14. 2011年10月14日 03:12:15: leRLsU1iK2
ナオミ・クライン - ウォール街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと ウォールhttp://beneverba.exblog.jp/15811070/街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと 2011年10月6日 - ナオミ・クライン 原文URL:http://www.naomiklein.org/articles/2011/10/occupy-wall-street-most-important-thing-world-now 私は、木曜日の夜に「ウォール街を占拠せよ」で話すように招かれるという、栄誉を授かった。アンプが(恥ずべきことに)禁止されていたので、私が言ったことは全て、他の人々にも聞こえるよう、何百もの人々によって繰り返されなければならなかった(別名「人間マイクロフォン」)[1]。そのため、私が実際にリバティ広場(Liberty Plaza)で言ったことは、非常に短いものでなければならなかった。そのことを念頭に置いてほしい。これはより長い、ノーカット版のスピーチである。
あなたたちを愛してます(I love you)。
私は今、数百人のあなたたちに、「あなたを愛してます(I love you)」と大声で返してくるように、とは言いませんでしたね。これは明らかに人間マイクロフォンのボーナス機能です。他の人たちからあなたへと言われたことを、あなたから他の人たちへと言ってください、もっと大きな声で。 昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。「我々はお互いを見つけたのだ」と。この感想は、今まさにここで形成されているものの美しさを捉えています。より良い世界を望むすべての人々が、お互いを見つけるために、大きく開かれた空間を。同様に、どの空間も収容することができないほど、大きなアイディアを。私たちは大きな嬉しさに包まれています。 私が知っていることが一つあるとすれば、1%の富裕層[2]は、危機を愛しているということです。人々がパニックに陥り、絶望し、何をすればいいのか誰も見当もつかない、その時こそ、彼らが企業優先政策のほしい物リスト(wish list)を押し通す、理想的な時なのです。教育と社会保障を民営化する、公共サービスを大幅に削減する、企業の力への最後の制約を取り除く。この経済危機の最中、これが世界中で起こっていることなのです。 そして、この戦略を防ぐたった一つのものがあります、幸いにもそれはとても大きなものです。それは99%です。残りの99%がマディソンからマドリッドまで通りに繰り出し、「ノー、私たちはお前たちの危機に金を払うつもりはない」と言うことです。 そのスローガンは、2008年にイタリアで始まりました。それはギリシャとフランス、アイルランドへと飛び火していき、遂に危機が始まった場所へとたどり着きました。 「彼らはなぜ抗議しているんだ?」。テレビでは当惑した識者たちが訊ねています。 その一方で世界の残りはこう訊ねているのです。「なんでそんなに時間がかかったんだ?」。「いつになったら現れるのかと思っていたよ」。そして何よりこう言っているのです。「ようこそ」と。 多くの人が「ウォール街を占拠せよ」と、1999年にシアトルで世界の注目を集めた、いわゆる反グローバリゼーション抗議運動との類似点を比較しています。あれはグローバルで、若者主導で、分散型の運動が、企業の力に対して直接的に狙いを定めた最後の時でした。そして私は、私たちが呼ぶところの「運動の運動(the movement of movements)」の一部だったことを、誇りに思っています。 しかし、重要な違いもまたあるのです。例えば我々は目標として、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、G8といった、サミットを選びました。サミットはその性質上一時的なもので、一週間続くだけです。それはつまり、私たちもまた一時的なものであったということです。私たちは現れ、世界中のメディアの見出しを飾り、そして消えました。それから、9.11の攻撃に続く苛烈な愛国心と軍国主義の狂乱の中で、私たちを完全に一掃するのは容易なことでした。少なくとも北アメリカではそうだったのです。 一方「ウォール街を占拠せよ」は、固定された標的を選びました。あなたたちは、ここでの自分たちの存在に、終了期日を設けていません。これは賢明なことです。あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根をのばすことができるのです。これは決定的なことです。あまりにも多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに死に絶えていくのが情報化時代の現実です。なぜなら、それらは土地に根をはっていないからです。そして、それらはどうやって自分たち自身を維持し続けるかについて、長期的な計画を持っていないからです。だから嵐が来た時、それらは洗い流される。 水平的かつ深く民主的であることは、素晴らしいことです。しかしこうした原則は、これからやってくる嵐を乗り切るのに充分なほど頑丈な、建造物や団体(structures and institutions)を築き上げる重労働と、互換性があるのです。私は、それがやがて起こるのだと確信しています。 他にもこの運動は正しいことをしています。あなたたちは、非暴力であろうと決心しています。あなたたちは、メディアが切望している壊れた窓や、通りでの乱闘のイメージを与えることを、拒否しています。そしてその驚くべき規律は、いくどとなく、警察の恥ずべき不当な暴力[3]に話が及ぶ結果を引き起こしています。それこそまさに、私たちが昨晩に多く目撃したものですね。一方で、この運動への支持は拡大し続けています。より多くの知恵とともに。 しかし、十年という時がもたらした最大の違いは、1999年には私たちは熱狂的な好景気の絶頂時に、資本主義と対決していたということです。