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大きな展開をするべき時・・・10人の子供と科学的な考え方
http://takedanet.com/2011/10/10_c462.html
平成23年10月5日 武田邦彦(中部大学)
福島の子供たちの甲状腺の異常は私にとって衝撃的なことでした。それは「原発の事故でも素早く避難し、被曝に注意すれば被害者を出さずにすむ」と確信していたのですが、力及ばず{もしかしたら}被害者を出したかも知れないからです。
でも、今回の10人の子供が本当に被害者なのか、それとも自然の状態なのかはまだ明確ではありません。その意味では「ある面で考えた科学的な考え方」では「10人の子供は被曝ではなく別の原因で異常が認められる」という場合を慎重に考えなければならないからです。
でも、私は「科学者」として、この時点であえて「子供の甲状腺異常は被曝が原因だ」として行動をおこすべきと判断したのです。それは「科学技術がもつ社会への責任」からです。
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科学はあらゆる可能性を考え、慎重にデータを解析し、人間の頭の限界を知りつつ綿密にやっていくものです。だから、今回の10人の子供の異常を「被曝が原因」と断定することは「科学的」ではありません。それでは、なぜ私が「科学者」として「被曝が原因だ」と断定したのでしょうか?
科学は判らないことがあります。というより判らないことだらけと言っても良いでしょう。「被曝と人体」という問題もわからないことだらけで「1年0.1ミリが限度」というドイツの医者もいれば、「1年100ミリ」という日本の学者もいるぐらいです。この問題について私は次のように考えています。
「「被曝と人体」についてはほとんど判っていないので、学問で決めることはできず学者や医師は発言を控える必要がある。もし目の前で被曝している人がいないときなら自由な議論が必要だが、被曝している間は学問は無力であり、社会のコンセンサス(1年1ミリ)を尊重しなければならない」
ということです。今回の事件において科学者や医師の社会的に求められることは「人体実験をする」ということではなく「被害者を出さない」ということです。そのためには科学の原理「判らないことは判らないことを認める」ということであると考えています。被曝が人体に悪い影響を与える可能性が高いとすれば、また悪い影響を与えると今まで社会に言ってきたとすれば、被曝を社会的コンセンサスの範囲に収めるように発言するべきです。
つまり、科学は「原発を実施する限りは被曝によって被害者を出さない」、「不可抗力で被害者が出るのはやむをえないにしても、意図的に被害者を出すように誘導してはいけない」とするべきです。特に人の健康に責任を持つ医師はさらに慎重でなければならないでしょう。
ところが、事故が起こっても高線量地域からの避難もさせず、むしろ「被曝は健康に影響ない」と言い続けて被曝量を増やしているのは事実なのです。学校での被曝、給食、食材、瓦礫・・・あらゆる面で日本の科学者の大半は「被曝を増やす」ことに熱心です。特にわざわざテレビや新聞に登場したり、書籍を執筆して「被曝しても大丈夫」という学者や医師は科学というものを知らないと感じます。
「何ミリまで大丈夫だ」というのは現在の状態で科学が言うことではありません.科学は「判らないときには判らないという」ということです。また科学技術が原因して被害を出しそうな時には、それを極力、小さくするのに努力しなければなりません。政府は現実を見て科学者や医師に反することをするかも知れませんが、それを予想して科学者や医師事態が被害を増大させるのは科学ではありません。
その意味であえて「10人の子供の異常は被曝が原因だ」とするべき行為を今まで日本の学者や医者はしてきた。だから断定するべきだと私は判断したのです。
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今こそ、科学者、医師は本来の科学に携わる人としての言動に戻るべきです。それには今回の10人の子供の診断結果はとても意義があります。つまり、「一人でも患者さんがでたら、科学や医学は真の意味での社会的な存在価値を保持できるか」ということを問うているからです。「ぜったいに被曝を避けるべきだ」と発言してきて、結果的に患者さんが出た場合と、「被曝は安全」と言って患者さんが出た場合ではまったく違います。
科学者や医師は「抜け殻」でなければ心が動くはずです。自らの行動は職務倫理を充足しているか、すでに原発という大きな科学的作品を社会に出している限り、それに伴う科学としての責任を持たなければなりません。
それは「今回の10人は被曝が原因か」を追及することではなく、「一人でも患者さんがでれば、「大丈夫」という発言は科学や医学が社会にもつ意義を失う」ということです。被曝を低減することは日本の財力なら現実的に可能なのです。そしてそれができなければ原発を運転すること自体が間違っています。
読者の方のメールに刺激されて、私の科学という物に関する考えを書きましたが、もしご異論があればメールをください。科学者や医師にとって巨大な踏み絵です。大きく展開していただきたい。
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