65. 2011年10月17日 22:07:28: AJZ9n17rWA
20万人以上の犠牲者を出した広島・長崎の核爆発被害に比べたら、今回の福島原発事故の被害がそれほどまでに深刻でないことは、誰が考えたって明らかではありませんか。 今日、一部のマスコミや‘自称’専門家の中には「福島原発の周辺には今後50年、誰も住めないだろう」などという無責任な発言を垂れ流す輩が多く見られます。 あたかも被災地である東北の、そして福島県の皆様の生活を心配しているかのごとき発言ですが、本当に地元の方たちのことを心配しているのであれば、科学的な根拠もないのにそういった風評被害を助長するような発言は絶対にするべきではないでしょう。 いったい彼らは、未曾有の災害に襲われた東北の人たちを助けたいのか?それとも、さらなる絶望の淵に落としたいのか・・・・・。 被災地の方々が希望を持ち続けられるように、そしてさらなる復興を遂げられるように、暖かい手を差し伸べていただけるように伏してお願いするものであります。 2011年に福島第一原発で起きた事故は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故とは全く性質が異なり、比べ物にならないくらい小規模なものです。 福島では津波により亡くなった職員以外に、核放射線による急性死亡は1人も出ておりません。また、被災直後の急性放射線障害の患者もいません。現場の職員たちも被曝量はレベルC:0.1〜0.9シーベルト以下と推察できます。これらの事実から、福島は、チェルノブイリと比べ、核災害規模は格段に低いことが明らかなのです。 今回の現地調査からは、福島の場合、水素爆発のあった3月中旬でさえ、1日当たりの線量はおよそ1ミリシーベルトに満たない低いものでした。(文部科学省発表) 20km圏内からの避難者は概してレベルD2〜10ミリシーベルトであり、核放射線よりもむしろ長期の避難生活による健康面や経済面の損失が顕著です。 核分裂反応が停止した炉心内の放射能の総量は、時間の経過とともに低下します。その法則は、7倍の時間で10分の1に低下する、すなわち、1週間で10分の1、49日後に100分の1、そして1年後に1000分の1になるのです。したがって今後も放射線は徐々に弱まっていきます。 今回福島県で、20キロ圏内からの避難住民を中心に、甲状腺に沈着した放射性ヨウ素量を、県民希望者66人に対し検査しましたが、最も値が高かった人でも3.6キロベクレルで、甲状腺がんのリスクは全くない範囲です。チェルノブイリ事故時の被災者の甲状腺線量の最大値は50グレイで福島の1万倍。周辺ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3国で4000人を超える子供たちが甲状腺がんになりましたが、この調査結果から福島と周辺での甲状腺がんをはじめ、発がんリスクはないと予測できます。 福島第一原発では、地震後の15メートルにも高くなった大津波に襲われ、冷却ポンプが故障してしまい、燃料棒の冷却水が足りなくなってしまいました。燃料棒自身が発生する高熱により、ウラン燃料を包んでいた薄い金属の被覆が融けたのです。こうして炉心が溶融したと考えられています。 福島第一原発の水素爆発は、炉心周辺の水の分解で発生した水素が建屋内に充満して、それが酸素と反応して起こったものです。決して核爆発ではありません。 核分裂生成物の総放射能は、7倍の時間の経過で10分の1に減衰する法則になっています。停止1分後の総放射能を1とすると、7分後に10分の1、49分後に100分の1、6時間後に1000分の1、40時間後に1万分の1に減衰するのです。ですから、24時間以後に水素爆発したときには、放射能は1000分の1以下に弱まっていたのです。 核分裂反応が暴走して炉心が爆発したチェルノブイリでは、放射能の減衰の間もなく、環境に莫大な大きさの放射能が噴き出したのです。時間からだけで推定すると、福島の1000倍以上の放射能になるのです。そのためチェルノブイリでは、発電所の運転職員たちが急性放射線障害で死ぬほどの線量を受けたのでした。 それに対して、福島第一では水素爆発までの24時間以上の間に、炉心内の放射能が1000分の1以下に減衰したので、東電職員たちが危険な線量を受けるリスクが低くなったのです。 福島第一原発でも、発電所の敷地内や破壊された建屋の中であればプルトニウムも検出されるかもしれませんが、私が2011年の4月10日に福島第一原発を調査に行った時点では、フェンスのすぐ外側で測定しても、プルトニウムが放射する強いアルファ線は検出されませんでした。 福島原発でも、20キロから30キロ圏内の住民の計画的避難が取り沙汰されていますが、チェルノブイリ原発から漏れた放射線の量と福島原発から出た線量は全く比べ物にならないほどです。科学的な見地から述べると、政府の介入は過剰です。