http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/432.html
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既に20年以上前の事件ですが、放射性物質が皮膚についた結果、遺伝子が壊され、皮膚が崩壊する現象を写した写真があります。この記事の最後の方にURLが付いています。
大規模な原発事故が起これば、こういった形で被害を受ける方が数十万人規模で出るわけです。
http://www.sydrose.com/case100/248/
アイソトープの不始末で放射線被爆〜 【動機】
本事例は、放射性物質等の危険物の処分又は管理を怠って放置した事が、発端で起きた事故である。
アイソトープによる事故は人々の日常生活の場で起きており、死亡者も出ている。 この事故では一般市民250名が被爆し、4名が死亡するに至った。
【日時】1987年9月18日(推定)
【場所】ブラジル、ゴイアニア市
【発生場所】廃品回収場3ヵ所と住宅
1ヶ所の全4ヶ所
【死者数】4名
【被爆者数】250名
【汚染範囲】ゴイアニア市から160Km範囲
(上図,Sydrose提供、公開可)
市の中心近くにあった癌治療病院が移転して廃墟となった後、 内部に未だアイソトープのセシウム-137が入ったままの治療用の放射性装置が放置されたままとなっていた。
事故当時の放射能は50兆ベクレルと予測されている。 このセシウム-137入りの容器が盗まれて、廃品回収業者に売り渡された後、 このセシウム-137を体に塗ったり飲んだりした事が原因で250名が被爆し、4名が死亡すると言う事態に至った。
【背景】
セシウムは30年半減期でβ崩壊する物質で、β崩壊した後に半減期2.55分のバリウム-137mに変わるが、 バリウム-137mはガンマ線を放出しながら安定化する。セシウム-137は青白いチェレンコフ光を発しながら、 β崩壊をするが、ガンマ線の力が弱いので現在では治療に使用されていない。
セシウム-137は塩化セシウムの分子で使用される為、水に対しての溶解性があり、 セシウム自体アルカリ性が高くアニオンとの共有結合をして結びつく。
従って、今回の場合も汚染されてから一週間以上経っていた事が原因で、 プルシアン・ブルー1日3グラムの治療でもセシウム除去は困難であった。
詳しい【経過】そしてその【治療】については こちら
【原因】
ゴイアニアにあった癌治療病院にはコバルト-60とセシウム-137が設置されていた。
この病院が廃院になった1985年に、病院側はブラジルの政府機関にコバルト-60しか、 申請しなかったが、ブラジルの政府機関はセシウム-137の存在の確認及び警告を2度に渡り病院関係者に促したが、 返事を得られなかったそうであった。 ブラジル政府機関の不手際、病院側の対応の悪さが、今回の事故を引き起こした原因であると言われている。
【対策】
ブラジルでは、使用済みの廃棄放射性物質の貯蔵庫を新しく建設し始めました。
又、ブラジル政府機関の放射性物質に対する規制の見直しにも取り組み始めました。
汚染物除去作業(写真提供:IAEA.,公開可)
【知識】
放射性物質取り扱いの専門の施設での事故と異なり、一般の人々を巻き添えにした事故では モロッコで1984年に起きた事故についで、今回のブラジル・ゴイアニア市の事故は二番目に大きな惨事となった。
一般の人々には放射線の知識が無く、こう言った事故に巻き込まれる可能性が高いと思われるが、 あくまで、放射性物質や放射線発生装置を取り扱う専門家が注意をして、 放射性物質は放射線を遮ることの出来る容器に入れて、一般の人が近寄れないよう管理するべきである。
今回のように、移転した病院の跡地にそのまま放置しては成らないのは言うまでも無い。
放射性物質を扱う施設の管理者及び、専門家達は、放射性物質による事故の怖さを良く知って、 法令の規則をまじめに守る事が、事故を防ぐ唯一の方法である。
http://www.sydrose.com/case100/248/keika.html
二年前に廃墟となった病院に貴重な物があるとの噂がたち、1987年9月13日頃、二人の若者が廃墟に忍び込み、 放射性装置をこじ開けてセシウム-137が収納されている鉛の容器を盗み出した。
