http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/117.html
Tweet |
http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lecture/UT-Komaba-physics-radiodoc.pdf
放射線の物理および生体への影響
2011年6月13日
東京大学教養学部物理部会 教員有志:鳥居寛之、澁谷憲悟
今回の原発事故で心配されているのは、原子炉内で生成した大量の放射性同位元素が環境中に放出されたと
き、それらの発する放射線が生体に及ぼす影響です。この問題を考えるための基礎知識として、放射線とは
何か、その基本的な物理的性質についてまとめます。
放射線とは
漠然と放射線といいますが、放射線の定義とは何でしょうか?
よく知られているように、原子は原子核と電子からなり、正の電荷を持つ原子核のまわりを、負電荷を持
つ電子がまわっています。原子核をまわる電子の個数は、原子の種類によってきまっています。また、電子
には量子力学的に定まった軌道があり、これらの電子がエネルギーの低い内側の軌道から順番に詰まった状
態が、その原子にとって最も安定した状態です。この状態を基底状態といいます。放射線が物質にエネル
ギーを与える(エネルギー付与)ということは、具体的にはこの電子配置に変化を及ぼすということです。
電子が内側の軌道から外側の軌道に遷移し、原子がよりエネルギーの高い状態に変化する現象を、励起とい
います。さらにそれよりももっと大きなエネルギーを受け取った電子は、原子核の束縛を振り切って自由電
子になることがあります。この現象を電離(イオン化)といい、原子から飛び出したエネルギーの高い電子
を二次電子と呼びます。イオン化に必要なエネルギーは物質の化学的種類によりますが、おおむね 10 eV
(電子ボルト)前後です。放射線の一つの定義は、電離能力があるということです。
放射線の種類
α線とかγ線とか、様々な放射線の名称を聞きますが、何が違うのでしょうか?
原子炉内で生成される放射性同位元素から発生する放射線は主に、α(アルファ)線、β(ベータ)線、
γ(ガンマ)線です。また、核分裂が起きていると、中性子線も放出されます。β線と一緒にニュートリノ
も放出されます。これらの放射線には、いろいろな特徴がありますが、ひとまず電荷と質量の有無で分類す
ると、下表のようになります。荷電粒子であるα線とβ線は、物質中を通過する際に物質中の原子との電気
的な相互作用によって、粒子の通過する軌道上の近傍にいる電子を励起・電離してけちらかし、自らは速や
かにエネルギーを失いますが、電荷のない放射線はエネルギーを失う過程の起こる確率が小さいため、大き
な透過力を持ちます。
電荷あり電荷なし
質量ありα線、β線 中性子線
質量なし
γ線、X線
ニュートリノ(※ 僅かに質量あり)
次にそれぞれの放射線について、具体的に説明します。
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
1/8
α線は陽子2つと中性子2つから出来ています。ヘリウム原子から電子2個を取り除いたヘリウム原子核
と同じものです。主に、ウランやプルトニウムなどの、原子番号の大きな元素の崩壊(α壊変)に伴って放
出されます。α線は、表に示した放射線の中では電荷が一番大きく(電子の電荷の2倍で、符号は正)、ま
た質量も一番大きいため物質中を通過する速度が小さいので、物質中では電気的な相互作用によって速やか
にエネルギーを失います。プルトニウムの崩壊(壊変)で放出される個々のα粒子のエネルギーは数MeV
(メガ電子ボルト:メガは 106 つまり100万倍)程度ですが、コピー用紙などの紙一枚で止める事ができま
す。荷電粒子の失うエネルギーのうち、3分の1がイオン化エネルギーとして、残りが原子や分子の励起や
二次電子の運動エネルギーに費やされることを考えると、エネルギー付与 30 eV あたり電子・イオンのペ
アを1対生じさせることになりますから、0.1 mm ほどの飛程(粒子が停止するまでに進む飛距離)の軌跡