失業率は低く、株式のポートフォリオは急騰していました。メディアは金融緩和政策に酔っていた。当時それは操業停止(shut downs)ではなく、新設企業(start-ups)に関するものばかりでした。 私たちは、熱狂の背後にある規制撤廃が相当の犠牲を払うものであることを、指摘しました。それは労働基準に損害を与えていました。それは環境基準にも損害を与えていました。企業は政府よりも強力になろうとしており、民主主義に損害を与えていました。しかし、あなたたちに正直に言うなら、良い時代が過ぎる中で、貪欲に基づく経済システムに挑むことは、困難な説得でした。少なくとも豊かな国々ではそうでした。 十年後の今、もはや豊かな国などないかのようです。ただ、たくさんの豊かな人たちがいるだけです。公共の富を略奪し、世界中の天然資源を使い尽くしながら、豊かになった人たちです。 論点は、今日では誰もが見て取れるように、このシステムがとてつもなく不公正で、制御不能なまま疾走していることにあります。足かせをはずされた貪欲は、世界経済を破壊しました。そしてそれは同じく、自然界を破壊しているのです。私たちは海を乱獲し、水圧破砕(fracking)と深海掘削で水を汚染し、アルバータ州のタール・サンドのように、地球上で最も汚いエネルギーの形態へと向かっています。そして、私たちが排出する炭酸ガスの総量を吸収しきれない大気は、危険な温暖化を引き起こしています。連続的な災害が、新たな常態となりました。経済的であり生態的である災害です。 これらが地上の事実(the facts on the ground)です。1999年に比べて、これらがあまりにも露骨で、あまりにも明白なため、公衆が理解するのも、運動を構築するのもはるかに容易なのです。 私たちがみな知っているように、あるいは少なくとも感じているように、この世界は逆さまなのです。私たちは、実際には有限であるものに対して、まるで尽きることがないかのように振る舞っています――化石燃料とその排出物を吸収する大気中の余地のことです。そして私たちは、実際には豊富であるものに対して、まるで厳格で不動の限界があるかのように振る舞っています――私たちが必要とする種類の社会を構築するための財源のことです。 私たちの時代の課題は、これをひっくり返すことです。この偽の希少性に挑戦することです。私たちには、まともで包摂的な社会(decent, inclusive society)を構築するだけの余裕があるのだ、と主張し続けることです――その一方で同時に、地球が引き受けることができる本当の限界に注意を払うことです。 気候変動が意味しているのは、私たちはこれを、締め切りまでに成し遂げなければならない、ということです。今度は私たちの運動は、出来事によって気を逸らされても、分断されても、燃え尽きても、一掃されてもなりません。今度こそ、私たちは成功しなければなりません。私が言っているのは、銀行を規制し、金持ちに増税することではありません。それらも重要なことではあるとはいえ。 私が言っているのは、私たちの社会を統治している根本的な価値観を変える、ということです。それは、メディア好みの一つの要求事項(a single media-friendly demand)にぴったり収めるのは難しいし、どういう風に成し遂げればいいのか把握するのも難しいことです。しかし、難しくてもなお緊急を要することなのです。 私はそれを、この広場で起こっていることに見ているのです。互いに食べ物を与えあい、互いに暖めあい、自由に情報を共有し、無料の医療や「瞑想のクラス」と呼ばれているものを提供し、エンパワーメントの訓練を施すというやり方の中に。私がここで気に入ったサインは、「私はあなたを気にかけている(I care about you)」と言っています。お互いの視線を避けるように人々を訓練する文化――言うなれば「奴らには死なせておけ」の文化――において、これは深遠でラディカルな声明です。 最後にいくつかの考えを。この偉大な闘争の中で、重要ではないいくつかのことがあります。 ・私たちが何を着ているのか。 ・私たちは拳を振り回すのか、それともピース・サインを作るのか。 ・私たちのより良い世界への理想を、メディアのサウンドバイト[4]に適合させることが可能かどうか。 そしてここに、重要ないくつかのことがあります。 ・私たちの勇気。 ・私たちの倫理的な基準(moral compass)。 ・私たちがお互いをどのようにとり扱うのか。 私たちは、経済的にも政治的にも地球上で最も強力な勢力に、喧嘩をふっかけました。それは恐ろしいことです。そしてこの運動が、ますます強力に成長するにつれ、もっと恐ろしいことになるでしょう。そこには小さな目標へと移行する誘惑があることに、常に警戒しておいてください。例えば、この集会であなたの隣に座っている人に対して、のようにです。結局のところ、それは勝つのが容易な闘いなのです。 そうした誘惑に屈してはなりません。私はくだらないことで言い争うな、とは言いません。しかし今度こそは、これからの長い長い年月のために、私たちが協力して働こうと計画したかのように、お互いをとり扱いましょう。なぜなら待ち受けている課題が、まさにそれを要求するからです。 この素晴らしい運動を、それが世界で最も重要なことであるかのように取り扱いましょう。なぜなら、実際にそうだからです。本当にそうなのですから。 1. 人間マイクロフォン:人間マイクロフォン(the human microphone)がどういうものかは、10.5のマイケル・ムーアのスピーチを視るとよくわかる。 2. 1%の富裕層:アメリカの1%の富裕層が、どれほど富を独占しているかは、ThinkProgressのこの記事がわかりやすい。 3. 警察の恥ずべき不当な暴力:10.5の「ウォール街を占拠せよ」抗議行動では、警察が催涙ガスや警棒などの直接的な暴力をふるった。RTのこの動画やこの動画、アルジャジーラ英語版のこの記事などを参照。 4. サウンドバイト:ニュース番組で流される、スピーチやインタビューなどからのごく短い抜粋のこと。
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