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1957年(昭和30年)東電に、国策事業して降って沸いたような、原子力発電。
水力発電所に勤務しておるところ、
ダム所長から、原子力発電事業への異動を命じられる。
なんと、当初の原子力事業のメンバーは庶務の女性を含めてなんとたった5人。
そしていきなり原子力発電の先進地米国へ視察となりました。
米国立アルゴンヌ原子力研究所へ。
そこで、彼らが見た物は・・・・・
当時すでに米国では、高速増殖炉の実験研究に取り組んでいて
広大な砂漠地帯で、圧力容器のフタがどれほど耐えられのかの、爆破実験。
本当のストレステストとは、こういうことだったのか(愕然)
「こんなん、日本じゃ、やる場所ない。」
アメリカのすごいところは、実験的にこういうことを実験的に、実証的にやってしまうところですね。
鬼束さんの「黒い絆」に、内橋克人さんの文章を引用されていたのを思い出しながら書きました。
降って沸いた国策原子力発電・・・・・・・・・。
思い出しながら書きました。
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