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汚染度を隠されていた飯舘村 安全を主張する講演も開催されていた(日刊SPA!)解説の地図をプラス
(以下転載始め)
汚染度を隠されていた飯舘村 安全を主張する講演も開催されていた
http://nikkan-spa.jp/85360
2011.11.14 ニュース
【飯舘村に総額3224億円の除染計画】
飯舘村は9月28日、総額3224億円の除染計画を公表。住環境は約2年、農地は約5年、森林は約20年で除染を終えるとしている。住宅の追加被曝線量を1mSv/年以下に、農地の土壌中のセシウム濃度を1000Bq/kg以下に抑えることを目標としている。
◆原発の恩恵を受けなかった飯舘村 村民自ら復興への道を刻む
佐藤さんの自宅の雨樋の下に計測器を近づけると、数値は一気に上がって100μSv/hを超えた。「ここは山林なので、除染したとしても雨が降るたびに汚染されてしまう」とあきらめ顔だ
雨樋の下に放射線計測器を近づけてみると、一気に数値があがって100μSv/hを超えた。
「このあたりの家で測れば、どこもそのくらいは出ますよ」と、佐藤健太さん(29歳)は語る。
ここは福島県飯舘村にある佐藤さんの自宅。飯舘村は原発30km圏外でありながら汚染度が高く、現在は「計画的避難区域」となっている。多くの住民は南相馬市や福島市などの近隣自治体に一時避難中で、佐藤さんも福島市内に避難している。 村内の9社が事業継続の許可をとっていて、従業員を通勤させている。従業員の多くは南相馬市や福島市などバラバラの避難先から、自動車で1時間ほどかけて通勤している。
計測していると、3匹の大型犬がまとわりついてきた。
「猪狩り用の猟犬です。全部で5匹いるのですが、避難先には連れて行けなくて……。仕方なくここに置いてきています。彼らは人間よりも地面に近い場所で生活していて、地面を舐めたり、寝そべったりもする。どれだけ被曝しているか心配です」
空間線量は4μSv/hほど。首都圏であれば大騒ぎになるレベルだ。自宅近くには、父親が経営する消波ブロック製造工場がある。佐藤さんは、原発事故が起きるまでこの工場で働いていた。
「自動車が大好きで、20代のうちにポルシェ911カレラを買って、ロードレースに出るのが夢だったんです。今はまだ仕事も見つかりませんし、そのために貯めていた貯金を切り崩して生活している状態です」
飯舘村に大量の放射性物質が降り積もったのは3月15日。福島第一原発で3度目の爆発があった日だ。このとき、飯舘村や福島市など、原発北西部に向かって汚染が急激に広がった。
「政府はその時点で飯舘がひどく汚染されているとわかっていました。でも、飯舘の住民に避難を求めると発表したのはそれから約1か月後の4月11日。それまで、その事実を隠していた(細野豪志首相補佐官は「国民がパニックになることを懸念した」と説明)どころか、高村昇さんという長崎大学の教授が来て『現在の数値は安全です。マスクをしなくても、子供を外で遊ばせても問題ありません』と講演をしていきました。偉い先生が言うんだから安全だ、避難しなくても大丈夫だ、と村民は思ってしまったのです。あの講演は一体何だったのでしょうか」
京都大学の今中哲二助教の調査によると、3月15日に飯舘村の南部で約200μSv/hという非常に高い値を計測している。
「4.76μSv/h」。文部科学省の調査チームが空間放射線量を計測していた。これほどの汚染度なら重装備で計測しているものと思ったが、意外な軽装備。素手で土を触るなど、危機感は感じられない
佐藤さんの家から少し東に向かうと、文部科学省の調査で土壌から0.82Bq/kgのプルトニウムが検出された地点があるという。早速その場所に向かってみた。
その途中で、文部科学省の調査チームに遭遇した。3人体制で放射線の計測をしているようだった。
尋ねると、「1週間に1回調査している」とのこと。飯舘村内には30か所の計測ポイントがあるらしい。気になったのは、調査員の方々がマスクも着けず、素手で地面を触りながら計測しているということだ。「ただちに健康に影響が出るレベルではない」という建前があるからかもしれないが、とても心配になった。
⇒「健康被害の補償なし 自ら復興への道を刻む飯舘村」に続く
http://nikkan-spa.jp/85415
取材・文/北村土龍 撮影/田中裕司
