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【必読】小出裕章氏が質問に答えて振り返る、原発をやめさせようとした人生(たね蒔きジャーナル『シリーズ反骨の人』)10/17
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65770107.html
2011年10月18日08:38 ざまあみやがれい!
2011年10月17(月)、小出裕章氏が毎日放送「たね蒔きジャーナル」に出演しました。『シリーズ反骨の人』の第一回の人物に選ばれた小出裕章氏は、ご自身の人生について、質問を受けつつ語っています。
音源
20111017 [1/2]たね蒔き「反骨の人シリーズ 原子力学者小出裕章さん」
http://youtu.be/bwbSWJTuTSA
http://www.youtube.com/watch?v=bwbSWJTuTSA&feature=player_embedded
20111017 [2/2]たね蒔き「反骨の人シリーズ 原子力学者小出裕章さん」
http://youtu.be/S3wYq51Zi4M
http://www.youtube.com/watch?v=S3wYq51Zi4M&feature=player_embedded
※初稿です。誤字脱字は随時修正いたします。
=====(文字おこし、ここから)
水野「ラジオニュース『たね蒔きジャーナル』今日の特集です。今週は『シリーズ反骨の人』。今日1回目は京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生に伺います。小出さんこんばんは。」
小出「こんばんは」
水野「どうぞよろしくお願いします」
平野「こんばんは。よろしくおねがいします。」
小出「よろしくおねがいします。」
水野「今日はいつもとちょっと違いまして、小出さんの反骨人生というものに迫らせていただこうと、思っておりまして」
小出「はい。お断りしたいと思います」
※スタジオ笑い
水野「嫌がられると思ったんですよねえ」
小出「はい」
水野「きっとね、小出さんは、あの、恥ずかしがりやさんだと私は見ておりますので。」
平野「そうですね」
水野「ご自分でご自分のこと、おっしゃるのはお嫌だと思い、私が勝手にまずは小出先生の少年時代をまとめてまずはお伝えしてみたいと思います。」
平野「はい」
水野「小出先生、間違っていたらドンドン言ってくださいね」
小出「……んー、なんか全部間違ってると言いたいぐらい……」
※スタジオ笑い
小出「はい」
水野「どうかなあー。えっと、お生まれになったのは終戦から4年後のこと。」
小出「はい」
水野「東京の下町」
小出「はい」
水野「上野ですか」
小出「そうです」
水野「まあ下町で生まれ育って。中学高校の頃は大変真面目な生徒だったと聞きました」
小出「はい(笑)。多分そうだと思います」
水野「はあー。どんな感じの子供ですか」
小出「ええ……。6年間、中学高校と一貫校でしたが。1時かんも授業を欠席したことがなくて、皆勤賞を頂きました。」
水野「皆勤賞。真面目な」
小出「はい」
水野「良い子ですね。」
小出「はい」
水野「なんか大人から見たらいわゆる良い子だったんじゃないかって。ご自分でお話になってことがあるようですけど」
小出「(笑)。ん、まあ、多分そうだと思います」
水野「そんな良い子時代の……そしたら悪い子になったんかって話ですけど、ごめんなさい(笑)。まずは良い子だったと、しましょう(笑)。で、そのころ1960年代半ばといいますと、東京オリンピックがあったりなんかして。ちょうど広島長崎の原爆についての展示物がいろんなところを回ってたんですってねえ」
小出「そうです。」
水野「それを見た小出少年はどんなふうに思ったんでしょう」
小出「……。ええ……(ため息)。まあ原爆というのはすごいもんだなあと……。すごいというか飛散なもんだなあと、思いました」
水野「ええ。」
小出「はい」
水野「だからこそ、これを平和的に利用したら逆にすごいエネルギーだ、ということも、まあ当時の気分だったわけですよねえ」
