http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/379.html
Tweet |
福島第一原発、報道陣に初公開
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4875936.html
12日16:54 TBS
福島第一原発、報道陣に初公開
http://www.youtube.com/watch?v=Qc-AMs57jQo
バスに乗り込む防護服姿の人々。彼らは福島第一原発へと向かう作業員ではなく報道陣です。事故から8か月。政府と東京電力は福島第一原発での取材を初めて許可しました。
「こちらから撮影制限させていただきます」(東京電力社員)
発電所に到着するなり、東電の社員から「核物質防護」を理由に撮影の禁止を求められます。正門を通過し、まず向かったのが原子炉建屋が遠目に見える高台でした。
「事故から8か月たった福島第一原発です。3号機は壁自体がほとんど崩れ落ちているのがわかります。8か月たった事故現場、まさに息をのむような破壊の状態です」(記者)
画面の左奥に見えるカバーがかかった建物が1号機の原子炉建屋。一番手前が4号機の原子炉建屋です。このあと、バスは高濃度汚染水を浄化している集中廃棄物処理建屋の横を通過します。目の前には事故後、8か月の間に建設された仮設の防潮堤が壁のように並んでいました。
「線量いくつだ?」
「いま300マイクロシーベルト」(東京電力社員)
ポイントポイントで放射線量を読み上げる東京電力の社員。今回、最も放射線量が高かった場所はタービン建屋の海側で、300マイクロシーベルトでした。
その後、報道陣は対策本部が置かれている免震重要棟へ。
「現在、作業員を終えて帰ってきた作業員の方たちが、体に放射性物質がついていないかのスクリーニングを受けています」(記者)
個人線量計の貸し出し場所には、線量計がズラリと並んでいました。今回の取材は、福島第一原発を訪問した細野原発担当大臣の同行取材という形で実現しました。細野大臣とともに、カメラの前には吉田昌郎所長が現れ取材に応じました。
「周辺の住民の方に安心していただける程度には、プラントは安定している。作業をするには、まだまだ厳しい状況にあると」(福島第一原発・吉田昌郎所長)
一番大変だった時期について聞くと・・・。
「3月11日から1週間が一番もう。次がどうなるか私自身も想像できない中で、できる限りのことをやっていた状況。極端なこというと、死ぬだろうと思ったことが数度ありました」(吉田昌郎所長)
細かい状況については、政府の事故調査委員会に全て話しているとして答えませんでしたが、個人的意見と断った上で次のように話しました。
「想定がやはり甘かった。ほかの発電所に対しても、そこを踏まえ訓練、設備の充実をやっていく必要がある」(吉田昌郎所長)
報道陣による初めての取材は、ほぼ予定通りの3時間半で終了。記者の被ばく線量は54マイクロシーベルトでした。
中に入った第一印象は、これだけの事故を起こしてしまったというのを改めて痛感しました。普通の建物でいうと10階建て以上の高さの建物が、完全に破壊されているという事故の衝撃です。
今回は防護服に全面マスクという格好での取材だったんですが、とにかく息苦しかったです。汗は出てきましたし、周りの声が非常に聞きづらいんですね。この時期でそうですから、夏の暑い時期はいかばかりかというのを痛感しました。
事故直後から、私たちは現場を取材させてほしいということを政府や東京電力に再三要請してきましたが、線量が非常に高いこと、さらには復旧作業を優先させたいとして、ずっと断られてきました。今回、一部実現できたというのはプラントがやや安定してきたということは言えると思います。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素18掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。