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公開・自主・民主の三大原則に立ち戻るべき」
前福島県知事・佐藤栄佐久氏に聞く(上)
山岡 淳一郎 2011/10/27
ノンフィクション作家、山岡淳一郎氏の「原発は何処から、何処へ――」では、原発が日本にもたらされるまでの歴史と、原発をめぐる人物について、5回にわたってひもといてきました。今回からは特別編として、前福島県知事の佐藤栄佐久氏との対談をお送りします。山岡氏が佐藤氏に会うのはこれが2回目。原発を抱える県の知事として、県民の立場に立ってどのように“権力”と対峙してきたかについて聞きました。
佐藤栄佐久(さとう・えいさく)
1939年福島県生まれ。58年福島県立安積高校卒業。1963年東京大学法学部卒業。郡山に戻り家業の郡山三東スーツに入社。社団法人郡山青年会議所に入会。78年日本青年会議所副会頭に就任。83年参議院議員初当選。87年大蔵政務次官就任。88年福島県知事就任。5期18年間に、北海道東北知事会長はじめ、全国知事会副会長、全国過疎地域自立促進連盟会長などを歴任。2006年9月27日辞職。
山岡:福島第一原発事故は、いまも続いています。少なくとも11万人以上の方が「区域外」へと追いやられて生活を壊され、その困難な移動のなかで高齢者を中心に多数の方が亡くなりました。南相馬市の監察医からの報告で、10人以上の餓死者が出たと国会でとり上げられています。津波の被害だけだったら、住民は無理な移動を強いられなかったはずです。この事実は記憶しておきたい。
原発事故での被害額は、数兆円、あるいは10兆円以上とも言われています。これだけの事態に至ったのだから、原子力政策は大転換を迫られるだろうとみていたのですが、夏が過ぎて急速に元の形にUターンしつつあります。野田佳彦総理は「脱原発」対「推進」の対立ではなく、国民的な幅広い議論が必要としながらも、再稼働に向けて積極的発言をくり返しています。この状況を、率直にどう感じておられますか。
「世代間の共生は無理だと言いました」
佐藤:今度の福島原発事故は、原子力政策を見直すチャンスだと思っていたんです。原子力基本法が日本の原子力政策の根本を定めていますが、そこでは、機密をなくしてすべての情報を「公開」すること、軍事機密が日本に入るのを防ぐために外国人に依存しない「自主」の姿勢を貫くこと、そして政府や産業界などの独占的選考を防ぐ「民主」の原則が定められています。この事故で、公開・自主・民主の三大原則に立ち戻り、状況が少しはよくなるだろうと思っていたんです。ところが、事故から半年以上経っても、全然その動きがない。このまま原発利権のおいしいところだけ残そうなんて考えていたら、日本は三流国、四流国に落ちぶれていくでしょう。若い世代にとっては、大変な問題ですよ。
山岡:原発と核燃料サイクルを組み合わせたシステム自体が、途方もない先送り構造のうえに載っていて、おまけに日本は地震国。すがりつくのは危険ですね。
佐藤:昨年、原発建設で揺れる山口県上関町で話をしました。そのときは、原発を造るも造らないも、あなた方の判断です、私はああしろ、こうしろとは言えないと申し上げた。ただ福島県知事としての経験から、世代間の共生は無理だと言いました。原発を建てた地域は、関連産業で一世代30年は潤う。しかし、次の世代はそこに住めなくなる。原発が二基もあって、未来永劫幸せな町と言っていた双葉町は、町長の給料も払えないほど財政が悪化しました。同時に莫大な高レベル廃棄物を抱え込んだ。震災前に、です。