小出「はい、もう、あの、マスコミを含めてこぞってそういう風に思っていた、時代、でした。えー、私自身も、原爆の、エネルギーというものを平和的に使うことができるなら、これは人類のために、役に立つと、思いこみました」
水野「はい。思い込んでですね。1968年に東北大学に入学なさって原子力を学ばれると、いう、ま、そっから、研究生活が始まっていくわけですけど。あの、ここまでですとね、いわゆる他の学者さんとそんなに違わないかと思うんですよ」
小出「(笑)」
水野「原子力を夢見て、入って」
平野「そうですね」
水野「で、その小出先生に、人生の大転換の日がやってきます。これは小出さんが大学3年生の時、22歳の秋のことです」
小出「えー……」
水野「1970年。」
小出「……70年、そうですねえ。20……21歳ですね」
水野「21歳ですか」
小出「はい」
水野「失礼しました」
小出「はい」
水野「10月…のこと」
小出「はい」
水野「丁度、40年……」
小出「41年前です」
水野「1年前」
小出「はい」
水野「の10月のことだったんですねえ」
小出「はい」
水野「さ、その時、小出先生……小出青年ですね、当時」
小出「はい」
水野「21歳の小出青年にどんなことが起こったんでしょうか」
小出「ええまあ、私は原子力をやりたいと思って、いて。」
水野「はい」
小出「東北大学という大学にいました。えー宮城県の仙台という東北地方最大の都会、に居ながら勉強して原子力をやりたいと思っていたのですが。丁度その時に東北電力が原子力発電所を作るという計画を発表しました。」
水野「はい」
小出「私にとっては、ああ、よかったなあと」
水野「ああ。ああよかったなあ」
小出「そういう事だった、のですね。それから……」
水野「ようやくじゃあ東北電力、ご自分が勉強してらっしゃるところの近くにも原発ができるんだ……」
小出「はい」
水野「よかったなあと」
小出「はい。」
水野「はあ……」
小出「初めはそうだった」
水野「はい」
小出「のですが。ええー……。その原子力発電所を建てるという場所が、電気をたくさん使う仙台ではなかった……のです。ええ……女川町という、今回震災……津波で町ごと無くなってしまいましたけれども。三陸沿岸の小さな漁港のある、町に原子力発電所を建てて」
水野「ええ」
小出「長い送電線を敷いて仙台に電気を送るというそういう計画だった」
水野「はい」
小出「のです。で、私はまだその時にもよく分かりませんでしたが。女川の人たちが」
水野「はい」
小出「なんで仙台に建てないんだという声を、上げたのですね」
水野「つまりそのころ、ほんとに夢の、施設である原発なのに、そんないいものだったらなんで仙台じゃないんですかと」
小出「はい」
水野「そんときなんて小出さんは思われました?」
小出「答えはなかったのです、私は。なんでなんだろうと思いました」
水野「はあー……」
小出「はい……ええ……」
水野「小出さんもなんでだろうと思われたんですか」
小出「はい。それで答えを、さ、を答えよう、答えたいと思ったわけですけれども。なんでだかわからなかった。それで答えを探し求めました。」
水野「はい」
小出「で、ま、大学で勉強する限りは、工学部原子核工学科というのは原子力発電というのはものすごいいいもんだということしか教えてくれないという、そういう場所なのですね。ま、それが学問という場所、なわけですけれども」
水野「へえー」
小出「ええ……。それだと私が求めてる答えが出てこない、のです」
水野「うーん」
小出「もうそうなれば自分で答えを探す、しかないと思いまして。ええ……大学とは離れて勉強を始めました。」
水野「はい……」
小出「当時、米国で丁度原子力の問題にみんなが気がつき始めた、ころでして。えー、70年頃ですけれども。ええ……様々な問題店が米国から発信され始めた」
水野「はい」
小出「ころでした。で私はその米国からの情報を、あの……接する機会を得るようになりまして。原子力発電の問題というものを大学と離れて自分で勉強するように」
水野「自分で……」
小出「はい。なりました。その結果、なぜ仙台ではなくて女川なのかということの答えにたどり着いた、わけですけれども」
水野「たどり着いたんですか。はい」
小出「今から見れば、単純なんですが。原子力発電所というのは都会では引き受けられない危険を持っていると」
平野「ふむ……」
