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この国と原発:第2部・司法の限界/1 退けられた訴え、現実に
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110917ddm003040123000c.html
毎日新聞 2011年9月17日 東京朝刊
◇判決−−「安全審査は妥当」「推進するほかない」
3月11日午後2時46分。福島第2原発1号機訴訟の原告の一人で、住職の早川篤雄さん(71)は福島県楢葉町の自宅で強い揺れに襲われた。「原発は大丈夫か。いや、大丈夫なはずがない」。悪い予感がとっさに頭をよぎる。不安は約15キロ北にある第1原発で現実となった。
「格納容器が破裂する恐れがある」。12日朝、第2原発の周辺住民にも避難指示が出された。早川さんは町の防災無線に従って約25キロ南の同県いわき市に逃げ、それ以来、避難生活を強いられている。
75年に提訴。主に通常稼働時の被ばくと人為的ミスによる事故の危険性を訴え、国を相手に設置許可の取り消しを求めた。70年代前半に水俣病やイタイイタイ病など4大公害訴訟で住民側が連勝し、「司法にいちるの望みを抱いた」。原発の不気味さを感じる人々の輪は広がり、原告は原発訴訟史上最多の400人を超えた。あらゆる可能性を想定し、津波による事故の恐れも主張した。
だが、1審の福島地裁判決(84年7月)は請求を棄却。津波についても「国の安全審査は妥当」と評価した。東日本大震災では第1、第2原発に想定を上回る10メートル前後の津波が達したとされる。弁護団長だった安田純治弁護士(80)は「我々が津波対策も訴えていた以上、今回の事故は人災だ」と話す。
2審の仙台高裁判決(90年3月)も住民側の控訴を棄却。「結局、原発は推進するほかない」と述べた。左陪席裁判官として判決にかかわった木原幹郎弁護士(72)は「電力需要を考慮し、技術力を上げて安全性を高めてほしいという趣旨だった」と吐露する。上告審でも判断は覆らず、92年10月、住民側の敗訴が確定した。
敗訴から約20年。早川さんが訴えた原発の危険性は「フクシマ・ショック」となって世界を震撼(しんかん)させた。
第1原発から半径20キロ以内が立ち入り禁止の警戒区域に指定される直前の4月中旬。早川さんは自分の目で放射線量を確認するため町内に入った。倒壊したままの家屋。ひび割れた道路。さまよう牛たち−−。眼前に広がる光景が、94年と06年に訪問したウクライナ(旧ソ連)で見たチェルノブイリ事故後の廃虚に重なった。
首都キエフの病院では、のどに甲状腺の手術痕が残る多くの子供たちに会った。母親からは「医療の優れた日本に連れて行って」と懇願された。そんな異国の悲劇が、ここでも起きてしまったことを痛感した。
「国民の命を守る最後のとりでとして、役割を果たしたと言えるのか」。高さ5メートルの津波想定を「十分だ」と評価した裁判所の判断。人の気配が消えた故郷を目の当たりにした今、早川さんは改めて「司法の責任」を感じる。
◇
国内外に衝撃を与えた東京電力福島第1原発事故。その約40年前から各地で原発の安全性を問う訴訟が繰り返されてきたが、原発にストップをかけた確定判決はない。司法は「安全神話」をどうとらえ、今後どう向き合っていくのか。元裁判官や原告ら訴訟に関わった人たちを訪ね歩いた。=つづく
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■ことば
◇東京電力福島第2原発(福島県楢葉町、富岡町)
82〜87年、沸騰水型軽水炉1〜4号機の運転を開始。大震災で自動停止し、東電によると「現在は安定的な冷温停止状態にある」という。
◇
この国と原発:第2部・司法の限界/2 「一生背負う」裁判官
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110918ddm003040167000c.html
毎日新聞 2011年9月18日 東京朝刊
◇敗訴の原告も評価
