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フランス人と日本人・・・論理と御札の違い
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平成23年11月24日 武田邦彦(中部大学)
フランスと日本は原子力を中心的な電力源として進めてきた国ですが、その内容はかなり違います。
この図はフランスの原発が立っているところを示していますが、ほとんどが内陸で、パリのすぐ南にも、またパリの中を流れるセーヌ川の上流にも原発があります。原発は水で冷やさなければならないので、海か川が必要です。
日本なら、「原発は危険なのだから僻地に作れ」とか、「原発の廃液を琵琶湖に流す?!」と強烈な反対運動が起こりますが、なぜ、フランスと日本でこのように大きく違うのでしょうか?
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日本人の考え方は次のようにまとめることができるでしょう。
1) 「原発は安全である」という御札を床の間に飾る。理由は原発が安全なのではなく、電気が欲しいし、地元では交付金がでるから。御札が貼られると首相から市長まで全員が「安全だ」と言う。
2) 「原発は危険である」と心の中で思っているので僻地に作って、危険手当として交付金を出す。心の中で「原発は安全だが、危険だ」という相矛盾した結論を受け入れることができる。
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これに対してフランスでは次のように考えるようです。
1) まず原発が安全かどうかを考えて決める。
2) 安全ならパリの近くだろうが、排水がセーヌ川に流れようが、安全を保って運転する。
3) いったん運転を開始しても(スーパーフェニックス:高速増殖炉のように)危険と考えたら廃炉にする。
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原子炉はまあまあなあなあの日本人の文化には合わないようで、フランスのように論理でしっかり考えていくことが必要なのでしょう。その点で、日本の原発を再開するかどうかは、まず京都の電気を原発でまかなうことを決め、原子炉を琵琶湖湖岸に作って琵琶湖の水で冷却することが認められること、その時に滋賀県にも立地の自治体にも交付金は出さないということで日本人が判断することが良いと思います。
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