小出「だから、過疎地に立てて長い送電線を敷いて都会に電気を送るという、そうやるものだということだった、のです」
水野「はあ……。それは誰かから学校から教えられたわけじゃなく自分で学んでやっと、行き着いたのがその答えだったのですね」
小出「そうです。」
平野「ふーん……」
水野「それを知ったときどんなお気持ちでした?」
小出「……まあ、残念というか……夢が打ち砕かれたわけですから」
水野「少年の頃からの夢が打ち砕かれちゃいましたね」
小出「はい……はい…。残念だし、くやしいと、思いましたし。……複雑な思いでしたが、落とし前をつけたいと思いまして」
平野「(笑)」
水野「落とし前をつけなきゃ(笑)。どうやって……」
小出「ええ……原子力をやめさせようと思いました」
水野「はあ! でもお一人で何ができ……たんですか……」
小出「ええー当時は、ええ、ちょうど大学闘争というものがあった時代で」
水野「ああ……。」
小出「ええ……大学の中で、自分たちが関わってる学問というものが、どういう、意味を持っているか。社会的などういう責任を背負っているかということを問題にしている時代でした。そのため……教員も含めて学生も含めて、皆がその問題に向きあっていましたし」
水野「ええ」
小出「ええ……私自身もそれにむきざ、向き合わざるを得なくなりまして。やはり現在の学問、には問題があると、私は思いましたし。」
水野「ええ」
小出「ええー……周辺にいる教員も、学生も、中には私に共感してくれるような」
水野「あ」
小出「人が、いましたので」
水野「はいー」
小出「はい。私は大学の中で原子力をやめさせる活動を始めました」
水野「はあー。なんかあの教授たちと、いろいろ議論をしあって」
小出「はい」
水野「って聞いたんですけど」
小出「はい」
水野「毎日のように論争して」
小出「はい。授業をやらせないようにしました(笑)」
※スタジオ笑い
水野「やらせないようにずうっと議論するんですか、原子力について」
小出「そうです」
水野「で先生はなんていいはりました?」
小出「ええー、私が徹底的に授業をやらせたくないと思ったある人がいるのですけれども。ええーその人は、福島第一原子力発電所1号機、今回事故を起こした原子力発電所の、公聴会というものに出かけていきまして。原子力発電所は絶対に安全だと、発言をしてきました。」
水野「はあー……」
小出「はい…。私はそんなことは到底ありえないと思って、えー、そのご教授とその議論を、講義の時間を使って始めました。」
水野「ええ……。そうすっと、どっちに議論の軍配があがるんですか」
小出「ええまあそれは、う……難しい判断ですけれども。ええ……私の同学年の学生が同じ教室にいるんですね。」
一同「ふむ」
小出「で、その議論、私と教授の議論を聞いてるし、もちろん議論に参加してくれる学生もいるのですけれども。え、最後は、全員がその講義の、講義をボイコットして」
一同「へえー」
小出「講義室から堆積するということになりました」
平野「ふむ」
水野「はあーっ。じゃあ結局小出先生のおっしゃった、まあ、論に対抗……相手方の教授はできなかったわけですけど。」
小出「はい」
水野「あの、学校の先生たちって、そのころ、本気で100パーセント原発は安全だと思ってはったんですか? どうなんですか実は」
小出「え、もちろんそうでなはい……です」
水野「分かってらしたんでしょ。」
小出「ええ……」
水野「研究者として」
小出「ええ……研究者というのはですね。私がいたころもそうですけれども、たぶん今もそうだと思いますが。学問というものがものすごい細分化されてしまっていて。ええ……自分のやっているところ、は、何とか守るということをやるわけですけれども。全体が見えない、のですね。ですから、自分の領域とちょっと離れてしまうともう全く訳がわからないという、そういう、領域で。原子力発電所の全体像をほとんどの、教員がもう見ることもできないというそういう状態でした」
水野「はあー。だけどずうっとまあ議論し続けていくと最後のところは、なんか家族があるからとか」
小出「(笑)」
水野「そういう話になるってきいたんですけど」
小出「はい」
水野「どういう事ですかそれは。」
