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原発爆発したぞ、布団かぶれーっ
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朝日新聞 2011年11月4日03時00分 :Nuclear F.C : 原発のウソ
〈プロメテウスの罠〉「布団かぶれーっ」
■研究者の辞表:19
SPEEDIの存在を認識したあとも、官邸は予測図を公開しなかった。それに関連し、首相補佐官の細野豪志(40)は、5月2日の記者会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明した。
住民に情報が届きにくかった背景には、おそらくそんな国の思想がある。だが実際には政府自身がパニックに近いような混乱ぶりだった。
避難区域の決定をめぐる原子力安全・保安院と官邸との食い違いもそうだし、現地本部撤退時に起きたデータの置き忘れもそう。そのとき、保安院の検査官全員が一時的に原発から退く事態も起こっていた。
検査官は原発内でその状態を監視する唯一の国の人間。福島第一には5人いて、常に1人は原発に詰めている。ところが現地本部が福島県庁に撤退した3月15日昼、5人全員が県庁に退いた。東京電力が原発から全員を撤退させたいと言った言わないの話が出るのもそのころだ。
現地本部の撤退作業も余裕はなかった。保安院の原子力防災課長、松岡建志(45)は「20キロ圏に住民が残っていないのを確認して撤退した」と強調する。が、住民はいた。
浪江町役場から4キロ、原発からは10キロ北西に住む原二郎(75)と妻の良子(76)は、17日の午後に偶然訪れた2台のパトカーに救出された。
夫妻はガソリンがないために避難できなかった。草刈り機のガソリンを抜いてみたが、1リットルしかない。仕方なく、自炊しながら家にとどまった。停電だったが、プロパンガスは使えた。水は井戸からくんだ。家の電話も携帯電話も通じなかった。
14日午後2時半には落雷のような破裂音を聞いた。原は「原発爆発したぞ、布団かぶれーっ」と良子にいった。1時間、2人で布団をかぶっていた。布団の中から外を見ると、原発の方向に火花がピカピカ見えた。それが5分間続いた。3号機の爆発は午前11時だが、「自分が見たのは午後2時半だった」という。
救出してくれた警官は防護服にガスマスク姿の4人組だった。「何やってんだ!」と怒鳴られたので「申し訳ないことで」と謝った。「理屈はいいから早く乗れ!」といわれ、1人ずつ別のパトカーに乗った。
避難した翌日、別の町民も助け出されてきた。良子はいう。
「どもこもなんないんだわ、ガソリンないんだから。近所も誰もいないし。軽トラックで行ける所まで行こうとして、おにぎり握ってたらパトカーがきた」(依光隆明)
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