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日本の病根
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2011年11月07日 田原総一朗 公式ブログ
11月1日、福島県南相馬市へ行ってきた。福島市の東、太平洋沿岸にあり、いわき市と宮城県仙台市の中間に位置する、人口およそ7万人の市である。東日本大震災が発生したとき、市長の桜井さんは記者会見の最中だった。震度6弱の揺れに襲われた。南相馬市の市庁舎からは海が見える。地震発生後、この海には、高さ30メートルもあろうかと思われる、茶色の壁ができていたそうだ。津波である。
飲み込まれた家屋のがれきや土砂などで、海水が濁って茶色に見えたのだ。この津波は海岸線から約2キロ付近までの地域を呑み込み、壊滅させた。南相馬市の死者・行方不明者は、646人にのぼった。僕は、東北新幹線で福島市まで行き、福島市から車で東へ向かった。その後、南下して飯舘村をとおり、南相馬市に入った。途中、車窓から見た飯舘村には、異様な雰囲気が漂っていた。スーパーやコンビニにも人の気配はない。街中に住民の姿がないのだ。商店はシャッターを下ろしたままだった。僕は、南相馬市で桜井市長と面談した。
そして、東日本大震災の話を聞いて、日本の危機管理のなさを思い知らされたのである。南相馬市の南部は、福島第一原発の20キロ圏内になる。その福島第一原発は、津波のため、3月11日の夜には深刻な状況に陥っていた。ところが、桜井さんは、その段階では何も知らなかった。福島第一原発の事故を知ったのは、翌日の12日だったという。12日の1号機の水素爆発の爆発音は、南相馬市では聞こえなかった。その事故のことは、テレビニュースで知ったのである。ちなみに、14日の3号機の爆発音は、南相馬市でも聞こえたそうである。
市ではその事実確認のために国や県に連絡を取ろうとしたが、電話はつながらなかった。常事態のときの大切な通信網が寸断されていたのである。市は、隣接する自治体に問い合わせた。
他の自治体からは、ニュースは「誤報だったらしい」という返事があった。そこで市民への避難の呼びかけをいったん中止した。ところが、テレビでは相変わらず原発事故の報道が続いている。
再び市民に避難を呼びかけようとしたが、各地区に電話がつながらない。地震発生直後、震災対策を講じるため、桜井さんは市内の各地区と連絡を取った。その時点では、まだ電話はつながっていたのだ。そこでいろいろな方法を使って市民に直接、避難を呼びかけた。避難所に向かう市民のほかに他県に避難しようとする市民もいて、市内は混乱をきわめた。その後も、国や県からは何の連絡も来ない。国とやっと連絡がついたのは、3月22日のことだった。大地震の発生から10日以上も、南相馬市は孤立していたのである。
原発事故はどうなったのか、放射能の被害はどうなのか、南相馬市は大丈夫なのか。そういう情報は、テレビからしか得られなかった。南相馬市にとって、テレビが唯一の情報源だったのである。もうひとつ驚いた話がある。東日本大震災が起こる前に、「原発事故に備えた避難訓練の実施」を南相馬市は、県に申請した。避難訓練にはお金がかかる。市だけではできないからである。
ところが県からの回答は「国の管轄なので、国に言ってください」というものだったという。さらに国土交通省からは、「訓練は必要ない」という返事だった。原発は安全で事故は起きない、だから訓練は必要ないという判断である。これは南相馬市に限った話ではない。福島第一原発に近い双葉町、浪江町、大熊町も同様だったようだ。さらに、政府は20キロ圏内を警戒区域に指定した。ところが当初、南相馬市は入っていなかったのである。
南相馬市は2006年に、3市町が合併して誕生した新しい市だった。どうやら政府はそのことを見落としていたらしい。桜井さんが「国に見捨てられた」と怒りを覚えたのは、当然だろう。現在、市外に避難していた人たちの半分に相当する約3万人が南相馬市に戻って来ている。しかし、市民は自宅に戻っても農産物をつくることができない。除染作業が進んでいないからである。
学校の校庭などは、表面の土を5センチはがした。しかし、市街地や農地の除染は手つかずのままである。除染を誰がどのようにやるか。具体的な内容は決まっていない。福島県に相談すると「その問題は国に言ってくれ」と回答され、国からは「今、検討中です」と返ってくる。
僕は、これまでに福島県の各地でシンポジウムを行っている。そうした場に市町村長は参加しても、県の関係者は参加しない。責任を負わされるのを避けているのだろうか。そう勘繰られても仕方がないだろう。この日本という国は非常事態が起きたときに何をどうすべきか、まったくわかっていない国である。そのことを南相馬市に行って、僕は思い知らされた。政治家も中央の官僚も、非常事態が起きたときでも、対応を先送りしたり、たらい回ししたりする。
責任を避けるためだ。一事が万事、こうである。僕は、南相馬市で「日本の病根」を見た。
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