小出「ええーですから……。なんでこんな原子力をすすめるのか、というようなまあ議論をずうっとしていたわけですが。そうなると最後になると……そんなこと言ったって自分には家族もあるんだと、生活があるんだから、そんなに……国のやってることに反対して……生活を失うようなことはできない、大学を去ることはできないという、そういう事を表明する教員がいっぱいいたんですね、その頃は」
水野「はあ……。ある意味正直ですよね」
平野「そうですねえ……」
小出「まあそうですね(笑)。大変正直な、ですから、そこまで言ってくれた人は、正直だったと思います。まあそうも言わないで黙りこくって何も言わないという人ももちろんいたわけですけれども」
水野「家族があるんだ生活があるんだ」
小出「はい」
水野「ま学者でもそりゃそうですわね。人間なんですね」
小出「はい。もちろんみんなそうです」
水野「ふーんー……で、小出さんをまたお仲間の若い方でも、じゃあ自分はどうするんだと、生き方どうするんだと悩まれたと思うんですね」
小出「はい」
水野「そこでどうなりました?」
小出「うん……まあ、様々です。ええー……、やっぱり親の期待を背負って、大学に来た人だっているわけですから。ええー……、自分の節を曲げて、企業に就職した人もいるわけだし。まあ、なんとか原子力なるだろうと。自分を納得させながら、原子力の世界に留まった人も、いるわけだし。」
水野「なかにはあの、先生のお友達、っていうんですかね。先輩の方で、もう大学をやめて、土木関係のお仕事に」
小出「(笑)」
水野「移って……」
小出「はい」
水野「って方もいらしたんですって?」
小出「はい、まあその……自分の生活を言い訳にしてなんか自分を、自分の生き方を正当化する、というかもうこれしかしょうがないんだというようなことは言いたくないと。自分の人生なんだから、自分……言い訳を作りながらやりたくないので。えー、言い訳を作らなければいけないような場所には痛くないと。それなら、初めから、そんなゆう、優遇されたところにいないで、土方になってしまえばいいと。」
水野「ふうーんー……。」
小出「土方になりました。」
水野「そのかた今どうしてらっしゃるんですか?」
小出「ええー、もう。私より二つ年上でしたので、もう、ええ……最後は鳶、とび職でしたけれども。まあとび職の親方になっていましたが。もう定年になって今は職……というのは、定年から造園業に転身して、造園をやっていますが。いまでも女川原子力発電所の反対運動の中心メンバー……です。」
水野「小出さんは、じゃあ、ご自分の生き方をどうしようと決断……また悩まれて、したんですか」
小出「ええ、私はその人がそうする時に、よく、その人の決断がわかった、のですけれども」
水野「ええ」
小出「でも……私はそうしないと、言いました、彼に。ええ……、私は、原子力の場に居ながら原子力に反対するという、役割を負う人間も必要だと思うので。この場に残ると、言って、私は原子力の場に残りました」
水野「ふうん……。あのリスナーの方で、たくさんくださってるんですけど。たねふぁんってラジオネームの方はね。小出先生、ご両親はどういう教育なさりましたかって」
小出「(大きく笑い)」
水野「現在の先生の生き方にどんな影響を与えられましたかって。聞いてらっしゃいましたけど」
小出「んまあ、放任でした。」
水野「あ、放任ですか。」
小出「はい」
水野「ただ、さっきの話じゃないけど。東北大学で原子力まで学んでくれたら出世してお金もようけ設けてくれるとか。名誉のある立場になってて、私、思われるのが普通やと思うんです?」
小出「うん……まあそうですけど。私は……まあいい子だったと思いますし。ええ……自分がこうしたいというふうに決めたら、ずっと子供の頃からそうしていた……子だったと思いますので。え……親は私のことをそれなりに信頼もして……くれていたと思いますし。また私が決めれば、どうせ何を言っても駄目だと思っていたと思います(笑)」
水野「(笑)。はあー。ラジオネームいまやごじのちちさんです。私の生き方って損だなあ〜と思ったことはどんな時ですか?」
小出「一度もありません」
水野「ないんですか」
小出「はい」
水野「私正直申し上げますけど、やっぱり教授をしている知り合いに聞きましたけど。助教というお立場は、いわゆる昔の助手ですよね」
小出「そうです」
水野「お給料が教授に比べたらものすごく……」
小出「(笑)」
水野「低いと」
