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あの日に止まったままの時計 全国から寄せられたメッセージ 初公開のJヴィレッジを歩く
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111112/dst11111200120000-n1.htm
2011.11.12 00:04 産経新聞
東京電力福島第1原発の事故対応拠点となったサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)が事故から8カ月となる11日、初めて報道機関に公開された。「正解最高の天然芝」と評された芝は駐車場やヘリポートなどに様変わりし、往時の面影を残すサッカースタジアムのスコアボードは、時計の針が東日本大震災の発生した時刻を指したまま止まっていた。(大竹直樹)
「ご覧の通り立派な施設なんですが、こんなことになってしまいまして」。案内した東電職員の表情は複雑だった。
記者らが最初に通されたのは「センターハウス」と呼ばれるJヴィレッジの拠点。正面玄関のドアには、サッカー日本代表の写真があしらわれていた。
Jヴィレッジがあるのは、フクシマ第1原発から南に20キロ離れた警戒区域との境界線上。11面の天然芝を擁し、かつてその芝は「世界最高」と評された。東電が地域貢献策として約130億円をかけて建設し、福島県に寄贈されたサッカートレーニング施設で、2002年のワールドカップ(W杯)日韓大会ではアルゼンチン代表のキャンプ地として使用され、日本代表の強化合宿も行われている。
だが、原発事故で一変。事故直後には自衛隊員や作業員らが集結し、事故収束作業の最前線基地となった。現在も1日の約3000人の作業員がひっきりなしに行き交う中継基地として機能している。
一方で、Jヴィレッジに本拠を置くなでしこリーグの強豪、東電女子サッカー部「マリーゼ」は活動休止を余儀なくされた。
センターハウスで真っ先に目に入ったのは、「明るい日本の未来の為に勇気と希望を持ち頑張って下さい」と書かれた大きな垂れ幕だ。さいたま市内の中学生が作成したもので、付近の壁にも、全国から寄せられた「勇気」「希望」「絆」などのメッセージが「フクシマの英雄」たちに寄せられていた。
昼過ぎになると、早朝から原発で作業してきた防護服姿の作業員がバスでJヴィレッジに戻ってきた。作業員らはロータリーから列をなして「ゲートモニター」と呼ばれる放射能汚染を調べる測定器へと向かう。競馬のパドックのようなゲートに立ったまま入れば、全身のベータ線量をわ測定できるという。
「異常ありません。お疲れさまでした」。測定はわずか10秒で終了した。
警戒区域(原発から半径20キロ)から作業員を乗せてきた車両も必ず「除染場」と呼ばれる施設で放射能汚染のチェックを受ける。放射性物質の付着が見つかれば、高圧のスプレー水で洗い流す。洗浄に使われた水はすべてタンクで保管されているという。
車両の除染作業をしている飯沼敏朗さん(56)は「前に比べれば、汚染している車はだいぶ減った。6月に来たときとは全然違う。だいぶ落ち着いてきました」と話した。だが、放射能汚染をチェックする1日に約300台の車両のうち1割程度は除染が必要で、今でも日に数台は規定値を上回り、警戒区域外へと出ることを許されない車両があるという。
センターハウスに併設された体育館には、防護服や全面マスクなどが無造作に積まれていた。作業員はここで自分のサイズにあった防護服などを毎日貸与される。防護服は放射性物質が付着するため使い捨てされるが、処分方法は決まっておらず、近くのサッカーコートに山積にされていた。
これまでに延べ約48万人分、量は約4千立方メートルにも上る。放射性物質が付着した低レベル放射性廃棄物のため、周囲の空間線量は毎時2〜3マイクロシーベルトと、ロータリー付近の毎時0・22マイクロシーベルトと比べると10倍も高い。集積場は現在、立ち入り禁止の措置が取られている。
「ここでは新入社員ですよ。これから本番」。先月末に広島県から来たばかりという67歳の作業員は、そう言いながら、無料配布されたすいとんの入った味噌汁をほおばった。
事故直後はバランス栄養食などしかなかった食事環境は改善されてきている。弁当の無料配布を経て、現在は食堂で「温かい食事」が提供されている。春巻きや麻婆豆腐などが並ぶビュッフェは500円。カレーや牛丼など、サッカー日本代表の専属料理人が腕によりをかけた豊富なメニューがそろう。
住環境も整いつつある。約1600人を収容できる東電の単身寮は、1部屋4畳ほどのスペースにエアコンや冷蔵庫、ベッドを完備。104台の無料ランドリーや社員食堂も隣接。朝食は200円前後、昼食が300円前後と格安だ。
だが、単身寮が建っていたのは立派なスタンドを備えたサッカースタジアム。自慢のサッカーコートは荒れ果て、スタンドには雑草やススキが雨にぬれていた。スコアボードの時計が胸を打った。東日本大震災の発生時刻午後2時46分を指したまま時が止まっていたからだ。
「それではこれから皆さんにホールボディーカウンターを受けていただきます」。作業で放射性物質を体内に取り込んでいないか内部被曝(ひばく)を検査する「ホールボディーカウンター」を記者も体験した。
タングステンでできた遮蔽(しゃへい)剤に覆われたテントに入ると、インスタント証明写真機のような大きな機械が10台並ぶ。いすに腰掛けて右手でスイッチを押すと、目の前のモニターに「測定残り時間」のカウントダウンが映し出された。そのまま何もせずに60秒待つと、拍子抜けするほど簡単に測定が終了した。
最後に24時間医師と看護師が常駐する診療所も見学した。日本サッカー協会のメディカルセンターとして2年前に建てられた施設で、担当者は「原発にいちばん近い医療施設として2500人以上を診療した」と説明した。6月以降、過酷な環境での作業で熱中症にかかり、相次いで作業員が運ばれた診療所も落ち着いてきているようだった。
いわき市の宿舎からJヴィレッジを経由して福島第1原発に通っているという男性作業員も「落ち着いてはきたが、今度は今まで省略されていた『要領書』といった書類や検査記録を仕事が終わった後に作成しないといけなくなって面倒になった。落ち着いたら落ち着いたでむしろ仕事量が増えた」と笑みを浮かべた。
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