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セシウム粉ミルクで思うこと。「給食から牛乳排除を」
2011-12-07 12:14:04 | 福島第一原発
粉ミルクからセシウムが検出された件です。おそらく、国内、特に東日本の原乳を使う場合、乾燥濃縮という過程になると、通常よりも一キログラムあたりの放射性物質が増していることが考えられます。そういうことから考えると、原乳が10Bq/L以下の汚染であって、簡単な検査では通過してしまう場合、濃縮されたら数十Bq/kgの粉ミルクになることは容易に想定できます。なぜ僕がこう書いているかというと、十勝の農業関係から「研究機関の関係者から、当初、牛乳で検出されているから飲むなと言われているのがでまわった」という情報を聞いているからです。釧路国道沿いで20Bq/kgの土壌汚染がある以上、十勝の牧草でそれ以上に汚染されている牧草があるほうが自然です。そうしたケースの場合、乳牛が一定程度体内汚染され、牛乳が低濃度に汚染されている話は、むしろ合理的な話です。そういう原乳を使っている以上、濃縮によって、検出されるレベルになってもなんらおかしくありません。もちろん乾燥大気も可能性はありますが、原乳が汚染されていることをミルクメーカーが認めることは、きわめて難しいだろうということも、僕は推測できます。こういう状況の企業がすべて本当のことを話すと思っている人がいますが、とてもおめでたいと思います。ありえません。
このメーカーでは、七月から中国向けの製品はオーストラリア原乳でオーストラリア製造にしていました。「ご安心を」と中国で会見済みです。こういうことから判断すると、ある種の危険度はわかっていたと思います。ばれなければ、日本の赤ちゃんを窮地に追いやってもかまわないと。おそらく、ほかのメーカーも違いはないでしょう。これは、一社のみの問題ではありません。ミルクメーカー、否、食品製造メーカー全体にかかわることです。もちろん、政府の責任は言うまでもありません。どこの国が、赤ちゃんにセシウムミルクを飲ませるのでしょうか。これは、完全に回避できた話なんです。輸入すればよかった。答えはひとつです。中国の赤ちゃんは守るのはかまいません、しかし、自国の赤ちゃんを滅ぼしたいのでしょうか。粉ミルクは原乳を海外で、製造場所も海外か、少なくとも西日本にすべきです。放射能大気汚染が理由もありえるなら。
粉ミルクの件で僕はよくわかりました。ミルクメーカーは日本の子供を守らない。こうなってくると、すべての給食から、牛乳を排除するしかないです。牛乳を飲まなくても、子供の健康に害はありません。牛乳を全国給食で、排除すべきと思います。 子供と利権と、あなたはどちらが大切か。大切なほうをとるしかない。僕は利権はいらない、だから牛乳を学校給食から排除すべきと思います。子供に強制的に牛乳を飲ませるなという事です。給食システム全体を正すべきだが、緊急性の高い牛乳を給食から排除すべきです。給食=牛乳の刷り込みにとらわれてはなりません。今は戦時と同じ。非常時の判断はこれまでの常識とは180度違う。間違わないでください。
粉ミルク関連では、食品安全の専門家のおばさんが「水で7倍位に薄まるのでそんなに心配することはない 、工場はフィルターをすれば良かったのでは 」と超スマイルで回答していました。真剣に考えてたらあんな笑顔ではとてもいられないはずです。この期に及んで、こういうことで、テレビ出て、喜んでいることが、こちらからも、わかる人間とはいったい何者なのでしょうか。しかも、大半のメディアが大きく取り上げたがらないようです。なかったことにしたい。海外メディアが、BBCなどは、ある意味馬鹿にして取り上げている現状なのに。日本のメディアは根幹がおかしいままです。
(新世紀人コメント)
…「粉ミルクの件で僕はよくわかりました。ミルクメーカーは日本の子供を守らない。」
さすがに木下氏は洞察しているようだ。
汚染された原乳を使ってきていることをメーカーは隠しているのだろう。
そしてこれからもメーカーはそれを使い続ける。
滓メディアが嘘の原因のでっち上げを報じてメーカーに味方して消費者に目隠しをします。
ですから、お母さん達をはじめとして日本人は「自衛」を進める他に道はありません。
これら総ては「人災」です。
日本人の身の回りだけを考えての「自己保身」が日本社会に人災を招いているのです。
◎なぜこうも現代日本の官僚機構も政権も企業もマスコミも「公の社会」即ち「日本国家と国民」の事を考えずに”無責任に”行動するのでしょうか?
今回のコメントはそれについて考えて書いてみます。
「無責任」…そうでしょうか?
いや、視点を変えてみれば、決して無責任ではなく、「責任感が強固」であり、「忠節」です。
勿論のこと「公の日本国家と日本国民」に対しては無責任であり不忠なのですが、
現代の”村”とも言うべき、自己の所属する「職場・企業」、「官僚組織」、「政権権力」に対しては、その存続を護りその遭遇した危機を回避すべく必死の行動を採る訳です。
これは詰まりは、戦前の「忠君愛国」が国民が心底そのように思っていたイデオロギーではなく、スローガンに過ぎず「空疎な錦の御旗」であった事によっています。
言い換えればそれは明治以降の明治維新体制が政治思想的に空疎なイデオロギーによっていた緊急間に合わせ体質であった事に由来しています。
さらに言い換えれば、それは裏返しとして、日本国民の生活意識は「江戸時代幕藩体制下の極近隣の地域生活意識」のままであり、すなわち「村意識」や「町内意識」が最上級社会意識であり、その下に家族意識を持っていたというのが実態であって、それが継続してきていると言えましょう。
ですから意識としての市とか県とか国とかは生活意識として意識される事はなく、政治は(即ち公のことは)「お上にお任せ」となってきているのです。
これは、本来ならばおかしい事でしょう。
近代日本が整備された近代国家であれば、国民が国家意識や国民意識すなわち公の意識を持ってきている筈だ。
ところが持ってきていない。しかし現在の村や町にあたる「企業」や「官僚組織」に対しては責任感は100%以上であり忠勤忠孝ぶりは世界のどこにも劣らないと考えられます。
これはつまりは、明治維新体制が上っ面国学の日本書紀や古事記を鵜呑みにした「神話による虚構イデオロギー」によって天皇を頂点にまつりあげてプレハブ屋台国家を作り上げた事に由来するのです。
だから、”この私も”そして”あなた達も”、現代を江戸時代の村町意識で生きているのです。
髷物ですね日本人は。だからブータンや韓流に感激するのです。
だから、日本人は日本国民一般だの日本国家一般だのといった公意識で職業生活を営んではいないのです。本当は。
そう考えれば、日本国民は堕落しきっていると看做す事は出来ないでしょう。
確かに現象は似ているが、違うでしょう。
日本人は未だ明治以降、公人として育てられて来ていないのでありその様に生きてきていないだけの事であり、江戸幕藩体制下の公意識としては立派に存続しているのだから先を悲観する事は間違いであり、要は近代日本社会に社会科学的な政治思想や指導思想が存在してきていなかっただけの事に過ぎないのです。
日本近代帝国学制解体を行えば良いという事なのです。かつて言われた「帝大解体」ですね。
日本人の無責任の裏に実は強固な責任感あり、ということになります。
でも、これはぶっ壊さなければ、引っ掻き回さなければ解決されない問題です。
壊れますよ。壊してくれますよ。日本人自身が。
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