小出「はい」
水野「それで、37年ですか、先生は助教でらしたのが」
小出「はい」
水野「もうね、考えられない!って聞きました」
小出「はい」
水野「そんな長い間ずうっと、まあ教員の立場の中の、一番低いレベルの助教の立場に、小出さんほどのいらっしゃり続けるのはありないと! 他の大学の人が言ってましたけど……、そうでしょ?」
小出「いや全然」
水野「出世はないわ、お給料はあがらないわ。……で、色んな研究費も来ませんでしょ。」
小出「……まあそうですけど……。原子力で研究をしようとしたらば、原子力に賛成をしなければ、研究費が来ないというのは当たり前のこと、ですよね」
水野「はあー」
小出「私は原子力に反対ですし。ええ……研究費が来ないなら来ないなりの研究をすればいいという……」
水野「ふっふっふ(笑)」
小出「だけのことなわけだし。給料が低いったってそんなに低くないですよ。あの別に家族と一緒に生活できないわけでは、ないし。なんにも、今までなんにも困ったことが、ありません」
水野「なんかあのー、生活に対する言い訳はしないってご自分で決めてらっしゃるとも聞きましたけども」
小出「ふふふふふ(笑)。いやまあそれは……う……この大学から首になるのが嫌だから説を曲げて原子力に賛成をしようとか、そういうような気持ちはもとからないわけですし。えー……、やりたいことをやりながら、いければ、ただそれだけで充分という……思ってきました」
平野「先生あのー、まあ組織のですね」
小出「はい」
平野「中で……まあこう……その発言力とか、動かす力という意味ではですね、なかなかこう助教という立場で、あの、自分の思うとおりにならないということも結構あったんじゃないかと思うんですけど。そういう意味では僕は悔しい思いを、あの、必ずされたことがあると思うんですけども。そのへん…‥でのこう、自分への言い聞かせっていうんですか」
水野「ねえ……どういう感じの、こう……」
平野「そのへんのことがちょっと、伺いたいんですよねえ」
小出「ええー……、京都大学原子炉実験所という私が今いる職場というのは、え……、大学ですので、もともとファンダメンタルな学問をやる、所なのであって」
水野「基礎的」
小出「はい。ある人は物理学、ある人は化学、ある人は生物学をやっているということで、別に特に原子力を推進のために何かをやろうなんてことは、もともと目的にありませんし。原子力を潰すためにやろうなんて目的だって、もともとない、のです。ですから組織としての原子炉実験所を、私は原子力のために動かしたいなんて思ったことは一度もありませんし。え……私のような考え方で原子炉実験所という組織全体をどうこうしようという、ための力を、私は求めたことはありません。そのため、いやそのかわり、私がやることに関しては口出しをしないで欲しいと思って、来ました。え……、そういう意味で言えば、助手、まああるいは助教という立場は、ものすごい快適、な立場でして。えー、自分が学問的なウソを言わない。例えば破廉恥罪のような犯罪をしないと、いうような限りは、もう教員として独創性を持って仕事をする限りは自由にできるという、大変恵まれた立場だと、思って、来ました。はいですから私は別に教授になって実験所の組織をどうこうしたい、というふうには思いませんでしたし。とにかく自分のやれることだけをやらして欲しいと思い続けてきたので。現在の立場が一番快適だと、思ってきました」
水野「じゃあ、ぱがにゃーにゃさんっていう山形の方がくださいましたけど。私が感じている小出先生のイメージは、苦行僧」
※スタジオ笑い
水野「苦しんでる行の僧。だと思うんですけどもっていう(笑)。違いますか、小出先生」
小出「誤解ですね。」
水野「楽しんで、はりますか、遊業(※でいいのか?)ですか?」
小出「はい、あの、実に楽しんでるし。あの、私が、みなさん、迫害をされて苦しんで、お金もなくて、貧乏で、と思ってられるようですけれども。迫害をされた覚えは一度もありませんし。お金がなくて貧乏って、確かにお金持ちではないけれども、え……モノを食べるのに苦労したこともありませんし、酒を呑むのに苦労をしたこともありませんし、なんの問題もなく今日まで来ています」
水野「私が、小出先生にお会いしたとき、小出先生は、え……歩いていらっしゃいました。あるいは自転車に乗って、いらっしゃいました」