にそって数十万個の電子・イオン対が発生することを意味します。
β線は高エネルギーの電子であり、原子核中の中性子が陽子に崩壊する過程(β壊変)で反ニュートリノ
と一緒に放出されます。核分裂をおこすウランの原子核はもともとたくさんの中性子を含んでいますから、
核分裂でできる分裂片の原子核はたくさんの余剰な中性子を含み、その崩壊過程でたくさんの電子を放出し
ます。β線は、光速に近い速さで進み、物質中での透過力はα線よりは強くなりますが、たとえばアルミ板
なら数ミリの厚さで遮蔽できます。(ただし、アルミ中で生じる制動X線の遮蔽が別途必要。)
γ線は高エネルギーの電磁波(光子)ですが、これは原子核の励起状態から余分なエネルギーが放出され
たものです。医療用によく用いられるX線も同様に光子です。定性的には、原子核から放出された光子をγ
線、それ以外(軌道電子等)から放出された光子をX線といいます。定量的には、X線のエネルギーは
100 keV ぐらいまでで、γ線は 100 keV から数 MeV のエネルギー領域に亘りますが、厳密な区切りはあ
りません。γ線のエネルギーは放射性同位元素によって異なるため、エネルギースペクトルの測定によって
線源の核種を特定することができます。光子には電荷がなく、クーロン力が働かないため、α線やβ線のよ
うな荷電粒子線よりも高い透過力を持ちます。γ線の遮蔽には、鉄や鉛のような密度の大きな物質の厚い板
が必要です。福島の事故現場ではまだ高い強度のγ線が出ており、復旧作業の大きな妨げになっています。
核分裂がおきていると中性子も発生します。中性子は電荷を持たず、原子中の電子とは反応しません。ま
れに原子核と衝突すると、ビリヤードの玉突きのようにこの原子核を弾き飛ばして、代わりに自身は大きく
減速されるのですが、なにせ原子核は大きさが小さく(原子の直径 0.1 nm(ナノメートル)= 100億分の
1メートルに対して、さらに10万分の1の大きさ)、反応確率がずっと小さいため、物質中で長い距離を進
みます。すなわち高い透過力を有します。弾き飛ばされた(反跳を受けた)原子核は電荷をもっているの
で、α線と同様、短い飛程のあいだに電子を励起・電離してエネルギーを失います。生体内でこのような反
応がおきると、遮蔽することができないため、生体に大きな影響を与えることがあります。中性子を遮蔽す
るには原子炉内の減速材と同じように、水素のような軽く反跳されやすい原子核をたくさん含んだもの、例
えば、パラフィンやコンクリートのようなものの厚い壁が必要です。また、エネルギーを失った低速の中性
子(熱中性子)は、原子核に吸収されることがあります。中性子を吸収した原子核は、原子核内の陽子数と
中性子数のバランスが崩れるために不安定になり、吸収に引き続いて壊変しβ線やγ線を放出します。
β壊変の際には電子と一緒に反ニュートリノ(ニュートリノの反粒子)も放出されますが、これは生体に
は全く影響しません。ニュートリノは電気的に中性なだけでなく、原子核の粒子ともほとんど相互作用しな
いので(弱い相互作用と重力相互作用しか示さない)、生体を含む物質中をただすり抜けてゆきます。太陽
の中心部からは核融合反応で生じた膨大な量のニュートリノが放出されており、これが地上の我々にも(夜
は地球を通り抜けて地面の下から)常時降り注いでいます。1秒間にわれわれの体を突き抜けてゆく太陽
ニュートリノの数は数十兆個ですが、体内の原子・原子核と反応するのは我々の生涯の間に1個あるかない
か程度にすぎません。
放射線と物質との相互作用
生体への影響を考える前に、まず、放射線と物質との一般的な相互作用について述べます。
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
2/8
α線やβ線は電荷をもった荷電粒子ですが、荷電粒子が原子や分子の近傍を通過する際に、急激な電場の
変化をもたらし、電子を励起したり電離(イオン化)したりします。原子や分子中の電子に与えたエネル
ギーの分だけ、荷電粒子線の運動エネルギーは低下します。単位距離あたりに荷電粒子が失うエネルギーの
