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私が原発を絶対に認めない理由_小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)インタビュー[第3回]
http://yenspa.jp/18985.html
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「差別の上に成り立っている」以上、原発は認めることができない
最下層の立場が理想的な職場だった
──原子力の世界を飛び出そうとは思いませんでしたか?
【小出】 周りにはそういう人もいました。実際、同期で鳶職になった人もいます。私は原子力の世界の中で、その危険性を追及することに意義があると思ったんです。
──そして、京都大学原子炉実験所に就職しましたね。
【小出】実は東北大学の修士を出た後に、電力中央研究所に入ることになっていました。内定をもらって、研究所には私の席も用意されていました。ところが、私が女川原発に反対していることがバレて、内定取り消しになったんです。
仕方がないので、博士課程まで行こうかとも思いました。しかし、東北大学は私をどこかに追い出したい。そんなある日、大学の掲示板で京都大学原子炉実験所の採用情報を見つけたんです。で、試験を受けたら採用してくれました。
──京都大学は原発に反対していると分かって採用したのですか?
【小出】 京都大学には個々の自主性を重んじる校風があります。私がどういう信条を持っているかなどという事前調査はしなかったのだと思います。わかったのは私が採用された後でしょう。
──それ以来、ずっと助教(助手)ですか? 教授になって、地位や名誉、お金を手に入れたいと思ったことはないのですか?
【小出】 全く思いません。37年間ずっと最下層の教員でしたが、私にとっては理想的な仕事場です。誰からも命令されたことも、命令したこともありません。ずっと自分の好きな研究を続けていられます。本当に幸せだと思います。生活は普通にできていますし、今よりもっとお金がほしい、もっと贅沢な暮らしをしたいと思ったこともありません。研究や講演の合間に行く山登りと温泉が、私にとっての最高の贅沢です。
──研究を手伝う学生やアシスタントもいないのですか?
【小出】 いません。助教は講座を持てませんし。第一、私に教えられた学生は就職できませんよ(笑)。
──そうした立場だと、お金の問題が出てきませんか? 政府や企業が望むような研究をすれば、研究費もたくさんもらえるのでは?
【小出】 もちろんそうでしょうね。私は一度ももらったことがないので、どのくらいもらえるのかは知りませんけれども。確かに私の研究費は少ないですが、実験所には必要な機材がすべてそろっているので、全く不自由はありません。
──大学の研究分野でも原子力は学生に人気がなくなっているようです。政府や電力産業は大金をつぎ込んで原子力の専門家を育成しようとしているようですが?
【小出】 いくらお金をもらえても、その分野に夢を持てる学生が増えなければ続きません。優秀な学生ほど原子力に未来はないとわかっているのかもしれませんね。
──しかし仮に原発をやめることになったとしても、安全にやめるための専門家が必要では?
【小出】 そうです。今でさえ廃炉には数十年、使用済み核燃料の問題も何百年と、残っているのですから。それなのに、これらの問題にあたる専門家が育っていないのです。これまで原子力の世界が「推進するための専門家」ばかりを育ててきたツケがきています。
──無力感に襲われて、反原発の立場を貫くのはもうやめようと思ったことはないのですか?
【小出】 私が原発を止めたいと思った時、日本には原発は3基しかありませんでした。それが、この40年で54基にまで増えている。敗北に次ぐ敗北ですよ。それでも、やめようと思ったことは一度たりともありません。人生なんて、1回しか生きられないじゃないですか。だったら、やりたいことをやるしかないと思っています。
◇
私が原発を絶対に認めない理由_小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)インタビュー[第1回]
http://yenspa.jp/18815.html
原子力村の中心で「危険だ」と40年間も叫び続けてきた研究者、小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)インタビュー
福島第一原発の事故以来、にわかに脚光を浴びるようになった科学者、小出裕章助教。5月23日には参議院に参考人として出席し、原発の不合理性を訴えた。彼が40年もの間、原子力の専門家として警鐘を鳴らし続けてきた原動力とは何なのか──
──福島の原発事故は、いまだに収束の気配を見せていませんね。
【小出】原子炉の中に入っている核燃料は、「ペレット」というセトモノなんです。100tにものぼる瀬戸物が溶け落ち、圧力容器の底を溶かして下まで落ちてしまっているんです。東京電力はこの事態を想定するマニュアルを持っていません。今回のケースは「想定不適当事故」、つまり「絶対にありえない事故」とされてきたからです。
──東京電力(以下東電)は当初、メルトダウンしていないと発表していましたが、2か月以上も経って訂正しました。
【小出】今は、燃料自体が溶ける「メルトダウン」から、圧力容器と格納容器の一部を溶かして燃料が落下する「メルトスルー」までいってしまったようです。事態はまったくよくなってはいません。たいへん厳しい状況が今後もずっと続くでしょう。
──国が作業員の被曝許容限度を250ミリシーベルトにまで上げましたね。
