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今日の毎日新聞夕刊読んでたら、たねまきジャーナルでも、ナイス突っ込みをされておられる近藤勝重さんのエッセイがありました。
岡潔と小林秀雄、ベルグソンも登場するぞ。先日、たまたま職場にこられたアラフォーぐらいの、中学数学教師の女性と話していると、奈良女子大の理学部数学科出身といわれたので、
「奈良女(ナラジョ)やったら、むかし岡潔って数学の先生知ってます?」と、当然知っているはずと思いたずねたら
彼女は「オカキヨシってだれですか?」
と絶句(そういうもんか)
近藤さんへ、「小林秀雄や岡潔やベルグソンってだれですか?」という時代かも。
でも、「小出裕章なら知ってるわ!」という時代かも。
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http://mainichi.jp/select/opinion/kondo/news/20110930dde012070026000c.html
しあわせのトンボ:時間と原発=近藤勝重
美空ひばりさんの「川の流れのように」は人生を歌い上げた歌だ。川の流れ、すなわち時の流れと共に人は生き、人生の哀歓を感じているわけである。
時間ということでは、20世紀フランスの代表的哲学者、ベルクソンの時間論が有名だ。彼は一般的な単位としての時間ではなく、自分の内側で体験的に実感する純粋な精神の流れを時間ととらえ、その観点から自由も論じた。
そのベルクソン哲学に取り組んだ批評家、小林秀雄氏と数学者、岡潔氏との対談「人間の建設」では、時間がさまざまに語られている。ベルクソンの考えていた時間について小林氏は「ぼくたちが生きる時間なんです。自分が生きてわかる時間なんです。そういうものがほんとうの時間だとあの人は考えていたわけです」とおっしゃり、岡氏は自らの考えで「時間というものは、強いてそれが何であるかといえば、情緒の一種だというのが一番近いと思います」とおっしゃっている。
時間=生きる、時間=情緒というのは、例えば1時間、読書をしたり、人と話をしたりすれば、それ相当の感情がはぐくまれることで、時間あっての生、時間あっての情緒と理解がつく。
さてそれでは、「スピード文明」という言葉まである今日の時間とは?である。経済優先の世の中では、生産においても売り上げにおいても、分秒を競っているのは確かなことで、人間が生きて感じる心理的時間より、計測可能な物理的時間の側面が重んじられてきたに違いあるまい。そしてその価値観に何よりも応えたのが原発であろう。
MBSラジオの報道番組「たね蒔(ま)きジャーナル」でご一緒している京都大原子炉実験所助教、小出裕章氏は番組での発言をまとめ「知りたくないけれど、知っておかねばならない原発の真実」という本を出した。そこで氏が「原発から出る膨大な核のゴミは、100万年消えない」と語る時、時間はこの世の時間でなくなる。また氏が、破壊されても時間をかければ直る火力発電所と違って、原発は時間をかけても直せないと語る時、やはり時間は時間でなくなる。怖い話だ。
先に紹介の小林、岡両氏の対談は1965年に行われたと断った上で、岡氏の次の言葉も引用しておきたい。
「情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは起さないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです」(専門編集委員)
教育 数学者の秋山さん特別授業
子どもに科学の楽しさを 数学者・秋山さん、名取で /宮城
特別授業:科学は楽しい! 秋山仁さんと阿部清人さん、岩手県釜石市立白山小で
インタビュー・会いたい人 スプツニ子!さん
毎日新聞 2011年9月30日 東京夕刊
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