その後、廃品回収業者達にこの容器が売り渡され、9月18日頃、廃品回収御者の作業場でこの容器がこじ開けられた。 夜間青白く光るこの金属を珍しく思った何も知らない大勢の人々は、この物体に不思議な力がある物と信じ、 体に塗ったり、水に溶かして飲んだりした事が原因で、多数の人々が被爆すると共にセシウム-137が拡散して、 汚染域の拡大と言う結果になった。その後、事故に巻き込まれた女性 (後日この事故で死亡に至る)が廃品回収業者である夫や家族の健康異常に気づき、 この金属を持って公衆衛生局の病院に行ったことから、被爆事故が判明した。
9月29日に、ブラジル原子力委員会は、ゴイアニア市の物理学者達から、この事故の連絡を受け、 238名もの専門家を投入して被爆者の治療、地域・住民の汚染調査、環境影響評価などの活動を開始した。
しかし、この時期、この地方は雨期にあたり、水溶性のある塩化セシウムは降雨で広範囲に広がり、 事態を一層悪化させた。
又、この事故の知らせを受けた外国の専門家も、国際原子力機関(IAEA)を通じて、 応援に駆けつけた。そして、ゴイアニア市の10%に当たる市民11万2千人をオリンピック・スタジアムに集めて、 サーベイ・メーターとホール・ボディー・カウンターを駆使して、汚染調査を行い、250人もの汚染者を発見した。
このうちの54名がオリンピック・スタジアムでの入院を余儀なくされ、さらに詳しい検査を受けた。
皮膚に放射能被爆による、損傷が見受けられた患者は28名に上り、その後、 病状の激しいこの28名が特別な施設の整った病院に移され、内8名がリオ・デジャネイロにある海軍病院に移された。
この事故の結果、放射線被爆による4名の死亡、 ドラム缶で1万8千本相当の放射性廃棄物の発生及び専門家を始めとする人々の労力の多大なる消費という犠牲を出した。
ホールボディカウンター 写真提供:IAEA,公開可
治療
血液検査により、14名に骨髄損傷が見られ、内8名に急性放射性症候群が見受けられた。
治療の方法として先ずは体内に残っているセシウム-137を、 プルシアン・ブルーで取り除くことから始めたが、 汚染が始まってから一週間以上も経っていたので、 体内から血液へのセシウム-137よる汚染がすでに始まっていた。
それに依る免疫低下が原因で、抗生物質による感染症防止や白血球の輸血などの 第二次的な治療を施すしか方法が無かった。
一番病状がひどかった6人には、新しい治療法のGM-CFS(顆粒球マクロファージコロニー刺激因子) と言う骨髄での白血球の増加を促進する、一種のホルモンが投与された。 被爆後3週間目
6人中5名に48時間無いし72時間で、白血球の増加が見られたが、介護の甲斐も無く、 4名がKlebsiella菌による化膿症及び敗血症で死亡に至った。
死亡した人達の被爆は、おおよそ5千〜6千ミリシーベルトと予測されている。
これは致死量の6倍から7倍の量だが、この被爆は、体の外部から来た放射能を受けたことによる被爆よりも、 呼吸や飲食により体内に取り込まれたセシウムから出た放射線を受けた被爆の方が大きかった。
死亡した人以外に1千〜7千ミリシーベルト程度の被爆をした人達が何人かいると言われている。
被爆後75日
被爆後3日から30日の状態(写真提供:IAEA.公開可)
生き残った被爆者達とゴイアニア市民は精神的ショックが拭えず、精神的治療が必要な状態だった。 又、治療や汚染除去に当たった人達も事の重大さに気が付かず、被爆した人もいた。
以前にチェルノブイリで起きた事故からの教訓を生かした治療が行われたが、 チェルノブイリでは1996年に白血病の患者が急増する傾向が見られている。
これは原発事故との関係があると考えられているが、ゴイアニア市でも、同じ事が起きると考えられている。
【後日談】
事故があった後、誰も刑事的責任を問われる事がなかった。ゴイアニアは現在、リゾート地として栄える。
*以下のURLに手のひらの皮膚が溶けていく写真がある。グロという印象はないと思います。
http://www.sydrose.com/case100/248/hand3.jpg
http://www.sydrose.com/case100/248/hand1.jpg
http://www.sydrose.com/case100/248/hand2.jpg
http://www.sydrose.com/case100/248/hand2-1.jpg
http://www.sydrose.com/case100/248/1yr.jpg
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