじゅの修羅の道は続く。(杉野耕一)
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