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福島第1原発:計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111023k0000m040108000c.html
毎日新聞 2011年10月23日 2時01分(最終更新 10月23日 10時24分)
東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村が計画的避難区域に指定されて22日でちょうど半年になった。村は約2年での段階的な帰村を目指すが、やむなく新天地で生活を再建しようと試みる人も少なくない。同村伊丹沢で農業をしていた長谷川芳博さん(42)もその一人だ。ビニールハウスを福島市内の畑に移し、キュウリの栽培を再開した。「故郷は心の中にあればいい」。長谷川さんは、生まれ育った村にはもう戻れないかもしれないと考え始めている。
「畑の表土を削るって、減った分の土はどっから持ってくんだ」。10月20日、村の除染や復興を巡り、福島市内で開かれた住民懇談会で、村側が示した除染計画に長谷川さんはかみついた。村は約2年で住宅地を、約5年で農地を除染し、帰村する計画を立てている。だが、長谷川さんによると「表層を削ればすぐに粘土層が露出し、農業には適さない土地になる」という。その日、質問への明確な答えはなかった。
専業農家に生まれたが、高校を出た後に上京し建設業に就いた。無我夢中で働き、建設現場で親方を任されるまでになった。充実感の一方でたまに目にする郊外の畑に懐かしさを覚えた。そんな時、父親が体調を崩し、31歳で村へ戻った。
大量に肥料を入れ農薬をまく農業に疑問を覚えた。「ビニールハウスを一つ俺に任せてくれ」。近所の農家から笑われるのもお構いなしに、肥料と農薬を思い切って減らした。「野菜を無理に育てるんじゃなく、野菜が持っている育つ力を助ける。それが本当の農業じゃないのか」。数年の試行錯誤を経て納得のできるキュウリが実った。大手のコンビニにも卸すようになり、村おこしのリーダーにも選ばれた。
原発事故に襲われたのは、家族経営を脱却し、法人化を考えていたときだった。1ケース(5キロ)2500円のキュウリは風評被害で200円まで暴落。ビニールハウスの重油代にも事欠くようになり、避難を決めた。「若い農業の担い手を育てる」という夢も、無人の村に置いてきた。
福島市内で畑を借り、1カ月がかりで4棟のビニールハウスを移し、8月の末に収穫にこぎ着けた。「補償なんか当てになんねえ。自立せねば」。そんな思いが自分を駆り立てた。今は妻と娘2人で畑に近いアパートに身を寄せる。両親も近所に避難した。東電や政府に言いたいことは山ほどある。村の計画にも疑問を感じる。「村に戻るのは年に2回、墓参りの時だけになるだろう」。長谷川さんは村に愛着を感じつつ、この地に根を張ろうかと思い始めている。【川崎桂吾】
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