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3号機前で急上昇 1ミリシーベルト
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011111302000040.html
2011年11月13日 東京新聞 朝刊
ようやく福島第一原発の事故現場をこの目で見ることができた。驚いたのは、放射線量の高さだった。厳しさを実感した。
作業の拠点「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)を出発した時のバス車内の線量は〇・〇〇一五ミリシーベルト。同行の東京電力社員が伝えてくれた。しばらく走っていよいよ原発の正門に差しかかると、線量はJヴィレッジの十倍の毎時〇・〇一五ミリシーベルトに上昇した。
「特に高いのが3号機。近くへ行くと、数値が跳ね上がります」
社員が“予告”した通り、原子炉に比較的近い海沿いの道に差しかかると線量はさらに十倍以上に。
そして、空高く煙を上げ水素爆発した3号機のタービン建屋横に差しかかると、最高値の一ミリシーベルトを記録。ここに一時間いれば、一般人の年間被ばく線量限度に達する値だ。バスもやや速度を上げて走り抜けた。今回の取材は団体旅行のように行動が厳しく制限された。免震重要棟以外ではバスを降りることも許されなかった。
ガラス越しではあったが、4号機の原子炉建屋は南側最上部の鉄骨が崩れ、ぶら下がったコンクリート壁が今にも落ちそうな状態。鉄骨のすき間からは、黄色い原子炉格納容器のふたや使用済み核燃料プールの燃料を出し入れする緑色のクレーンが見えた。
その奥の3号機は、がれきが積み重なった山のよう。当初は建屋の四角い形を残していたのに、一部の鉄骨を残して崩れたという。水素爆発のすさまじさを感じた。
さらに奥には2号機の建屋、カバーで覆われた1号機が見え、三台の巨大クレーンが見えた。
がれきの撤去がかなり進んだと聞いていたが、海側を進むと、道端には津波で流された車やプレハブ、がれきが転がっていた。
1号機北東の海沿いには、事故発生直後に炉心へ海水を送ったポンプがそのまま置かれていた。中型トラックの荷台に三台並んだポンプはさびで赤茶け、炉心とつながる赤いホースは想像より細く頼りなかった。だが、このポンプとホースが最悪の事態を避けるための「命綱」だったことは間違いない。
浄化した汚染水を循環させて炉心へと送っているホースも無造作に道端をはっていた。「車が乗って切れたりしないのか」と聞くと、東電社員は「その危険性はある。本当はU字溝で保護したいが…」と答えた。
全面マスクには多くの記者が頭痛や汗で悩まされたが、重要免震棟で外すことが許された。棟内は換気の音がゴーと響き、Jヴィレッジ並みの放射線量に管理されている。防護服を着ていない作業員も多い。細野豪志原発事故担当相は「私が最初に来たのは五月。そのときには考えられなかったほど状況は落ち着いた」と語った。
取材を終えて外部被ばく線量を確認すると〇・〇四八ミリシーベルト。二十日間ほど浴び続けると、年間の線量限度に達する計算だ。他の記者もほぼ同じ値だった。 (加藤裕治)
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