瀬戸内海は、生物多様性が保たれたすばらしいところですが、原発を造ればスナメリは棲めなくなり、農業や漁業は衰退するでしょう。判断は、皆さんでしっかりしてください、と上関で言いました。近々、伊方原発がある愛媛県で講演をするのですが、今度は、もし伊方原発で事故が起きたら、瀬戸内海の魚は全部食べられなくなりますね、と言います。福島が、いま直面している現実から、そう申し上げるつもりです。
山岡:権力機構は、リスクの高い原発政策を見直そうとしません。佐藤さんは核燃料サイクルのプルサーマル受け入れを巡って、国とぶつかりました(「核燃料サイクルを巡る権力の真意」参照)。その経緯はご著書の『福島原発の真実』に詳しく書かれていますが、少し時間をさかのぼっておたずねします。原発との最初のかかわりは、1987年1月、東欧訪問の時ですね。
佐藤:はい。参議院議員だった私は、あなたのご本『原発と権力』の主役の一人で、首相だった中曽根康弘さんの随行で解放前の東ドイツ、ユーゴスラビア、ポーランドなどを訪問しました。その際、行く先々の晩さん会で肉料理が出されたのですが、必ず、「(チェルノブイリ原発事故で)汚染されていない肉です」と言い訳がついた。大ごとだなと思うとともに、ソ連の60年続いた全体主義がチェルノブイリ原発事故を引き起こしたのだと確信しました。公開・自主・民主とかけ離れた国家体質が事故を招いたのです。
あの事故の結果、ソ連はますますペレストロイカ(再構築)、グラスノスチ(情報公開)が叫ばれるようになり、東欧民主化革命、ソ連邦崩壊へと続きます。原発の大事故は、歴史的に大きな意味を持つ。そしてチェルノブイリに次ぐ事故が福島で起きた。日本にも似た病巣が拡がっていて、国家的な転換点にさしかかっているのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111024/223384/
山岡:88年に福島県知事に就任された当初、国の原発政策には必ずしも反対ではなかったですよね。高速増殖炉「もんじゅ」の事故後、国からプルサーマルの受入れを打診されると福島県では検討を重ねたうえで、事前了解の条件をおつけになりましたね。
佐藤:そうです。(1)MOX燃料の品質管理、(2)作業員の被ばく低減、(3)使用済みMOX燃料対策の長期展望の明確化、(4)核燃料サイクルの国民理解です。なかでもMOX燃料の扱いは、とても重要です。核燃料は燃やせば燃やすほど、危険な高レベル廃棄物が溜まります。そのまま溜め続けたら、大変なことになる。県民の命を守るには、燃料は持ってきて、燃やして、持ち出す。それが原則でした。
山岡:しかし、MOX燃料の対策どころか、使用済み核燃料の再処理を行うはずの六ヶ所再処理工場さえ技術的な壁で、建設が遅れる。99年9月にジェイ・シー・オーで臨界事故、その年末には関電高浜4号機でMOX燃料データのねつ造。2000年に東電は、自らプルサーマル実施を延期する。翌01年2月、佐藤さんは4条件の信頼回復がまだだと指摘し、プルサーマル強行に「待った」をかけた。すると東電の副社長が「すべての新規電源開発を凍結」と発表しました。これは火力、水力、原子力の電源開発を抱える福島への恫喝でしょう。対決した電力・経産省一体の権力機構の感触はどのようなものでしたか?
