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10/25 フクシマの怒り語る 社会派講談師・神田香織さん@こちら特報部
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/5200412.html
2011年10月23日 東京新聞 :Nuclear F.C : 原発のウソ
未来に警鐘を鳴らしていたはずだった。福島県いわき市出身の講談師、神田香織さん(56)が、9年前に創作した講談「チェルノブイリの祈り」。
旧ソ連で起こった原発事故の実話を伝え、新たな悲劇の発生を食い止めたいと願ったが、史上最悪の事故が大好きな故郷で現実になってしまった。庶民に寄り添う話芸は今、“フクシマの怒り”を広く発信している。(中山洋子)
ものものしいヘリコプターのプロペラ音をBGMに、パンと拍子木の音が鳴り響く。
「ときは1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原発で、原子力発電開発史上最悪の事故が発生しました」
今月中旬、千葉大教育学部の大教室。はかま姿の神田さんが語る旧ソ連(現ウクライナ)の消防士夫妻の物語を、200人近く集まった学生や市民らが息をのんで聞き入っていた。
物語は実話で、ウクライナのチェルノブイリに隣接するベラルーシの女性記者が取材したインタビュー集がもとになっている。新婚の夫は事故直後にシャツ一枚で出動して被ばく。妻は妊娠をひた隠しにして、ボロボロに朽ちていく夫に付き添い、最後まで看病した。子どもは生まれてまもなく先天性疾患で死亡した。
夫妻の生々しい証言が、臨場感たっぷりに話芸で再現され、会場内にはすすり泣く声が広がった。
神田さんは「福島第一原発の事故後はつらくてつらくて。もうこの話はできないんじゃないかと思った」と振り返る。
4月下旬、「今こそ聞きたい」と請われて市民集会で披露したのをきっかけに、ほぼ毎月のようにあちこちで演じている。「以前と比べて、客席の空気が変わった。ものすごく真剣に聞いてくれている。緊張感がひしひしと迫ってくるんです」
日本語訳のインタビュー集「チェルノブイリの祈り」(岩波書店)に出会ったのは2002年ごろ。読み始めると涙が止まらなかった。「愛し合っている夫婦を放射能が引き裂いた。もし福島の友人や家族がこんな目に遭ったらと思うと、とても人ごとじゃなかった」と講談にすることを決意。著者に連絡し許可を得て作品を練り上げた。
当初、客席の反応はさまざまだった。「『旧ソ連だから事故は起きた』とか『日本の原発は安全』という空気が強く、『脅かさないで』と耳をふさぐ人も少なくなかった。『電力会社に気に入られる内容にした方が仕事になるんじゃないの』と心配もされた」と話す。
チェルノブイリの事故を身近なこととして関心を持ってもらおうと、日本で起こるかもしれない架空の原発事故を作品の最後に付け加えた。「静岡県の太平洋沖に面した原子力発電所で…」などと、公演会場ごとに原発の立地場所も変えて警告してきた。
異色の社会派講談に「赤い講談師現る」などと皮肉られたこともあったという。「組合といっても農業協同組合くらいしか知らないノンポリだったのに。誰だって平和は好きでしょうに」と苦笑する。
放射能汚染が広がったベラルーシも訪れた。背丈ほどの草が伸びている立ち入り制限区域に行くと、高齢女性が一人で残っていた。女性は「昔は200人くらい住んでいて、にぎやかで楽しい村だったのよ」と懐かしんだ。裏庭で育てている野菜に「ほら、こんなに大きく育っているでしょ」と目を細める姿に、神田さんは何も言えなかった。
チェルノブイリ事故の後、神田さんはいわき市で農業を営む父親に「もし、福島で事故が起きたらどうする」と尋ねたことがある。畑仕事の手を止めた父親は、ゆっくりと「風向き次第だっぺな」とつぶやいた。
福島第一原発の事故後、父親は「(国の原発推進政策に懐疑的だった)おまえや佐藤栄佐久(前知事)さんの言った通りだったな」と話した。「みんな『しまった』と思ってるんだから、ちっちゃい顔してるんだよ」とも。心優しい福島人の父親が、ベラルーシの高齢女性に重なってみえた。
神田さんは「故郷を壊し、家族や友人を苦しめ、世界の海を汚しておきながら、国は原発が必要だと主張し、海外に輸出しようとする。正気の沙汰じゃない」と憤る。
地元の高校を卒業し、18歳で上京。劇団の養成所に入り、舞台女優を目指したが、いわき弁に苦しんだ。同じころ、高校の同級生だった秋吉久美子さんが映画デビュー。華やかな級友の活躍を横目に、焦りが募っていたとき、講談に出会った。話し方の練習で始めたが講談の表現力に魅せられ、25歳で二代目神田山陽氏に弟子入り。
3年間の修業を経て、1984年に二つ目に昇進し、次々に独自の作品を発表。86年に広島の原爆を題材にした漫画「はだしのゲン」を講談にしたのを転機に、「理不尽につぶされる側に立とう」と腹を据えた。
結婚したものの39歳で離婚し、幼い娘2人を育てるため、いわき市の実家に戻った。疲れ果てていた心を故郷がいやしてくれた。「寄席のある東京を離れるのは不安だったが、家族が子どもをみてくれた。同級生や地域の人々が寄席を設けて応援してくれた」
娘の高校進学を機に再び東京へ戻ったが、今月初め首都圏在住のいわき市出身者を中心にNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を設立した。
福島の人々を孤立させないように交流の輪を広げる狙いで、来月に都内で開く初イベントでは「チェルノブイリの祈り」を披露する。「原発事故の汚染は各地に広がるが、『福島』に被害を押し込めようとする空気が続いている。差別を絶対に阻止しなければならない」と力を込める。
神田さんの近年の作品には、いわき市を舞台に炭鉱の娘たちを描いた「フラガール物語」もある。いわき弁をたっぷりまぶした作品は震災後、福島へのエールとして各地で演じている。
江戸時代の津波を題材にした「稲むらの火」も講談にした。現在では防災講談として全国の自治体から引っ張りだこだ。いわき市でも支援者が昨年、一昨年と同市に防災用に演じてもらおうと打診したが、門前払い。
この作品は来月、同市主催の行事で披露される。「できれば1年前にやりたかった。津波を想像する機会になっていたかもしれないと思うと、本当に残念」と神田さん。
古典芸能でも落語が「笑い」、浪曲が「泣き」なら、講談は「怒り」を表現するといわれる。「定番の忠臣蔵ももとは時事ネタ。当時の大ニュースを伝える語りが古典になった。
代々伝わる話芸も素晴らしいが、大転換のときには現代を語ることも講談の役割のはずだ」。福島出身の講談師は、庶民の怒りを代弁し続けるという。
千葉大で開かれた公演の終幕。神田さんはパンと拍子木をたたいて続けた。「ときは2011年3月11日、太平洋に面した東京電力福島第一原発が史上最悪の原発事故を起こしました。再循環経路は破断し、炉心は空だきとなりメルトダウンを起こしました。付近の住民は避難をしたもようです」
もう、架空の事故ではなかった。
<デスクメモ>
インターネットで生々しい映像が配信される時代だが、講談師やミュージシャンらが娯楽作品で人々の想像力をかき立てる力はあなどれない。
実写よりメッセージ力を持ち、パワーを発揮する場合もあるのだ。政治家はうそつきで信念がなくても務まるが、作品はうそをつかず信念を伝えようとする。(立)
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