【小出】作業員の通常時被曝許容限度は5年間で100ミリシーベルトでした。ただ、異常事態が起きたときには例外的に年100ミリシーベルトまでは許すことにされていました。それが今回、一気に2・5倍まで引き上げたのです。現場の放射線量が非常に高いので、従来の基準では短時間しか作業ができず、人員もすぐに足りなくなってしまう。そこで“緊急措置”として、その無理を現場作業員に押しつけているのです。非常に心が痛みます。
──作業員だけでなく、周辺住民の基準値も、それまでの1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで引き上げられました。
【小出】20ミリシーベルトというのは、従来は私も含めて放射能にかかわる仕事をしている人たちにとっての基準でした。「給料をもらうかわりに、ここまでの被曝はガマンしろ」という数値。それを、放射線の感受性が強い胎児や子供にまで同じように適用するということは、絶対にしてはなりません。
──農作物や海産物の汚染も広まっています。
【小出】海に関しては、海藻を調べなければいけない。海藻は回遊しませんから、定量的なデータが取れます。なぜこれをしないのか疑問に思います。いずれにしても、莫大な量の放射能が海に流れたのは事実。農作物からも次々に放射能が検出され、相当広範囲にわたって汚染されたことがわかります。
しかし、汚染された食べ物を拒否してしまえば福島の農漁業は壊滅してしまいます。そこで、少々の放射能は私たち年齢が高い人たちが受け入れるべきだと思うのです。私は60歳を過ぎましたので、放射線の感受性は乳幼児の1000分の1、30代と比べても数十分の1ですから。映画に「18禁」というのがあるように、食べ物にも「50禁」「60禁」といった規制を作ればいいと思います。
安全な食べ物をみんなで奪い合ってしまえば、汚染された食べ物はお金のない側に回っていきます。チェルノブイリ原発事故に日本が禁輸措置をしたとき、汚染された食べ物は食料不足の貧しい国々に流れていきました。学校給食などはお金がかけられませんから、安全な食べ物が回って来にくくなるでしょう。私たち大人には、これまで原発を容認してきた責任があります。しかし、子どもたちには何の責任もないのですから。
──同様の理由で、シニア決死隊(福島原発暴発阻止行動プロジェクト)にも志願していらっしゃいますね。
【小出】私は原子力に携わってきたにもかかわらず、止められてこなかった。推進こそしていませんが、その責任は非常に感じています。現地に行って私にできることがあれば、何でもするつもりです。
◇
私が原発を絶対に認めない理由_小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)インタビュー[第2回]
http://yenspa.jp/18947.html
原発は差別の上に成り立っている
──もともと原子力の世界に夢を持って入ったそうですが、反原発に転じたきっかけは何ですか?
【小出】 私は『原発のウソ』の中で「原子力のコストは安くない」と主張しています。しかし、仮に原発のコストが安かったとしても、認められません。高かろうが安かろうが、代替エネルギーがあろうがなかろうが、即刻止めるべきだと思います。それは、「原発は差別の上に成り立っている」ということに気付いたからなんです。
──それはいつのことですか?
【小出】 ’70年10 月23日のことでした。
当時、私は東北大学原子核工学科で学んでいたのですが、女川に原発を作るという話が出てきました。電力の大消費地である仙台の近くに造れば効率のよい原発を、なぜ人口の少ない女川にわざわざ造るかといったら、都会では引き受けられないんだ……と気づいたのです。そこで、現地で反対集会があるというので行ってみたんです。
電気がほしいから、危険も含めて都会で引き受けるというなら、まだ認める余地はあります。でも、電気はほしいけど危険だから田舎に押しつけようという考え方がどうしても認められないんです。その日以来、私の原発に対する態度は180度変わりました。
「立場の弱い者が、より多くの負担をしなければならない」ということに気がついたのです。
例えば、現場で大量に被曝する仕事のほとんどは孫請け、ひ孫請けといった会社に雇われた人々が担っています。一方で、多くの電力会社本体の社員や役人は、比較的安全な場所で仕事をしています。
発電所の現場だけではありません。私はインドのウラン鉱山汚染も調べに行きましたが、採掘現場でも、貧しい労働者ほど被曝させられている状況を目の当たりにしました。
──原発を動かす前から、その差別構造は始まっていると。
【小出】 日本もかつてはウラン鉱山の開発を行ってきました。岡山県と鳥取県の境にある人形峠です。
’55年からウラン鉱山の開発が行われていたのですが、全くコストにあわずに10年くらいで撤退してしまった。鉱山開発だけでもたくさんの労働者が被曝したのですが、閉山後にウラン残土の問題が持ち上がりました。放射能を帯びた大量の残土を、国は処理できなくなったのです。
──結局、その残土はどうなったのですか?
【小出】 最終的には、アメリカ先住民の居住地域に持って行って処分しました。つまり、アメリカの中でも立場の弱い地域に公害を輸出したのです。国は「その地域にあるウラン精製所で精製する」と言い訳をしました。しかし、持って行った残土からウランを精製しても、売価で100万円ほどにしかなりません。しかも、それで処分できたのはほんの少しにすぎず、いまだに残土の大部分が現地に放置され、周辺環境を汚染しています。
──そして、次はアメリカと組んでモンゴルへ……。
【小出】 そうです。次はモンゴルに放射性廃棄物、つまり「死の灰」を持って行こうとしているのです。日本はこれまで累計で広島型原発120万発分の死の灰を出してきました。これはどこかに押し付けて「なかったこと」にするのではなく、私たちの責任で何とかしなければならない問題です。
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