ことを阻止能といいますが、阻止能は荷電粒子の電荷の2乗に比例して大きくなり、また荷電粒子の速さが
小さいと原子の近傍を通過するのに要する時間が延びるため、速さの2乗に反比例して大きくなります。α
線は、質量が電子の 7300 倍なので、β線と同じエネルギーでも速さは電子の数十分の1となっています。
このため、α線はβ線に比べ数百倍の阻止能を受け、短い飛程のあいだに急速にエネルギーを失います。
また、荷電粒子は強い制止力を受けて急に減速するときや、軌道が曲げられるときなど、大きな加速度を
受けたときに電磁波を放出するという特徴があり、放出した電磁波のエネルギーの分だけ減速します。放出
される電磁波は、特に制動X線と呼ばれます。特に軌道が曲げられやすいのは、質量の軽いβ線です。余談
になりますが、電子加速器を用いて積極的に制動X線を発生させる技術は医療の現場でがんの放射線治療に
役立っていて、また大型加速器で発生させた放射光が物質材料科学等の発展に大きく寄与しています。α粒
子は重いので物質中での軌道はほぼ直線的ですが、まれに原子核の近傍で大きくクーロン散乱されることが
あり、これはラザフォードが原子核の存在を検証する際の根拠となりました。
一方、γ線は、電磁波ですから荷電粒子とは違う形でエネルギーを失います。その一つは、原子の周りを
まわっている電子による吸収(光電効果)で、γ線は消滅し全てのエネルギーが電子に与えられます。この
効果はγ線のエネルギーが大きくなると減少し、それに代わってγ線(光子)と物質中の電子との弾性散乱
(コンプトン散乱)の寄与が大きくなります。高エネルギーの電子が原子から弾き出され、γ線のエネル
ギーは1回の散乱で一気に低下します。γ線のエネルギーがさらに大きく数 MeV を超える場合には、今度
は原子核の近くの強い電場でγ線(光子)が電子・陽電子対に変換される過程(電子対生成)が主要にな
り、数 MeV より高いエネルギーのγ線はほとんどこの効果により急速に減衰します。γ線は消失し、その
全てのエネルギーが電子と陽電子の質量およびそれらの運動エネルギーに転換されます。光電効果、コンプ
トン散乱、電子対生成のいずれの過程においても高エネルギーの電子(陽電子)が二次的に発生し、これら
の電子は上記のβ線と同じ機構でエネルギーを失います。陽電子も数 MeV 以上では電子と同様に制動放射
X線/γ線を出しますが、低エネルギーになると近傍の電子と対消滅して 511 keV のγ線を2本、あるい
はそれ以下のエネルギーのγ線を3本放出します。γ線は、二次電子に変換されるまでは透過力が高く、透
過力のピークは数 MeV にあり、これを遮蔽するためには、鉛のような重い金属の数 cm 〜 数十 cm の板
が必要です。あるいは(原子番号の小さい元素で構成される)コンクリートで遮蔽する場合は数メートルの
厚みを要します。
このように、物質に対する電離作用を持つ放射線ですが、ほとんどの場合、人間の五感では検知すること
ができません。放射線を測定するには、専用の検出器を用いて、放射線の電離作用により生成するイオンや
光などを検出します。
例として、過飽和(過冷却)状態にある蒸気中を荷電粒子が通過すると、その飛跡に沿って生じたイオン
が核となって凝縮がおこり、その飛跡が液滴の連なりとして可視化されます。この装置は霧箱と呼ばれてい
ます。また、イオンが生じた空間に電場をかけておくと、イオンが電極に向かって移動することで電流が流
れます。この電流を利用して放射線を計測する装置は電離箱と呼ばれています。電離箱を発展させた放射線
計測装置には、ガイガー・ミュラー計数管(GM管)などがあり、サーベイメータ等として利用されていま
す。(なお、霧箱もGM管も、東京大学では理科一二年生が全員履修する基礎物理学実験の課題種目となっ
ています。)
放射線量の単位
物理の測定値は、その単位がなければ意味を持ちません。ここでは放射線の単位について述べましょう。
放射線の強さを測るには、特別な単位が用いられます。放射線の発生源の強さ(放射能)を測る単位とし
