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http://news.tbs.co.jp/20111014/newseye/tbs_newseye4851622.html
世田谷“瓶入りラジウム”、夜光塗料か(TBS Newsi)
世田谷で見つかったラジウムとみられる放射性物質。この問題では「瓶の写真」が公表されましたが、専門家が見るとさまざまなことがわかってくるようです。
1時間あたり600マイクロシーベルト。住宅の床下から見つかったラジウムとみられる放射性物質は一体、どれほどの期間、放置されたままだったのでしょうか。
14日午後、調査に入った文部科学省の担当官らが東京・世田谷区弦巻の住宅から問題の瓶を複数のドラム缶に入れて運び出しました。これらの瓶は、すでに13日夜から鉛の容器に入れるなどして放射線量を下げる対策がとられていましたが、現場周辺では一夜明けた14日も目に見えない放射能への警戒が続いていました。
「世田谷区で見つかった放射性物質は原発事故とは関係のないことが判明しましたが、14日も区の職員の指示に従って子どもたちは迂回ルートで通学をしています」(記者)
世田谷区は今後、区として放射線量を測定し、安全が確認できれば一部の歩道の立入禁止を解除することにしています。
「なぜラジウムがあったのか。周辺で生活していた人の健康面について、改めてどういう生活をしてきたか確認しながら、万全の措置をとっていきたい」(中川正春文部科学大臣)
床下から発見された問題の瓶。文部科学省によりますと、瓶の一部には「日本夜光」と書かれていたといいます。一体、誰の手でどのように保管されていたのでしょうか。放射線防護学を専門とする日本大学の野口氏は、この写真からある点に着目しました。
「筆に見える。ラジウム入り夜光染料をこの筆を使って時計の文字盤などに塗っていたのではないか」(日本大学放射線防護学 野口邦和氏)
ラジウムは天然に存在する代表的な放射性元素の1つです。現在は主にラジウム温泉などで知られますが、かつてはがん治療や夜光塗料としても使われていました。
「コルクのようなもので密閉されてフタをしてある。それ相応の知識がある人がおさめたと・・・」(日本大学放射線防護学 野口邦和氏)
では、一体いつごろから保管されていたのでしょうか。首都大学東京・福士政広教授は瓶の形状からこう読み取りました。
「あの瓶の形状から見ると、昭和の戦後すぐの瓶、30〜40年代の瓶のような・・・。研究用に使われたのかなと想像する」(首都大学東京 福士政広教授)
文部科学省によりますと、すでに家主は他界していますが、生前は事務系のサラリーマンで放射性物質との接点は見られず、また、家主の親族も「何も知らない」と話しています。
実は、私たちの身近なところで放射性物質が見つかることはまれなことではありません。今回のケースのように、一般の住宅から放射性物質が見つかった例は過去にもありました。2000年6月には、長野県内の空き家や住宅の敷地など3か所から放射性物質を含む鉱物「モナザイト」計17トンが。また、2008年10月には、東京・文京区にある住宅の倉庫から核燃料の原料となり得るトリウム232が見つかっています。
国は法律で、一定量を超える放射性物質を使用、販売、廃棄する業者などに対し、許可、または届け出を義務づけています。文部科学省はネット上で「放射性物質を見つけたら直ちに連絡するように」と広く呼びかけていますが、それでもすべてを把握するのは難しいといいます。(14日17:58)
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