韓国出張中に電源開発凍結を発表
佐藤:東電は力がないな、と思ったですね。副社長がすべての新規電源開発凍結を発表したのは、知事の私が韓国出張中です。これは後ろで経産省の役人が、ちょろちょろしているとピンときた(笑)。社長が会見して開発凍結を言うなら分かりますよ。
福島県と東電は、明治以来、深いつながりがありました。大正期に建設された猪苗代第一発電所でつくられた電気は、はるばる送電されて、東京銀座の柳を照らした。戦後の復興、高度成長期には奥只見ダムの発電所の電力が首都圏を支えました。01年2月時点では、広野町で火力発電所も建設中でした。福島の電源は原発だけではない。そうしたつながりを無視した役人の小賢しい智恵で言わされていると直感した。広野火力まで止めたら福島は慌てるだろうと……。
私は、新規電源開発だけでなく、核燃料サイクル政策を含めたエネルギー政策全般を抜本的に見直し、国民、県民に説明し、理解を求める必要がある、と一緒にソウルにいた部長に話し、部長がコメントを発表しました。
山岡:受けて立ったわけですね。
佐藤:すると翌日、東電の南直哉社長が記者会見で原子力については、今後も着実に開発すると副社長会見を否定した。さらに3月末に南社長は広野火力も凍結せず、プルサーマルの実施は見送ると発表しました。ひと月足らずで、元の状態に戻った。福島県では、県民のエネルギー政策検討会を立ち上げて、公開で議論して中間とりまとめを発表する準備を進めました。公開でのゼロからの討論は、民主主義の基本でしょう。その最中に資源エネルギー庁の原山泰人原子力政策課長の主導で、この「プルサーマルと原子力安全」と題したチラシが、双葉郡の町村2万2150戸、全戸に配られたのです(と、現物をスキャニングしたコピーが示される)。
山岡:「国ではエネルギー利用に関する原子力の安全規制を一元的に行うために、経済産業省に『原子力安全・保安院』を設置し、原子力安全規制のための行政体制強化を図りました」とあります。中央省庁再編で科学技術庁は解体され、経産省に安全面をチェックする保安院がつくられた。そのことをアピールしていますね。
佐藤:いま、全員がいなくなっている双葉郡、すべての住戸にこのチラシをくばっているんです。県でこれから検討会を開き、日本の頭脳と言われる人たち(村上陽一郎氏、米本昌平氏、飯田哲也氏、佐和隆光氏、西澤潤一氏、吉岡斉氏、山地憲治氏ほか)を招いて議論を重ねようとしていた矢先のことです。このチラシは、地方自治への重大な挑戦です。中央政府が地方政府の領域に直接手を突っ込んで、県民世論をプルサーマル容認に導こうとした。私も県の職員も、あきれ果てました。チラシのここを見てください。
山岡:「原子力の安全対策については、常に緊張感をもって慎重の上にも慎重を重ねて臨みます」か。わざわざ「重」の字に色をつけて、重ね重ね慎重にする、と力説しています。
佐藤:これは「多重防護思想」ですよ。すなわち地震だろうと、津波だろうと、海水をかぶろうと、どんなことがあっても安全です、と……。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111024/223384/?P=2
山岡:想定外なんて言えたものではない。双葉郡で、これ、配ってるんだから……。
佐藤:福島県のエネルギー政策検討会では、首都圏には電力供給県への感謝がない、と痛烈な批判も出ました。石原慎太郎都知事は、「石原知事と議論する会」で「極端なことを言うと東京湾に原子力発電所を作ってもいい。しかし、いきなりというわけにはいかない」とまで発言した。河野博文資源エネルギー庁長官は、プルサーマルについて「力ずくでも進めていくべき課題であります」と述べました。
あくまで福島県民の立場で闘った
山岡:中央は何が何でも福島県にプルサーマルを呑ませようと躍起になっていましたね。ところが、02年8月29日、東電の原発点検データの改ざんが発覚して大騒ぎとなり、プルサーマルどころではなくなる。
佐藤:データ改ざんを説明するファクスが原子力安全・保安院から県の担当局に入ったのですが、なぜかまた私が県庁にいない時間帯を狙ってくる(笑)。担当職員から自宅にファクスを転送してもらって、2年も前に通産省(当時)が内部告発を受けていたことを知りました。点検をごまかしたのは東電だけど、経産省も保安院もグルになって放置した。国は、プルサーマルは安全だ、福島県が邪魔するなら責任をとれ、と言う一方で、データ改ざんを隠した。考えられない不正行為ですよ。私は副知事に電話をして、本丸は国だ、敵を間違えるな、と檄を飛ばしました。
