http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/719.html
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20年前ディーゼル発電機が海水に浸かる事故があった! 当時すでに「津波・全電源停止・メルトダウン」を指摘していた元東電社員が告発(動画)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65777755.html
2011年11月28日11:27 ざまあみやがれい!
2011年11月25日、TBS『報道特集』にて、元東電社員の告白が取り上げられました。
20年前にディーゼル発電が海水に浸かり停止する事故があり、彼は、津波によるメルトダウンの可能性を上司に申告したことを述べています。
<動画>
元東電社員の告白 辞めたワケと20年前の"ある事故"
http://youtu.be/nTPrI6_h6Gw
http://www.youtube.com/watch?v=nTPrI6_h6Gw&feature=player_embedded
この動画の中で、当時、ディーゼル発電が海水につかった経緯が説明されている。
http://livedoor.blogimg.jp/amenohimoharenohimo/imgs/5/d/5d79e43f.jpg
海水は電線管の中を通って、海水が流れこまないとされていた、施設内部の各所に流れこんだという。
この報道に出演している木村氏は、『東電学園』という東京電力が経営していた高校で学び、東京電力に入社しています。
東電学園高等部 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BB%E5%AD%A6%E5%9C%92%E9%AB%98%E7%AD%89%E9%83%A8
Wikipediaには、
『1964年に木川田一隆東京電力社長の意向で東電学園となった。』
とあります。木川田氏については、田原総一朗氏の著書『ドキュメント東京電力』の中で詳しく触れられています。
ドキュメント東京電力―福島原発誕生の内幕 (文春文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167356155/zamamiyagarei-22/ref=nosim/
posted with amazlet at 11.11.28
田原 総一朗
文藝春秋 (2011-07-08)
田原総一朗氏は、現在東京電力の御用ジャーナリストという批判もあります。実際に多額の講演料を受け取って、講演をしてきました。
とはいえ、この著書は、田原氏が若かりし挑んだ野心作です。日本が原発推進に向かった経緯について、面白く読み進められる上で理解できる大変役に立つ本だと思います。内容に関しては、私のレビュー「ドキュメント東京電力を読む」http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/cat_60249860.htmlを参考にしてみてください。
話を動画に戻して。
この動画の中で、告発を行っている木村氏は、東京電力の内部構造と原発政策に限界を感じて東京電力を去っています。
実はこの木村さんは、原発事故直後に1度、動画にて告発を行っていました。
元東電社員が語る福島原発の真実その1.flv
http://youtu.be/1AZL_geylCc
http://www.youtube.com/watch?v=1AZL_geylCc&feature=player_embedded
この動画を見て木村さんの存在をしった人もいるでしょう。僕のツイッターのフォロワーさんにもいました。
木村さんは東電社員時代から、原発の危険性を東電内部で指摘していましたが、東電はそれを活かすことができなかった、ということになります。
ここ最近、集団化と同調圧力という問題がいつも僕の頭にあります。東電の原発推進もその視線で切ることができるでしょう。
原発推進、プルサーマル推進という、『絶対安全神話』という嘘で塗り固めた国策に従った東京電力は、「集団化」と「同調圧力」のもとで社員を従わせてきたと言えるのではないだろうか、と僕は考えています。
東京電力の社員について、キャスターが最後に、「こんな素晴らしい人もいるのか」という具合に言及していますが、キャスターは寝ぼけています。
木村氏は、別段素晴らしい人ではなく、同調圧力に従わなかった、いや従えなかった、ニュートラルな感性を持つ人なわけです。そしてそのニュートラルな感性を持つ人材を東電は生かしきれず、外に放出するという結果になってしまいました。
木村氏の例はあくまで1例です。他にも動揺のケースが繰り返されていたと考えてみます。
自社の原発推進に対して危険性を指摘できる能力を持った社員を失い続けた東電は、自分の立場を守ろうとする都合の良い社員ばかりになっていった、というストーリーを僕らは想像することができるでしょう。
そこに報道が言及しなければ、東京電力という集団をジャーナリスティックに批判したとは言えないのではないか。
この問題は、同じように、霞が関、そして大企業、そして日本という国に同時に当てはめて考えることができます。
難しい言葉を使わなくても、言葉を尽くすことによって、僕らはこの問題を指摘することができます。指摘するときに大事なのは、言葉を尽くすことだと思います。
何も難しい言葉でなくとも良い。刺激的な言葉でなくとも良い。普段使っている言葉を使って、表現することが、僕ら一般市民には求められているのではないだろうか、と僕はいつも考えています。
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