むしろ、長期の避難生活による健康被害と経済損失のほうが明らかです。 これ以上の避難拡大には意味がありません。環境の放射線は、次第に低下する法則にあります。国家としては、こうした地域の生活の安定を、積極的に支えるべきです。この問題は、福島県だけの問題にとどまらず、日本の弱さ、政府の弱さを世界にさらけ出す結果となります。今こそ日本人の知恵と勇気を世界に示さなくてはいけません。 津波に誘発された福島核災害は悲劇ではありますが、最悪の事態ではありません。広島・長崎の核災害や、チェルノブイリ事故と比べたら明らかです。未曾有の核災害は、シルクロード楼蘭遺跡周辺のウイグルにあります。中国による楼蘭核爆発災害です。地表核爆発で放出された総放射能はチェルノブイリの500万倍です。しかもこれは、世界の目から長年覆い隠されてきました。私の世界調査で、これ以上の悲劇はありません。救いのない地、世界中の支援が全く届いていないのです。 この地域から核の黄砂が、長年にわたり、日本へも降っていたことさえ、ほとんどの国民が知りません。メディアは決してこの事実を報じようとしません。日本人の骨格に放射性ストロンチウムが蓄積しています。私は、文部科学省からの研究費を得て、この研究を2年前から行っています。内部被曝線量はレベルD(2〜10ミリシーベルト)です。日本の全土が、その程度に汚染したのです。昭和時代にメイド・イン・チャイナの放射能で、米・野菜・牛乳が汚染しました。迷惑な話ですが、それでも、私たちは生きています。 今回の福島第一原発事故から漏えいした放射能が日本列島全体に与えた影響は、中国からの核の黄砂の放射線影響に比べたら、決して多くはないのです。昭和の時代の体内被曝は10年以上も続いたし、しかもその核種は、セシウムよりも危険なストロンチウムだったのです。 しかし、今回の福島原発の事故では、圧力容器の中で発生した水素が爆発したものの、これは核爆発と違って周囲の土砂を大量に吹き上げるほどのものではありませんでした。 毛沢東ら中国共産党政府は、昭和39年(1964年)の10月、東京五輪の真っ最中に、楼蘭遺跡の近くで最初の核実験を行いました。 中国政府は平成8年(1996年)までに、楼蘭遺跡周辺で、延べ46回、総爆発威力およそ22メガトン(1メガトン=100万トン)の核爆発を行っています。この総威力は広島への核攻撃の実に1375発分にも相当します。これにより、作家井上靖らが描いた歴史ロマンの地は核の砂漠と化してしまいました。環境に放出された放射能の総量は実に4000万エクサベクレルであり、これはチェルノブイリ原子炉災害の約2000万倍の数値です。 1964年から1980年にかけて放射能を帯びた核の黄砂が4000km離れた日本列島の全土に降り、環境中にある放射線が顕著に高まりました。米や野菜などの農作物の他、牛乳が放射能汚染し、食物連鎖により長年の間に日本人の体内中に取り込まれたのです。 日本人の死体解剖の骨格に含まれる、放射性ストロンチウムの放射能は放射線医学総合研究所で分析され、胎児、幼児、成人から顕著に検出されています。 文部科学省の研究費を得て私は国民の体内の放射性ストロンチウムの線量評価に関連して平成21年から3年間、研究を続けています。中国から飛来した核の黄砂による内部被曝は、多くの国民で数ミリシーベルトとなりました。この線量値は、2011年の福島20km圏内の住民6万人の放射性ヨウ素による甲状腺線量と同じレベルです。 核の黄砂により内部被曝した日本人が仮に1億人とすれば、その影響の大きさは、福島のおよそ1700倍も大きいのです。 私たち日本国民全員は、隣国からの核の黄砂で、昭和の時代から長年にわたり迷惑を被ってきました。平成の今、同レベルの線量であるのにもかかわらずマスコミで福島の恐怖を煽っている人たちは、何ゆえか昭和時代の核汚染には目をつぶり、中国の核実験に沈黙しているのは政治的意図があるものと受け取られても当然でしょう。 私としては放射線衛生上、世界のどの核災害も客観的科学的に調査をし、線量の絶対値を計測するとともに、それぞれを比較し、相対的な影響の度合いを調べています。 昭和の列島全体と平成の福島原発周辺の内部被曝は同レベルで、どちらも健康への影響は無視できるレベルです。その放射能のせいで、だれも禿げないし、白血病にもならない、ガンにもならない、寿命は短縮しない、遺伝影響もないのです。 平成23年の民主党政権の大臣の多くの骨格は、他の日本人と同じように中国産のストロンチウムで汚染されています。政権の寿命は短いと誰もが予測するでしょうが、人としての寿命は必ずしも短くはないと私は科学的に判断しています。おそらくどなたも、天寿を全うされることでしょう。 ただし、シルクロードの現地の人々と、核爆発期間中に現地を観光した日本人たちは、致死リスクを含む影響があることを知らなくてはなりません。 放射線防護学研究者談 |