てベクレル(Bq)があり、放射線のエネルギーが人体に吸収された量(吸収線量)を測る単位としてグレイ
(Gy)とシーベルト(Sv)が使われます。
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
3/8
1 Bq の放射能を持った物質があるというのは、その物質の中で平均して1秒間に1回の割合で原子核の
壊変が起こって、それに伴う放射線が放出されていることを意味します。放射能の単位として以前はキュ
リー(Ci)が使われ、1 g のラジウム226の放射能に対応していました。1 Ci は 3.7×1010 Bq に相当しま
す。未だに現場で使われることもありますが、国際単位系(SI)の枠組みのベクレルに統一が進んでいま
す。放射能の強さベクレルは、壊変する原子核や放出する放射線の種類にはよらない定義です。ただし、同
じ放射能でも、それを放出する放射性同位元素の量(モル数)は、その半減期によって決まります。半減期
とは、その放射性同位元素の原子核の半分が壊変するのに要する時間の長さで、1半減期経過すると放射能
は半分になります。
例えば、半減期が8日のヨウ素131は、1日=86000秒なので、1 Bq の放射線を発生するためには
8 × 86000 ÷ ln 2 = 約100万個のヨウ素131原子が存在していなければなりません。ここで ln 2 (= 0.69)
という係数は、e分の1になる時間と、2分の1になる時間の違いから生じる対数因子です(eは自然対数
の底で約 2.7)。1 Bqのセシウム137は、半減期が長く30年ですから、同じように計算すると約14億個とな
ります。つまり同じベクレルの値のヨウ素131とセシウム137ではセシウムの原子の数が半減期の比
30 × 365 ÷ 8 = 約1400倍だけヨウ素より多い事になります。
放射線が物質によって吸収される量(吸収線量)を測る単位をグレイ(Gy)とよび、1グレイは1ジュー
ル(J)のエネルギーの放射線が 1 kg の物質によって吸収されることを意味します。ヒトの全身被ばくにお
ける半致死線量(治療を受けない場合に半数が死亡する線量)は 4 Gy 程度とされていますが、このとき体
重が 60 kg の人が受け取る全エネルギーは 240 J で、これは 40 cm の高さから落下した時に、地面との衝
突で体全体が受けるエネルギーに相当します。水が 4 Gy の放射線を吸収した時の温度上昇は 0.001℃ 程度
でしかありませんが、放射線被ばくではこの程度のエネルギーで個体が死に至ることがあります。放射線は
エネルギーの総量としては微々たるものでも、1個の粒子あたりでみると、一般の化学結合に比べて桁違い
の莫大なエネルギーをもっているため、放射線の通過する軌道上近傍の原子や分子、そしてそれを含む生体
の細胞に多大な影響を与えうるのです。
報道で耳にするシーベルトという単位は、吸収線量グレイに放射線の種類によって違う重み係数(放射線
荷重係数)をかけた量(等価線量)で、この重みはβ線やγ線の場合は1でグレイと同じですが、α線の場
合 20、中性子線の場合はエネルギーによって異なり 2.5 から 20 の重みをかけて換算されています。α線
は容易に遮蔽できますが、紙一枚で止められるという事は、それだけの厚さの部分に高密度にエネルギーを
付与するという事ですから、体内に取り込まれた放射性同位元素からα線を内部被ばくすると、局所的に大
きな影響を受ける(生物学的効果比が大きい)ため係数が大きくなっています。(放射線荷重係数は、防護
の観点から安全側に考えて、生物学的効果比の最大値を採用しています。)1 mSv(ミリシーベルト)は
10-3 Sv(千分の1シーベルト)、1 μSv(マイクロシーベルト)は 10-6 Sv (100万分の1シーベルト)を
表わします。米国では旧い単位のラド (rad) やレム (rem) という単位がよく使われますが、1 rad は
0.01 Gy に、1 rem は 0.01 Sv に相当します。
放射線の生体への影響
では、放射線の電離能力によって、生体はどのような影響を受けるのでしょうか?