宮城県女川町の女川第一小学校の校庭に建つ仮設住宅。晴れた日は、その一角に「原発廃炉」と染め抜かれた水色の旗が翻る。00年に原告敗訴で終結した女川原発訴訟の原告団長、阿部宗悦さん(85)は、同町鷲神浜の自宅を津波で流された今も、静かな抵抗を続けている。
回船問屋を営み、定置網漁の漁師でもあった阿部さんは81年、原発の建設差し止めを求めて提訴に加わった。「原発の排水で海を汚してはならない」という一心だった。国を相手に設置許可の取り消しを求める「行政訴訟」ではなく、電力会社を相手に原発の存在自体の是非を問う初の「民事訴訟」として注目された。
「安全性に欠ける点がないことは、(電力会社側が)非公開の資料も含めた必要な文書を提出して立証すべきだ」。1審の仙台地裁判決(94年1月)は、阿部さんらの訴えを退けながらも、電力会社に情報開示と安全性の証明を求める異例の判断を示した。民事訴訟では通常、原告側に「立証責任」があり、本来は阿部さんらに危険性の証明が求められるはずだった。
裁判長を務めた塚原朋一弁護士(66)は「圧倒的な情報を持つ被告に安全性を証明する義務があり、電力会社が極秘扱いの原子炉設計図などを証拠提出するのは当然と考えた」と話す。阿部さんも「ここだけは、裁判所がよく踏み込んだ」と評価する点だ。
訴訟は2審の仙台高裁判決(99年3月)、最高裁決定(00年12月)を経て原告敗訴が確定した。それから11年。「この訴訟を今後の何らかの参考にできないものか」。福島第1原発事故を機に塚原さんは、かつての訴訟記録を再読しようと考えている。
塚原さんは小学生の時、将来の夢を「(国の)原子力委員」と書いたという。終戦から約10年が経過し、「国民に原子力の平和利用を受容する風潮が芽生え始めていた」。原子力へのそんな思いを明かしながら、「日本人の平均的な感覚の持ち主として、原発訴訟を担当したつもり」と述懐する。
もし福島の事故が女川で起きていたら……。塚原さんは「訴えを退けた個々の裁判官に、事故に対する法的責任はない。ただ、自分が下した判断が本当に正しかったのかという重い課題を、裁判官は一生背負い続ける」と語った。
阿部さんは傘寿を越えた今も、精力的に反原発集会に通う。「今回の事故で、原発が『百害あって一利なし』だということがはっきりした。子孫に汚れた海を渡せない」。水色の旗の下で、阿部さんは改めて思いを強くする。=つづく
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■ことば
◇東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)
84〜02年、沸騰水型軽水炉の1〜3号機の運転を開始。東日本大震災で運転を停止しているが、東北電は「安全性に問題はない」としている。想定していた9.1メートルを上回る推定13メートルの津波が襲来。敷地は海面から14.8メートルの高さで、非常用電源3系統のうち1系統が津波で機能を失ったものの、残る2系統が無事で事故を免れた。
◇
この国と原発:第2部・司法の限界/3 覆した住民2勝
http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2011/09/19/20110919ddm003040172000c.html
毎日新聞 2011年9月19日 東京朝刊
◇「国策に沿った」上級審
完全勝訴−−。名古屋高裁金沢支部前で掲げられた垂れ幕に、歓声がわき上がった。03年1月、もんじゅ設置許可無効確認訴訟の差し戻し控訴審判決。原発訴訟で初めて、原告勝訴が言い渡された。95年12月にもんじゅで起きたナトリウム漏れ事故が、強く影響した判決と言えた。
「私は素人ですから」。川崎和夫裁判長(65)は口頭弁論と並行し、原告と被告を集めた異例の「勉強会」を開催した。基礎的な質問をすることもはばからなかった。原告側は差し戻し後の1審・福井地裁判決(00年3月)で認められなかった、もんじゅ事故の危険性を再び訴えた。原告だった吉村清さん(86)=福井県敦賀市=は「裁判長の訴訟指揮が画期的だった。両方の意見に公平に耳を傾け、判断してくれた」と1審との違いを説明する。