山岡:データ改ざん事件で、東電の社長経験者5人が辞任して、体制は刷新されるかにみえました。東電も本音では、魔の轍のようなプルサーマルから抜けだしたいが、それを口にすれば責任をかぶせられるので言えない、と伝わってきました。04年の春、経産省のプルサーマルに反対する改革官僚がつくった「19兆円の請求書」に関連して、平河町の都道府県会館でインタビューをさせていただいたころは、あちこちから核燃料サイクルへの見直し論がわき上がっていましたね。
佐藤:国会議員、官僚、文化人、一般市民、将来を本気で憂える人びとから、一斉に声が上がっていた。まるで炭鉱でガス漏れを検知するカナリアが鳴きだしたようでした。だから、カナリアをブルドーザー(国)が押しつぶさないでほしい、と申し上げた。
山岡:「19兆円の請求書」の背景には、経産省内の電力自由化を巡る権力闘争があったのですが、いわゆる自由化派の官僚と連携して、というようなことは考えませんでしたか。
佐藤:いや。そういうことは全然、ない。そういう政治的な動きとかは、まったく考えていなかった。あくまでも福島県民の立場で、中央から出てきたものと闘っていました。
山岡:04〜05年にかけては、大きなヤマ場でした。というのも、05年10月に原子力委員会が「原子力政策大綱」を発表することが決まっていた。大綱は、従来の原発推進の制度的核心だった原子力長期計画を改めたものです。この大綱のなかで核燃料サイクルの見直しが謳われるのではないか、とカナリアたちは期待していました。
佐藤:確かに、あれは分水嶺でしたね。05年8月に福島県は、大綱案に意見を提出しました。同年9月には福島県主催の国際シンポジウム「核燃料サイクルを考える」を、わざわざ東京の大手町で開きました。推進派と反対派、それぞれの論客をドイツ、フランス、アメリカからも招き、議論は白熱しました。主張は平行線をたどりましたが、核燃料サイクルの課題に関する議論は深まったと思います。しかしながら、閣議で決定された原子力政策大綱には福島県の意見はまったく反映されなかった。形式的に国民の意見を聞いたふりをして、官僚が決めた路線を追認して強引に進めていく。旧来の原子力行政そのものの決定の仕方でした。
山岡:そこなんです。いま、まさに「新原子力政策大綱」の策定に向けた審議が行われています。新大綱策定会議は東日本大震災で中断していたのですが、再開されました。今後1年間かけて新大綱を決めるそうですが、その内容は原子力委員会のウェブサイトに公開されています。
相変わらず、所用で欠席する委員が多く、経産官僚の掌の上で議事が進んでいるようですが、音声や映像もついている。今後10年程度の原子力政策の基本路線が、新大綱で決まります。ここは強調したい。原子力委員会はウェブサイトで「国民の皆様からのご意見」を募集しているので、どんどん意見を送ればいい。そして送った意見がどのように扱われたのか、しっかり見届けましょう。
佐藤:大綱を決める委員ひとり一人に、ほんとうに核燃サイクルがうまくいくと思っているのか、と問えば、高速増殖炉がちゃんと稼動するとは誰も思っていないでしょう。六ヶ所村の再処理施設が稼動して生産されるプルトニウムは、とてもプルサーマル程度では減らせないとわかっているでしょう。使用済み核燃料の処理について、歴史の批判に耐えられる具体案を誰も持っていない。しかし、誰も責任をとらない体制で、昔決めたことだからと破局に向かって突き進んでいるようにしか思えません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111024/223384/?P=3
山岡:さて、06年9月、佐藤さんは弟さんの土地取引に関する競争入札妨害による逮捕を受けて知事を辞任されました。翌月、ご自身が収賄容疑で逮捕、起訴され、2審の東京高裁で「収賄額0円」の有罪判決を受け、最高裁に上告中です。佐藤さんが失脚されてから、プルサーマルが九州電力玄海原発、四国電力伊方原発、関西電力高浜原発、そして東京電力福島第一原発に導入され、営業運転が開始されました。この間にも国は、ちょっと信じ難い対応をしているようですね。
「ユンクの本を古本屋で探してきたんですよ」と言う佐藤氏