原子と原子は、電子の共有や授受によって化学的に結合をしています。例えば、水分子は酸素原子一つ
と、水素原子二つが結合したものです。このような化学結合を担っている電子に放射線のエネルギーが与え
られ、励起や電離がおきると、化学結合が不安定になったり切断されたりします。それによって、分子の持
つ化学的な性質が変化したり機能が失われたりします。特に、生体では細胞の核にある DNA(デオキシリ
ボ核酸)が遺伝情報を担い、生体の活動に必要なタンパク質を合成する際の鋳型になっていますが、放射線
によって DNA が損傷すると、場合によっては細胞の健全な活動が阻害され、細胞死や発がんなどの生体影
響が引き起こされる可能性があります。
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
4/8
放射線が電離作用によってDNAに直接損傷を与えることを、直接作用と呼びます。また、細胞内は水で満
たされているため、放射線が水分子を放射線分解することにより、活性酸素、ヒドロキシラジカル、水和電
子といった活性の高い様々なフリーラジカルが細胞内に生じます。これらが化学的に作用してDNAを損傷さ
せることを間接作用と呼びます。電離・励起等の直接作用に関する物理的な過程の典型的な時間は 10-15 〜
10-12 秒程度、酸化・還元反応等の間接作用に関する化学的な過程の典型的な時間は 10-12 〜 10-6 秒程度と
極めて短く、生じた損傷に対する修復など生化学反応が秒から時間の単位で続きます。一方で細胞死やがん
発現等の生物学的な過程の典型的な時間は 103 〜 109 秒程度、すなわち数時間から数十年といった中長期
にわたることになります。
細胞には、放射線等によって引き起こされた損傷を修復したり、あるいはアポトーシス(細胞自死)に
よってがん化を防いだりするなど、放射線に対する防御機構が何重にも備わっています。しかし、ごく微小
な確率で修復できなかったり修復ミスをしたりして遺伝子に欠陥の残った細胞が多段階の突然変異を経てが
ん化することがあり、これが長い年月をかけて増殖すると、最終的に個体を死に至らしめる場合がありま
す。このような確率的に発生すると考えられる生体影響を確率的影響といい、受けた放射線量に応じてある
確率で影響が表れるというものです。線量が増えれば、影響が発生する確率が増大します。重篤度は定義さ
れません。がんにより死亡したという最終的な結果には、重いも軽いもないからです。線量によってがんの
性質(浸潤性や転移性など)や症状の程度に違いがでるわけではありません。白血病は、血液のがんとも言
われますが、やはり確率的影響と考えられています。なお、子孫への遺伝的な影響(突然変異)も確率的影
響と考えられますが、これに関しては、広島・長崎原爆被ばく者の二世に対する大規模な疫学調査でも何も
見つかっていません。
一方、多量の放射線を浴びてしまうような事態が生じると、組織のある割合の細胞がアポトーシスを起こ
して死ぬことによって、その組織の機能に急性障害などの早期影響が生じる場合があります。このような影
響を確定的影響といい、症状には脱毛、白内障、不妊などがあります。確定的な影響にはしきい線量があっ
て、しきい線量未満の被ばく量では発症しないと考えられています。よく報道で聞かれる、「直ちに健康に
影響を及ぼすレベルではない」ということばは、確定的な影響が起きる線量ではないという意味です。放射
線量が 150 mGy(ミリグレイ)= 0.15 Gy 以下ではいずれの症状も表れないとされています。したがっ
て、確定的影響は一度に全身に大量の放射線を浴びたようなときに問題となります。なお、線量が増えると
重篤度が増大します。1999年に東海村の核燃料加工工場JCOで起きた臨界事故では、3名の作業員がそれ
ぞれ推定 16〜20 Gy、6〜10 Gy、1〜4 Gy を被ばくし、うち前者2名が急性被ばくの数週間から数ヶ月後
に亡くなりました。造血器障害(骨髄不全)、小腸粘膜上皮の剥離や出血、皮膚障害といった症状が次々に
生じたことが原因でした。
しかし、今回の原発事故で問題となるのは、そうした多量の被ばくではなく、多くの人が低線量あるいは
微量の放射線に被ばくをした、あるいはこれからも被ばくする可能性があるということです。ところが、低
線量の放射線の被ばくによって、どれだけの生体影響があるか、具体的にはがんの発生がどれだけ増大する
かについては、十分には解明されていません。放射線量とがんの発生確率との関係は、少ない放射線量でも
比例するという説と、あるしきい値以下なら影響はないとする説とがあって、結論は出ていないのです。国
際放射線防護委員会(ICRP)の勧告によれば、致死がんの生涯リスクは 1 Sv に対して 0.055 とされてい
ますので、比例関係を仮定して高線量のデータを外挿すると、1000人が 100 mSv を被ばくした場合、計算