健康被害の補償なし 自ら復興への道を刻む飯舘村
2011.11.17 ニュース
http://nikkan-spa.jp/85415
←【前編】汚染度を隠されていた飯舘村 安全を主張する講演も開催されていた
http://nikkan-spa.jp/85360
福島県飯舘村。原発30km圏外でありながら汚染度が高く、現在は「計画的避難区域」となっている。多くの住民は南相馬市や福島市などの近隣自治体に一時避難中で、佐藤健太さん(29歳)も福島市内に避難している。
飯舘村にある佐藤さんの自宅から少し東に向かうと、文部科学省の調査で土壌から0.82Bq/kgのプルトニウムが検出された地点があるとのこと。早速その場所に向かってみた。
◆自然だけではない……失われた人の繋がり
飯舘村から数十m、隣の自治体の田んぼではコメの収穫が終わっていた。行政区の違うこの田んぼは難なく出荷されている
プルトニウムが検出されたという地点は、谷になっていた。すぐ側を川が流れている。空間線量は少し高くなり、4.5μSvほど。
「子供のころから、ずっとこの川で岩魚や山女を獲ってきました。手づかみでも獲れるんですよ。ウチではコメも野菜もつくっていますし、山に入れば山菜やキノコもたくさん生えている。猪も獲れます。今まで、店で食べ物を買うことはほとんどありませんでした。飯舘に何があると言えば、この豊かな自然と、人の繋がりだけ」(佐藤さん)
飯舘村は原発周辺の自治体とは違い、交付金などの恩恵をこれまで受けてこなかった。そのため農産物や牛肉など、独自の地域ブランドをつくる努力を行ってきた。その努力が、事故によって一瞬のうちに消え去ってしまったのだ。
そこで、「悲しんでいるばかりではどうしようもない」と、佐藤さんら村の若者でつくったグループ「愛する飯舘を還せプロジェクト 負げねど飯舘」で発行したのが、「健康生活手帳」だ。6000部を作成し、避難で散り散りになった村民に配布。3月11日〜4月30日の詳細な行動記録と、12年3月31日までの簡単な行動記録を書き込めるようになっている。
兵庫医科大講師の振津かつみ医師や木村真三獨協医大准教授らの監修を受けて作り上げた。
「健康生活手帳」の作成に尽力した佐藤健太さんは「福島県の県民健康管理調査が進んでいないこともこの手帳をつくった理由の一つです」と語る
「今は何ともなくても、10年、20年後に影響が出るかもしれない。そのときに村民がちゃんと補償を受けられるように、記録をとっておくことが重要だと考えたのです」(佐藤さん)
発行は9月末日。6か月前のことを思い出しやすいように、当日の天気や主なできごとなどを記載した『できごとカレンダー』をつけている。
「これを見ながら、少しずつ思い出してほしい。『手帳を書く会』を開催してもらって。あの日そういえば○○さんとこ行って○○してたねーなんて話し合いながら手帳に書いていってほしい。僕たちは飯舘村というコミュニティを失ってしまいました。この手帳が、バラバラになった村民を繋ぐものになってほしいと思っています」
現在、政府には原発事故の健康被害に対して積極的に補償しようという動きはない。そんななかでこの「健康生活手帳」は、住民自らの生命を守り、村の絆を取り戻すためのツールとなっている。
1冊1000円。村民以外でも購入できる
【愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!】
http://space.geocities.jp/iitate0311/
取材・文/北村土龍 撮影/田中裕司
(以上転載終り)
参考:(SOBA)前の投稿で使った図で説明すると、
以下リンク先文科省発表資料5頁目の地図に11月13日福島女子駅伝コースをマッピングしましたが、その福島女子駅伝コースから見て東南東の所が「飯舘村」です。(スクロールして見るなら)。
文部科学省による福島県西部の航空機モニタリングの測定結果について(平成23年9月12日)(PDF:1221KB)
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1910/2011/09/1910_0912.pdf
「文部科学省による福島県西部の航空機モニタリングの測定結果について(福島県内の地表面へのセシウム134、137の沈着量の合計)」
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