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放射線被ばくを舐めているこの国の指導者たちを国民は拒否すべきだ
http://www.amakiblog.com/archives/2011/10/09/
2011年10月09日 天木直人のブログ
まず次の文章を黙って読んでいただきたい。
「・・・今行なわれている除染とは、庭の表面の土を取り除き、側溝
などの泥をかき出すこと。やっていることは例年の大掃除となんら変わっ
ていません。むしろ、それで安心、安全を手に入れたと錯覚するほうが
危険。本当に必要な除染とは、街の作り変えを伴う汚染構造物の完全撤退
という大規模なものになります。でなければ、効果は期待できません」
これは今日発売の週刊プレーボーイ10月24日号に掲載されていた
神戸大学山内知也教授が、「放射能汚染、ゴミが捨てられない!」という
特集記事の中で述べている言葉である。
福島各地を調査してきた放射線計測学専門の学者の言葉である。
山内教授が言っていることは、既に多くの専門家が様々なところで指摘
していることだ。
それにもかかわらず、このような意見は決して大手メディアで大きく
報道されることはない。
ましてや政府がこの意見を本気になって政策に反映しようとする気配は
ない。
私はここに、日本の危うさを見る。
責任ある立場の中に、自らの保身をなげうって本物の改革に取り組もう
とする者がいないのだ。
真実を直視し、ごまかす事無くそれに取り組む勇気ある指導者がいない。
その間に情勢が悪化し、そのツケが最後は国民に跳ね返ってくる。
これがこの国の政治の繰り返しであった。
そしてそのことは政権交代した民主党政権の下で悪化し、野田政権の下
で最悪の状況になりつつある。
一事が万事である。
しかしその中でも最も深刻なのが原発事故に対する民主党政権の対応で
ある。
原発事故の教訓は、決して原子力発電所の安全性の問題などではない。
核物質という人間の手に覆えない非人間的物質を、実利や保身のために
利用したという「人間の過ち」に気づくかどうかなのである。
今、日本を苦しめているのは、原発事故が再び起きる恐怖ではない。
拡散されてしまったおびただしい放射線汚染からの被ばく、被ばく不安
から、どのように日本を救うのかである。
そして、これは長い時間を要する戦いであり、誰も決め手を見出せない
戦いである。
野田政権が行うことは、ごまかしたり、気休めを言ったりするのではなく、
本気で福島原発事故に取り組むことだ。
それは、ドイツやイタリアのように脱原発を国是として打ち出すことだ。
安全性や技術的問題の克服を言うのではなく、日本は脱原発で国を立て
直すと決断することだ。
その上で、福島を作り直すと宣言し、予算と権限のすべて注ぐことだ。
福島をつくり直すということはどういうことか。
それは
(1)原発事故周辺地域をグランドゼロ地に指定し、その地下深くに福島
の核廃棄物、汚染物を封じ込めて、この悲劇を忘れないようにする
(2)全国からシニアの国民を雇って、福島のシニア住民と一緒になって
福島除染を国家事業として進める
(3)福島在住の母子を放射線被ばくの危険のない地に集団疎開させる、
これをその他の地方行政と一体となって国策としてすすめる
これである。
この三つを三位一体として同時進行的に国策事業として進めることだ。
野田首相が決断すればすぐにでも実施できることだ。
誰も反対できない最善の福島復興策だ。
なぜそれが出来ないのか。
それは野田首相に政治的覚悟がないからだ。野田政権が官僚主導の政治
に安住しているからだ。
野田首相は10月8日、拉致被害者家族と会ってこう言ったという。
「私が(北朝鮮に)行くことで拉致問題を含めた諸懸案が解決するなら
いつでも行く」と。
なんという情けない言葉であることか。
この言葉がすべてを象徴している。
順序が逆なのだ。
諸懸案を解決するためにいつでも、何度でも北朝鮮に乗り込んでみせる、
失敗しても、恥をかいても、解決するために、国民のために何度でも
挑戦する。
この熱意と覚悟こそ、今の日本の指導者に求められていることだ。
これまでの指導者に欠けていたものだ。
私がもっと驚いたのは、この野田首相の発言をどのメディアも問題に
することなくやり過ごされていることだ。
残念ながら野田首相の過去一ヶ月の言動を見ている限り、菅首相が
辞めた時点から何ひとつ進んでいない。
まったくの時間の無駄、政治の空白だった。
一ヶ月たって何も出来ないという事は何年たっても何も出来ないという
ことだ。
もはや国民は自分たちの命と暮らしは自分たちで守るしかない。
福島住民は福島県知事や市長を突き上げて、はやくなんとかしろと立ち
上がるほかはない。近隣の住民の助けを求めて一時疎開や生活再建の動き
を始めるほかはない。
近隣の住民がそれを助けるしかない。
政府や官僚が無能であるならば、自らが解決に向けて動くしかないのだ。
そのためには政府や官僚が当然のように独占している予算と権限を、
せめてその一部でも自分たちに使わせろと要求する。
頭を下げてお願いするのではなく、当然の権利としてそれを要求する。
これが私が言う「もう一つの日本」をつくるということである。
世界は今すべてその流れの中にある。
日本だけが取り残されてはいけない。
いや、福島原発事故を受けた日本こそ、世界に声を上げなければ
いけないのだ。
「放射能被ばくを舐めている政府など人類の敵だ」
「人間が核を手放す時が来た」、
と声を上げるのだ。
その声が日本から起きなければならない。
世界はそれを待っているのではないのだ。
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