上は6人程度がその被ばくが原因でがんにかかり死亡することになります。しかし、日本人の死亡原因の3
割はがん、すなわち1000人中 300人程度が、放射線を被ばくしなくてもがんで死亡しますので、300人程度
が 306人程度に増えることとなりますが、この差を有意であると裏付けるだけの疫学的な統計データを準備
することが非常に困難であることは、お分かりになるかと思います。発がんの原因の3割を占めると言われ
る喫煙の有無など、個々人の生活習慣や体質の違いによるばらつきの方がずっと大きくて、微量の放射線に
よる影響を見極めるのが難しいのです。つまり、低線量の被ばくでどれだけのがんが増加するのかという事
に関して、少なくとも現時点では科学的に断言することはできません。それでも、「影響の有無が不明であ
る」ことと「影響が無い」ことは別であるということは、気をつけなくてはなりません。ICRPでは放射線
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
5/8
防護の立場から安全サイドに立って、がんの確率が放射線量に比例すると仮定する「直線しきい値なし仮
説」を採用しています。つまり、これよりも少ない放射線だったら絶対にがんは発生しないという線量は存
在しないと考えて防護すべきだということです。
我々は、放射線生物学の専門家ではありませんので、これ以上は踏み込みません。微量の放射線でも一定
のリスクがありうることを認識したうえで、受ける放射線量を下げる努力によってその分だけリスクは少な
くできますから、過剰に心配しすぎたり不安を煽ったりすることはせず、放射線を「正しく怖がる」ことが
大切な心がけだと言えましょう。
外部被ばくと内部被ばく
放射線による被ばくには、外部の放射線源による外部被ばくと、体内に摂取された放射線源(放射性物
質)による内部被ばくとがあります。
外部被ばくは、主に透過力の強いγ線や中性子線が問題となります。γ線の遮蔽には、厚い鉛板や鉄板が
必要です。今回の事故では強いγ線から復旧活動をする人たちをどう守るかが、大きな問題となりました。
もっとも透過性が強く、人体への影響も大きい中性子線は、核分裂の際に放出されますが、強い線量の中性
子線が発生するのは核分裂が持続的に起きる「臨界」状態の場合のみです。
α線(ヘリウム原子核)やβ線(電子)による外部被ばくについては、皮膚に付着した放射性同位元素か
ら直接α線やβ線の照射を受けた場合、線量が高いとやけどに似た熱傷が出ることがあります。今回の原発
事故現場で復旧作業に当たっていた作業員が放射性物質に汚染された水につかり、被ばくされました。この
ときは足の皮膚に放射性物質が付着して、そこから出るβ線を直接受けて被ばくしましたが、長靴を履いて
いればこのような被ばくはある程度避けられたかもしれません。
一方、内部被ばくは、放射性同位元素が食物や水の摂取で体内に取り込まれ、その体内での壊変によって
照射される放射線による被ばくです。放射性同位元素の種類によっては、特定の臓器等に集積し長く留まる
ことが知られています。たとえば、ヨウ素131は甲状腺に取り込まれやすいため注意が必要です。(1986年
に発生したチェルノブイリ原発の事故では小児の甲状腺がんの発症率が、毎年30万人に1人の稀な病気だっ
たものが、30倍も増加して毎年1万人に1人となり、患者数はこれまでに5000人と報告されています。幸
い治療によって治りやすい病気なため、これまでの死者は15名に留まっていますが、当時のこどもたちが年
齢を重ねるにつれ、今後大幅に増えることも予想されます。チェルノブイリ事故に関して、放射線による因
果関係が明らかになっている健康被害はこれだけで、むしろストレスによる精神的失調や、欧州全土で不必
要な堕胎による数万人以上とも言われる胎児の犠牲の方が、より重大な問題だったと報告されています。)
一方、セシウム137は筋肉に取り込まれて生物学的半減期3ヶ月ほどで体外に排出される、ストロンチウム
90は骨に取り込まれて数十年留まる、と言われています。内部被ばくについては、透過力の小さいα線やβ
線でも、体内では遮蔽ができないので被ばくの影響がむしろ大きくなります。口から取り込む(経口摂取)
か、肺に吸い込む(吸入摂取)かによっても、生物学的影響は異なり、それぞれの放射性物質ごとに影響を
考慮する必要があります。
このように、被ばくの種類や放射線の種類とエネルギー、また放射性物質の違いによって影響が異なるた
め、Bq と Sv との関係は、簡単に換算ができるようなものではありません。
自然放射線と人工放射線
放射線はどれだけ少なければ絶対に安全ということは出来ません。しかし、必要以上に恐れても生活が成
り立ちませんし、精神衛生的にも問題があります。そこで、被ばく量を考える上で、参考になるのが、私た
ちが日常生活で誰もが必ず受けている自然放射線による被ばくです。自然から人がうける放射線源として