だが05年5月、最高裁で高裁判決が破棄された。事実認定ではなく、法解釈に誤りがないかを審理するはずの最高裁が、「ナトリウム漏れ事故を踏まえると、原子炉の設置を許可した安全審査に看過しがたい過誤、欠落がある」とした高裁判決の事実認定を大幅に書き換え、判決を下した。
原告団事務局長を務めた小木曽美和子さん(75)は「国策に沿った政治判決。何のための三権分立なのか」と批判する。最高裁判決に関わった5人の裁判官は取材依頼にいずれも、「応じられない」と回答した。
06年3月。もう一つの原告勝訴も金沢で言い渡された。志賀原発2号機訴訟で、金沢地裁は「想定を超える地震で、住民らが被ばくする具体的可能性がある」とし、運転差し止めを命じた。05年8月、宮城県沖を震源とする地震の際、女川原発で想定以上の揺れを記録したことが重視された。
裁判長を務めた井戸謙一弁護士(57)は「宮城の地震が判断の大きな要素になった。審理で感じたのは、できるだけ危険を小さく評価し、低コストで安全対策をしたいという電力会社の姿勢だった」と不信感を示した。
それでも2審の名古屋高裁金沢支部は09年3月、1審判決後に策定された国の原発の新耐震指針を基に「安全対策は指針に適合し具体的危険性は認められない」と評価、1審を覆す。最高裁も10年10月、2審を支持し、住民側敗訴が確定した。
両訴訟に共通するのは、現実に起きた事故や地震が住民側勝訴を引き出した点だ。志賀原発の訴訟で原告団長を務めた堂下健一さん(56)=石川県志賀町=は言う。「今なら裁判所も原発が安全とは言えないだろう。結局、司法は何か起きてからでないと、思い切った判断は出せない」=つづく
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■ことば
◇もんじゅ(福井県敦賀市)
高速増殖炉実用化を目指す日本原子力研究開発機構の原型炉。95年のナトリウム漏れ事故で運転を停止し、10年5月に試運転を再開。だが、同8月に機器の一部が炉内に落下するトラブルが起き、本格稼働のめどは立っていない。
◇北陸電力志賀原発(石川県志賀町)
93年に1号機(沸騰水型軽水炉)、06年に2号機(改良型沸騰水型軽水炉)が稼働。07年3月の能登半島地震では想定を超える揺れを記録した。
◇
この国と原発:第2部・司法の限界/4 震災で態度一変
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110920ddm002040064000c.html
毎日新聞 2011年9月20日 東京朝刊
◇「科学裁判」に消極的
「非常用発電機2台が同時に壊れる事態は想定していない」。07年2月、静岡地裁の証言席に、班目(まだらめ)春樹・東京大教授(63)=現原子力安全委員長=が着いた。現在も東京高裁で係争中の浜岡原発運転差し止め訴訟。被告・中部電力側の証人として原発の安全性を力説。「ちょっとの可能性まで考えていたら設計できない」と述べた。
審理に高度の専門知識が必要とされる原発訴訟は、「科学裁判」とも呼ばれる。浜岡原発訴訟では計11人の専門家が出廷し、自説を繰り広げた。
徳山明・元富士常葉大学長(78)=構造地質学=は「想定する東海地震でも安全と、科学的根拠を持って断言できる」と説明。伯野元彦・東京大名誉教授(79)=地震工学=は「浜岡原発の岩盤は固い地盤の『相良層』で十分な安全性がある」と明言した。いずれも中部電力側の証人として、原発の安全性を証言した。静岡地裁は07年10月、専門家の証言を引きながら、「安全評価に問題はなく、安全余裕は十分に確保されている」として、住民側全面敗訴の判決を言い渡した。
高度な専門性が絡む原発訴訟。裁判所は安全性について踏み込んだ審理・判断をすることに消極的な姿勢もにじませる。
「原発が安全か否かを直接判断する審理方法は相当ではない」。浜岡原発訴訟の2審・東京高裁。10年4月の口頭弁論で岡久幸治裁判長(62)はそう述べ、「判決に必要な審理はほぼ尽くされている」と言い切った。その態度が原告団代表の白鳥良香さん(78)=静岡市葵区=には、「裁判を放棄しているのと同じ」と映った。
ところが、東日本大震災が発生すると、高裁の態度は一変する。1年ぶりに開かれた7月6日の口頭弁論で、岡久裁判長は「安全性が立証できなければ、(原発は)止めるということが当たり前」と発言。傍聴席からは拍手がわき起こった。
