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(回答先: 元原発作業員が語る実態/「線量計外して」/指示何度も 全員が従う/拒める雰囲気なく(東京新聞・こちら特報部) 投稿者 gataro 日時 2011 年 10 月 06 日 10:27:27)
元原発作業員が語る実態/「低線量の被ばく 害ない」/安全教育は洗脳/素人が支える構図 今も
東京新聞 2011.10.06 朝刊 「こちら特報部」
「若いころは放浪癖があった」という川上さんが原発で働くようになったきっかけは、沖縄で暮らす費用を稼ぐためだった。ところが、“渡り鳥”のようにあちこちの原発をめぐる生活が旅の欲求を満たしたことや、午前と午後合わせて実質三時間あまりという「実労働時間の短さ」にひかれ、計画していた資金がたまった後も原発で働き続けた。
「今から思うと、被ばくの危険性について何も知らなかった」と、過去の自分を正視する。
原発で働く作業員は全員、人体に対する放射線の異常などを事前に学ぶことになっている。当時は現場を移るたび、二日間にわたってこうした安全教育の機会が設けられていたが、その実態は「決められた範囲内であれば被ばくしても安全だとひたすら繰り返し、作業員を洗脳するための時間だった」と振り返る。
現場では入れ墨をした人や、さまざまな経歴を持つ人たちが作業員として働いていた。共通していたのは、川上さんを含め、放射線の知識がない素人がほとんどだったことだ。
そんな作業員を集めた安全教育の席で、講師を務めた電力会社の社員を名乗る男性が、被ばくの危険性について詳しく説明しなかったばかりか「低線量の放射線は害ではなく、むしろ健康のためによいと言われています」と話したことを、川上さんは今も鮮明に覚えている。
「素人を危険が伴う現場で働かせる以上、正しい知識を与えるのは必須であり、安全教育もそれが目的のはずだ。真実を語らなくてはいけない立場の人間がとんでもないウソをついていた。なのに、当時の私は全く気づかず、素直に信じ込んでしまっていた」
八六年にそれまで勤務していた下請け会社を辞めた川上さんは、しばらくタイで生活した後、帰国。〇三年から主に浜田原発で、低レベル放射性廃棄物の仕分けを行う臨時作業員として、再び働き始めた。離れていた間にチエルノブイリ原発事故や東海村JCO臨界事故もあった。しかし、久しぶりに戻った現場の雰囲気は、以前と全く変わっていなかったという。
「チェルノブイリ事故について、元請け会社の社員に聞くと、『日本は管理体制がしっかりしていて技術者の質が高く、炉の形式も異なる。日本では絶対に起きない』というばかり」。阪神大震災も起きたが「大地震にも耐えられると言われた通りに、みんな信じ込んでいた。能天気で、原発の安全性を疑う人は現場にいなかった」。
負の側面含め
知ってほしい
〇八年に臨時作業員を辞め、がんを患った後も、御前崎市内にとどまっている。労災申請などの準備を進めながら被ばくの恐ろしさについて調べ、自分が働いていたところが人体に害を及ぼす可能性のある危険な場所だったことを初めて理解した。手記を書いたのは、負の側面を含めて、多くの人に職場のありのままを知ってほしかったからだ。
原発に批判的な考えを持つようになった川上さんだが、ともに各地を渡り歩き、今も原発で働くかつての同僚とは付き合っている。先日、福島の事故が話題に上った際、元同僚の一人は「福島は特殊な例。浜岡は該当しない」と言い切ったという。
「原発の運転は、定期検査時などに作業員の被ばくなしでは成り立たない。その危険件を認識していたら、あんな現場では誰も働きたがらないはず。十分な知識を与えられない人たちが支えている構図は、今も変わっていないのではないか」
デスクメモ
原発の安全神話は、下請け作業員の危険を隠して作られていた。それでも野田政権は原発維持に傾こうとしている。黙々と仕事をするのではなく、黙々と官僚の言いなりになるのがこの政権のカラーなのか。まさか発電量の50%を原発で賄うエネルギー基本計画の「見直し」まで撤回するつもりでは…。(立)
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