は、地球の外部からやってくる宇宙線とその照射によって絶えず作られる放射性同位元素や、地球ができた
時から存在する半減期の長い放射性物質などがあります。
宇宙線は地球大気圏外にやってくるまでは、陽子や原子核のような荷電粒子が含まれていますが、それら
は大気中の原子や分子中の原子核と衝突して中性子やπ中間子などをつくり、π中間子はすぐ崩壊して
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
6/8
ミューオン(μ粒子)と呼ばれる、寿命のより長い粒子を作ります。こうした二次宇宙線は大気を突き抜け
地上にまで到達するものもあります。宇宙線は上空に行くほどその線量が増加しますが、高度1万メートル
で飛行する旅客機の乗客が受ける外部被ばくの量は、国際線の成田・ニューヨークの往復では、200 μSv =
0.2 mSv ほどあると言われています。
二次宇宙線の中性子はさらに大気中の原子の原子核と衝突して、原子核反応を起こします。たとえば窒素
原子核と衝突し、その中の陽子の一つと入れ替わると、炭素の同位体である炭素14を生成します。炭素14
は放射性元素で、半減期 5730 年でβ壊変し、電子と反ニュートリノを放出してまた窒素14になります。大
気中には常に一定の割合で炭素14が生成されていますが、ヒトも含め、生物は代謝によって常にこれと同じ
割合の炭素14を含んでいます(体重 60 kgの人の体内には常に 2600 Bq の炭素14が含まれています)。生
命体の死によって代謝が止まると、それから5730年の半減期で炭素14の存在比は減少しますので、これを
利用した考古学的な年代測定などに役立っています。
地球ができた頃から存在する放射性同位元素の中で一番多いのはカリウム40で、その半減期は12億年も
あります。この同位体は、体重 60 kgの人の場合 4100 Bq 含まれます。カリウム40は食物から摂取され、
カリウムを含む全ての食品に一定の割合で含まれていますが、例えば、200 gのバナナには、約 20 Bqの放
射性カリウムが含まれています。人はこうした自然界に存在する放射性物質を体内に取り込んでいて、5000
〜 8000 Bqの内部被ばくに常に晒されています。
地中にも天然の放射性物質があり、我々は地表からも日々放射線を受けています。たとえば花崗岩はウラ
ンやカリウム40を含み、放射能の比較的高い岩石として知られています。大気中にも、地中の放射性物質の
壊変によって生成するラドンのような核種が存在します。ラドンは気体であり、呼吸によって肺にとりこま
れ、ラドンとその子孫核種が放出するα線によって肺が被ばくします。空気より重いラドンは換気の悪い地
下室に溜まりやすく、家庭に地下室の多い米国では年間被ばく量の大きな割合を占めています。
人が通常受ける年間の被ばく量は世界平均で1年当たり 2400 μSv = 2.4 mSv と見積もられています。
日本での自然放射線による平均被ばく量はこれより少なく、年間 1.5 mSv程度ですが、これは日本では木造
家屋が多く、住居の通気性もいいので、ラドンによる被ばく量が 0.5 mSv/年 程度と少ないことが主な理由
です。残りの 1 mSv/年 については、国内でも地域差があり、花崗岩の多い西日本地域では高い傾向にあ
り、関東ローム層によって岩石からの放射線が遮られやすい関東地方では低くなっていて、最高地域と最低
地域で 0.4 mSv/年 程度の差があります。(ですが、花崗岩を敷き詰めた東京銀座の歩道や、石造りの建物
の中、トンネル内などでは放射線量は高くなります。)世界を見渡すと、自然放射線がずっと多い地域があ
り、ブラジルのガラパリやインドのラムサールでは 10 mSv/年 以上、地点によっては 100 mSv/年 以上と
なる箇所もあるそうですが、いずれの住民も特段健康に問題があるという報告はありません。また、中国広
東省にも自然放射線量が 5.5 mSv/年 の地域があって、ここの住民と、30 kmほど周辺にあって線量が
2.1 Sv/年 しかない別の地域の住民とを長年にわたって延べ 100万人・年 について比較したところ、がんの
死亡率は全く変わらなかったという調査結果があります。低線量でのがんの可能性については、あまり神経
質になりすぎる必要はないということを示唆しています。
最近では、放射線は医療用としても広く使われるようになりました。診断用に使われる放射線には、X
線、γ線、陽電子の消滅放射線などがあり、治療用にはさらにγ線、陽子線、重粒子線(炭素イオンなど)
が使われます。通常の1回の胸のレントゲン検診でうける放射線の外部被ばく量は平均値として 50 μSv =
0.05 mSv、胃の場合は 600 μSv = 0.6 mSv、CT検査になると 6900 μSv = 6.9 mSv だと言われていま