事故後は専門家の意見も揺れている。班目氏は3月22日の参院予算委員会で、浜岡原発訴訟での証言について問われ、「割り切り方が正しくなかったことを十分反省している。抜本的な見直しがなされなければならない」と述べた。徳山、伯野両氏は毎日新聞の取材に「原発の審査では津波が弱いという気がしている」「ああいう事態になった以上は、もっと丈夫なものを造るしかない」とそれぞれ話した。想定外の被害が専門家の認識をも変えた。
「もう私たちは『オオカミ少年』ではない」。原告弁護団長の河合弘之弁護士(67)は、控訴審で新たに津波被害を争点化するよう求めている。=つづく
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■ことば
◇中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)
76〜05年、沸騰水型軽水炉の1〜5号機(5号機は改良型)の運転を開始。1、2号機は老朽化を理由に09年に停止した。震災後の5月に国の要請で稼働中の4、5号機を停止し、定期検査中だった3号機の運転再開見送りを決めた。
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この国と原発:第2部・司法の限界/5 国内初の本格訴訟
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110921ddm002040021000c.html
毎日新聞 2011年9月21日 東京朝刊
◇「後世のため資料を」
「ばかにするな」という憤り。「やっぱりな」という諦め。00年12月、松山地
裁。伊方原発2号機訴訟の原告、近藤誠さん(64)=愛媛県八幡浜市=は、全面敗訴の判決をそんな思いで聞いた。判決は新たに分かった活断層の存在を理由に「当初の安全審査は結果的に誤り」としつつも、「重大事故が起きる可能性が高いとは言えない」と請求を退けた。弁護士を付けず、33人の住民のみで提訴してから22年半。原告は21人に減っていた。
近藤さんらが「手本」にした訴訟がある。73年8月、住民35人が伊方原発1号機の設置許可取り消しを求め、松山地裁に起こした国内初の本格的な原発訴訟だ。
60年代後半。伊方町での原発建設計画が表面化し、住民らはビラまきやデモなどの抗議行動を展開した。逮捕者や土地契約を巡る自殺者まで出た。そんな中、国は72年11月に1号機の設置を許可。「実力行使の限界」を感じた住民たちは、反原発運動の理論的支柱として活動していた核化学者、久米三四郎・大阪大講師(故人)に相談を持ちかけ、複数の冤罪(えんざい)事件に関わった大阪弁護士会の藤田一良弁護士(82)を紹介された。
住民と藤田弁護士らの共闘で始まった訴訟。当時、原発の安全審査はブラックボックスと言えた。「訴訟で国から資料を引き出せば、後々につながると考えた」。藤田弁護士は前例がなかった国との闘争の意義を語る。
準備書面や証人尋問調書など膨大な裁判資料は現在、立教大共生社会研究センター(東京都豊島区)で閲覧できる。
科学や法律の知識に乏しい住民たちには、未知の裁判で展開された双方の主張が、どこか地に足のつかないものに見えた。原告の漁業、谷本功さん(66)=八幡浜市=は「実際に事故が起きておらず、(危険性を)証明するものがなかった」と振り返る。論争は、事故が「起きる」「起きない」の水掛け論のようにも映った。
1号機訴訟は92年10月、最高裁で住民側敗訴が確定。「審査に重大な誤りがあった場合は設置許可を違法とできる」との初判断が示された。「裁判所は原発の安全性ではなく、審査手続きの合理性のみを審理する」という趣旨だった。藤田弁護士は「司法とは何なのか、つくづく考えた」と振り返る。
2号機訴訟の1審敗訴後、近藤さんらは控訴を見送った。1号機訴訟を見て、法廷は国と理論的に対決できる場だとは感じたが、裁判所に住民側の訴えを理解しようという姿勢が感じられなかった。「裁判外の運動で原発を止める」。そう決意した。今も原発反対派市民団体の事務局として活動を続けている。
