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6万人のチカラ
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2011-09-19 反戦な家づくり
震災から半年を過ぎて、これまで最大級の、しかも6万人からの集会が開かれた。
「さようなら原発集会」 実にシンプルだ。
今日は平日の休みだったせいか、震災から半年の報道番組が多かった。
見れば見るほど、なんで・・ という思いが強くなる。
半年、180日をかけて、何でこれしかできないのかという、もどかしさに気分が暗くなる。
すくなくとも、被災の全貌がわかった時点で、何兆円かの資金と、数千人の人員を投入し、自治体の自由に使えるようにすれば、180日という時間はまったく違ったものになったはずだ。
2次補正だ3次補正だと、もったいつけて、出し惜しみしながらちびちびとでも、結局は出すカネならば、なんで半年前にバシッとまとめて出してしまわなかったのか。
増税か国債か増税か国債か・・・ と延々と繰り返している間に、180日が過ぎていった。
しかも、その間に、自分たちの国会公務員宿舎だけは、粛々と105億円をかけて建設を始めているのである。その朝霞宿舎が、事業仕分けで凍結されていたのは周知の通り。それを解凍したのは、現在総理になってしまった当時財務相の野田であったことも周知の通り。
「事業仕分け」で凍結されていた「公務員宿舎」が野田新首相(当時財務相)了承のもと着工していた
http://getnews.jp/archives/139554
要するに、官僚の貯蓄である国家予算、とくに特別会計にメスを入れさせないがために、180日という時間が浪費されていったのである。
被災の悲しさから何とか立ち上がり、前に進もうとしたときに、この国の棄民とも言えるサボタージュは際だって実感されるだろう。大きな怒りの的になっていることは間違いない。
■■
その怒りが、よりいっそう大きな渦になっているが、原発災害への対応だ。
津波の害も、多分に人災の面があるけれども、原発は100%人災だ。
人災と言うよりも、わかっていたことが起きたのであって、東電と原発村による犯罪だ。
たとえば、こんな道を100キロで走ったらいつか事故が起きる、と多くの人が言っているのに「いや安全だ」と言い続けてついにひき殺してしまった場合、危険運転致傷罪か殺人罪だろう。
ところが、人類史上最大になるかもしれない災害を引き起こしておきながら、東電はいまだに犯罪に問われるどころか偉そうにふんぞり返っている。
その象徴が、60ページの請求書と160ページの説明書だ。
災害の賠償金を支払うために、被災者に配布した請求書のことだ。
合計220ページと言えば、両面コピーでも厚さ1.5センチ。こんなもの、常人に扱えるようなものではない。
しかも、読み飛ばして適当に書いてしまうと、「一度請求してしまうと、請求漏れがあっても二度と請求できない」というようなことが、こっそり書いてある。
暴走運転で通行人をひき殺した犯人が、犠牲者の家族に220ページの請求書を送るか?
そのなかに、一度請求したら二度とできないこととする なんて書くか?
東電も東電だが、それを許している政府も政府だ。
今頃になって、内容を改善するとか言っているが、見当違いも甚だしい。
改善とか何とかじゃなくて、政府が東電の資産を全部押さえて、そのうえで賠償業務に責任を負うべきだろう。
放射能汚染も深刻だ。
いい加減な「安全」基準もさることながら、何が起きているのかを知らせない、隠すという最悪の情報汚染が深刻だ。
放射性物質は、出てしまった以上は、なくすことはできない。除染をしたところで放射能を移動させるだけ。
原子炉に大穴があいてしまった以上は、とことん情報を調査し公開することが、基本中の基本。
その基本中の基本を、どうみても意図的に隠そうとしていることは、こうしたブログを見ているような人でなくとも、直感的に感じているだろう。
放射能汚染が深刻だということだけが、おぼろげに伝わり、その実態が見えない。
こんなに恐ろしいことはない。
だから、京都の大文字焼きや愛知県の花火のような、いくらなんでも というような反応までが生まれてしまう。
■■
放射能汚染に対する不安や恐怖だけで、6万人もの人が集会に参加したとは思えない。
もしそれだけならば、事故直後のほうがたくさんの人が集まったはずだ。
おそらくは、東電の傲慢さ、政府の情報かくし、そうした半年間の積もり積もった怒りが集結したのだろう。
それだけ、日本人も情報を見る目ができてきたとも言える。
政府発表は信用できない。
テレビや新聞は鵜呑みにできない。
東電は、本気で賠償する気はない。
しかも、この期に及んで新首相の野田は原発を存続させるという。
日本の戦後史は、やはり3.11をもって新しい段階に入ったのだろう。
この40年来続いてきた、ソフトな管理社会から、強権と抵抗の段階に。
まだまだ多くの山も谷も経験しながら、この世の中を生き抜く知恵を身につけていかなければならない。
あたらしいモラルを、生み出していかなければならない。
6万人の集会を見て、そんなことを感じた
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