小出「はい」
水野「そして、会談とエレベーターがある駅のコンコースに行く時などは、必ず、階段を、昇り降りされると聞きました。」
小出「はい」
水野「エレベーター使わないんですよね。出来る限り。」
小出「使いたくないんですけれども。例えばどっか、に私は出かけて、ホテルなんかに泊まると、階段がないんですよね(笑)」
水野「うーん、この頃階段ないとこ多いです。」
小出「もう捜し歩いて、なんか非常口みたいなところ開けると」
水野「そうですか(笑)」
小出「そこに階段があったりするという(笑)。そんなんで、ずいぶん不便をしていますけれども」
水野「そんな時に苦行をしてらっしゃるんですね」
小出「そうですね」
水野「ええ……、ただわたくし、やっぱり、あの伊方原発の裁判で証人にも立たれたというふうに聞いて……おりますけどね」
小出「はい」
水野「やっぱり40年、あの、すごい失礼な言い方かもしれませんけども。敵が、ま、も、ものすごく圧倒的に有利で。やっぱり流れの中で負け、が続く人生ではなかったのかと。小出先生の人生は」
小出「そうです」
水野「やっぱりそうですか(笑)」
小出「はい。連戦連敗です(笑)」
水野「連戦連敗この人生をどう思われますか」
小出「……うん……。悲しいですね。まあ、負けて……ただ負けている間はよかったですけれども。ええ……、いつか事故が起きるから早くやめてほしいと、言い続けてきて、それでも負けてきたのですけれども。本当に事故が起きてしまった……」
水野「はい」
小出「のです。ですから……言って、言い争っているうちはよかったのですけれども。事実として負けてしまった……ということがあって。ええ……言葉に尽くせず無念です」
平野「うん……」
水野「うん……」
※間
平野「……あの先生、これだけ大きな、まあ福島の事故があって。その先生はその後おっしゃってるのは、あの、まあ若い人で原子力工学に進む人がですね。あの、あまりもう居なくなるんじゃないかと。」
小出「はい」
平野「それをまあ危惧されて。しかし、あの、我々はそういう、この、原子力工学を学ぶ若い人達も、やっぱり続いて欲しいんだというふうにおっしゃってますけれども」
小出「ああ(吐く息)」
平野「あの、これはあの、今、現実にですね、先生のところにそういうなんか学ぼうとかいう若い人たちは、あの、訪れたり、コンタクトなんかはあるんですか。」
小出「ええ……私はその、原子力は即刻全て全廃すべきだと言っている、のですね」
平野「ええ」
小出「ですから原子力をこれから進めようというような若い人に、来て欲しいと思っているわけではないのです。えー、原子力を今即刻全廃したと、しても、これまで作ってしまった核分裂生成物という放射性物質が、今現在私たちの目の前に、広島原爆120万発分がある、のです。それをこれから、の、世代。私の子どもの世代、孫の世代、その孫の世代というふうに、100万年間、重荷をのしかからせなければいけないというような毒物を作ってしまった、のです。なんとかその、それを少しでも、後世の人達の重荷にならないようにするという、責任というか、学問がやはり、私はあるべきだと思うの、です。ですからそういうための、学問、あるいはそういうための学生に、来て欲しいと思うのですが。でも。私が原子力の夢に燃えて、原子力が人類の未来のための、未来の明るい未来のために役に立つと、いう思った、時と、私たちがもう圧倒的なゴミを残してしまって、え、なんとかその負の毒物をですね、お守りをしていって欲しいってところに、が、するための学問、というそのために来てくれる学生がいるかと、思うと、とっても難しいなと私自身は、思います。でも、あの、最近になって私のところにそのための責任をとりたいというふうに声をかけて、来てくれた、学生も、おります」
水野「へえー」
平野「ええそうですか」
小出「はい。」
水野「そうですか。小出さん今日、色々とありがとうございました」
小出「はい」
水野「また明日から解説のコーナーもよろしくお願いします」
小出「はい。こちらこそ。」
平野「ありがとうございました」
小出「ありがとうございました」
=====(文字おこし、ここまで)
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