控訴断念から10年余り。危惧していた原発事故が起きた。「間に合わなかった」。危険性を訴え続けてきた近藤さんは唇をかんだ。=つづく
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■ことば
◇四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)
77〜94年、加圧水型軽水炉の1〜3号機の運転を開始。国内では唯一、内海に面した原発でもある。1、3号機は現在、定期検査のため運転を停止している。
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この国と原発:第2部・司法の限界/6止 訴訟どう変わる
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110922ddm002040081000c.html
毎日新聞 2011年9月22日 東京朝刊
◇判断厳格化は必至
「実際の原発事故を目の当たりにすると、認識は甘かったと思う」。高浜原発訴訟の1審で裁判長を務め、93年12月の判決で原告の運転差し止め請求を棄却した海保寛弁護士(74)は、テレビに映し出された福島第1原発事故の光景に言葉を失ったという。
当時は、海外の原発事故の書籍を読みあさって訴訟に没頭した。「老朽化の激しい蒸気発生器の細管が破断すれば、炉心が溶けて放射能被害が出る危険が大きい」とする原告側の主張に対し、判決では「細管破断が炉心溶融(メルトダウン)に至る危険性があるとは認め難い」とした。
福島第1原発1号機では東日本大震災発生からわずか16時間で、炉心の核燃料の大部分が溶融したとみられている。高浜原発訴訟で争われた内容とは異質だが、海保弁護士は「原発事故の影響の大きさは観念的には分かっていたが……。原発がここまでもろいとは思わなかった」と衝撃を隠さない。
原発訴訟に関わった法曹関係者の間では、福島事故が今後の原発訴訟に変化をもたらすとみる人が多い。
福島第2原発3号機訴訟の2審(原告敗訴)で裁判長を務めた鬼頭季郎弁護士(70)は「原発の安全運転に関する行政の基準が厳しくなるのに伴い、司法判断も厳格になっていくのは間違いないだろう」と推測する。女川原発訴訟の1審(同)に関わった塚原朋一弁護士(66)は「『1000年に1度の巨大津波』をどう想定に織り込んでいくのか。今後、審理はますます難しくなる」とみている。
原発訴訟に的確に対応できるよう、工夫を求める声もある。
専門性が高いとされる税金や知的財産に関する訴訟では、関係省庁から一時的に裁判所に籍を移し、裁判官をサポートする「調査官」が活躍する。福島第2原発1号機訴訟の2審(同)に関わった木原幹郎弁護士(72)は「原発専門の調査官を設けてもよいのではないか」と話す。
裁判官の大半は法学部出身。女川原発訴訟1審判決で陪席裁判官を務めた六車明・慶応大法科大学院教授(59)=環境法=は「理系出身者がもっと裁判官になってもいい」と指摘する。「裁判官の研修でも、原発問題を学ぶ機会を設けてはどうか」と提案した。
最高裁によると、大震災以降に起こされた原発関連訴訟は少なくとも20件に上る。訴訟に携わってきた原告側の関係者は、今こそ司法が原発に厳しい目を向けるべきだと期待を込める。
福島第2原発1号機訴訟の原告で、今も避難生活を強いられている早川篤雄さん(71)は「本当は司法の責任を果たせなかった裁判所を訴えたいくらい」と言いつつも、「憲法の番人としての本来の役割に目覚め、国民の命を守ってほしい」と望む。
志賀原発2号機訴訟の1審で住民側を勝訴に導いた元弁護団長の岩淵正明弁護士(61)も訴える。「福島の状況を見ても『想定外だから仕方がない』というのか、『想定外でもあってはならないことだ』というのか。裁判所は被害を直視しなければならない」=おわり
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この連載は伊藤一郎、和田武士、野口由紀、篠原成行が担当しました。
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