す。ただし、これらの値は同じシーベルトの単位で表されてはいても、実効線量といって、被ばくする臓器
ごとの放射線の影響を考慮しつつ全身被ばくでの値に換算したものであって、各臓器に照射された等価線量
はこの数倍に上ることに注意が必要です。医療被ばくでは通常、人体の一部の臓器だけが照射を受けます。
たとえば、胸のレントゲン撮影では、肺とその周囲の臓器が受ける等価線量は 200 μSv 程度あります。し
かし、その他の体の部分は放射線を浴びないので、照射を受けた臓器だけについて組織荷重係数をかけて足
し合わせ、全身被ばくの場合に相当する実効線量に焼き直すのです。胸にだけ 200 μSv の照射を受けるこ
とは、全身に 50 μSv の放射線を浴びるのと同等の影響があるとみなす、という意味です。同様に考える
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
7/8
と、胸のCT検査における等価線量は 20 〜 30 mSv になりますから、決して無視できる線量とは言えませ
ん。日本は医療被ばく大国だと言って警鐘を鳴らす人もいます。
線量限度について
日本国では、放射線業務従事者の1年間の全身の実効線量限度は 50 mSv、5年間で 100 mSv と定めら
れています。また、一般公衆の1年間の線量限度は 1 mSv です。いずれも、自然放射線を除く上乗せ分に
ついての規制値です。しかし、今回の地震に関する特例措置として、福島原発に関連する従事者の線量限度
が、この期間につき 250 mSv まで引き上げられました。また、緊急事態および事故収束後の復旧期におけ
る一時的な措置として、一般公衆の1年間の線量限度が 20 mSv に引き上げられました。これらの線量限度
の値については、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に従ったものですが、その疫学的な根拠について
全ての科学者が賛同しているわけではありません。高い線量の被ばくの結果を低い線量の結果に外挿できる
かという問題の他に、急性被ばくの結果(主に広島・長崎被ばく者のデータ)を長期的な低線量率での被ば
くとどう関連づけて評価するのか、あるいは外部被ばくの結果を内部被ばくの結果に適用できるか等にも議
論の余地が残されているからです。また、放射線に対する感受性や生涯のリスクは全員一律ではありませ
ん。特に、若年者ほど影響の可能性が大きいことには注意が必要です。
したがって、今できることは、ALARAの原則(As Low As Reasonably Achievable)に基づいて、合
理的に達成可能な範囲で被ばく量を少なくするように各自が努めるとともに、低線量の被ばくについては、
自然放射線などの日常の被ばく量との比較や、他の健康阻害要因(喫煙などの生活習慣)などのリスクとの
比較によって、各自がその生体影響の度合いを理性的に認識・判断し、各自の行動指針を確立することで
す。この資料がその一助となれば幸いです。
なお、がん治療等に用いられる医療用の放射線の場合、放射線照射による治療効果があるので、放射線に
よるリスクと治療効果による効用の比較が意味を持ちます。医療用の放射線には線量限度が設けられていま
せんが、これは放射線医療被ばくによる健康へのリスクがあるとしても、それよりも病気を発見したり治療
したりする利益とのバランスでとらえるべきだからです。がんの放射線治療では、がん組織に対して1回あ
たり 2 Gy の線量を、日をおきながら数十回繰り返して照射するといったような多量の放射線を照射します
が、これはがん細胞を殺すことが目的なので、通常の致死線量であっても目的に叶っているわけです。一方
で、正常な組織に当たる放射線量がなるべく少なくなるような工夫が施されていますが、ある程度のリスク
は避けられません。治療の場合とは違い、CTスキャン撮影など放射線診断において照射される放射線量
は、直ちに健康に影響を及ぼすレベルの線量ではありません。とはいえ、別々の病院で何度も同じような検
査を繰り返すなどの、無駄な診療被ばくを受けないように、患者自らが意識する必要があるかもしれないと
考えています。
文責:鳥居寛之、澁谷憲悟(東京大学教養学部物理部会)
文書公開ホームページ URL:
http://physics.c.u-tokyo.ac.jp/?page_id=563
http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lecture/radiodoc.html
放射線の物理および生体への影響(東大教養物理:鳥居、澁谷) ed. 2011.6.13
8/8
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素17掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。