佐藤:09年11月26日、福島県議会エネルギー協議会に呼ばれた資源エネルギー庁の森本英雄原子力立地・核燃料サイクル産業課長は、県議に使用済み燃料の原発サイトからの搬出(再処理施設へ運ぶこと)について質され、こう答えました。「これ(使用済み核燃料)をどのように運用するかは発電所ごとに事業者が考えなければならない」「それ(使用済み核燃料)を再処理することを政策として定めたところであるが、一方でその時期、どこで貯蔵するかについては各事業者が一義的に考えることである」。あれだけ国策としてプルサーマルは安全だ、心配ないと推進しておきながら、使用済み核燃料の始末に国は関知しない、原発を管理する東電と六ヶ所村で貯蔵や再処理をする日本原燃が決めろ、というのです。責任放棄ですね。
さらに昨年8月、現在の佐藤雄平福島県知事は人がいいものだから、プルサーマルの受け入れを了解しました。8月30日に福島県議会もOKした。そうすると、わずか3日後の9月2日、日本原燃は完成を17回延期して10月にオープンするはずの六ヶ所再処理工場を、なんと18回目の完成延期。完成をさらに2年引き延ばすと発表したのです。これは、偶然ではないでしょう。再処理工場の完成延期が先に分かっていたら、いくら人のいい福島県だってプルサーマルを受け入れなかったでしょう。挙句は、使用済み核燃料をモンゴルへ持っていこうなんて話まで出てくる。いくらモンゴルは人が少ないからって、先進国の日本がやることですか。文明論として許されない。
山岡:……絶句するばかりですね。なぜ、そこまでして権力機構は、核燃料サイクル、プルサーマルに執着するのでしょうか。論理的には破綻しているでしょう。
ブラックボックスがある限り変わらない
佐藤:関係者にとって原発ほどおいしいものはないからね。ブラックボックスですべてを吸収して、お金をかけるしくみで動いています。そのうまみがあるからです。
山岡:総括原価方式で、原発関連施設の建設費から燃料費、運転費、宣伝費、従業員の給与や諸経費まですべて原価に含め、さらに一定のパーセンテージの報酬を上乗せできるシステムが、ブラックボックスをつくっている。
佐藤:その通りです。まず、このブラックボックスを透明にして、コストを明らかにする必要がある。電力を自由化しなくては、ブラックボックスは残り続けるでしょう。
山岡:なるほど。原発利権の中心にブラックボックスがある。それをさらにたどっていくと、戦後の原発導入期から、連綿と続いている核武装への憧れがあると思います。読売新聞は社説で、プルトニウム利用が認められている現状が「外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ」(2011年9月7日)と踏み込んだ。自民党の石破茂政調会長は雑誌で「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという『核の潜在的抑止力』になっている」「原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる」(サピオ2011年10月5日号)と述べた。国論を二分するような大問題を、あたかも既成事実のように口にしている。はたして国民は、そのような考え方にいつ合意したのでしょう。原発を推進するために潜在的核抑止力が正式に唱えられたことを、僕は寡聞にして知りません。
佐藤:くりかえしますが、だからこそ、公開・自主・民主の三大原則に立ち戻って、私たちは原発の将来、世代間の共生を考えねばならない。東日本大震災の発生からひと月後の4月11日、ドイツの雑誌シュピーゲルの記者とカメラマンが、取材でうちに来ていたのですが、震度6弱の大きな余震がありました。男性カメラマンは、驚いてクルマに戻りましたが、女性記者は意外に落ち着いていました。そのとき、ロベルト・ユンクの『原子力帝国』の話になりました。ユンクは、原子力発電のような危険な技術がいかに民主主義を阻み、その国を監視国家に変えていくか、1970年代に見通していました。政・官・財・学に報道や司法が一体となって不可侵の聖域をつくりだす。ユンクの予測はドイツでは当たらなかったが、日本で現実のものとなった、とその記者は言いました。日本は、民主主義を取り戻せるかどうかの瀬戸際にきている。国民一人一人が、考え、決断しなくては、いけないのです。
(続く)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111024/223384/?P=4
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