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http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0918.html
2011年9月18日(日) 夜10時
<ETV特集>シリーズ 原発事故への道程/前編 置き去りにされた慎重論
広大な大地を不毛の地に変え、人々を放射能被ばくの恐怖に陥れている福島第一原発事故。世界で初めての多重炉心溶融事故だった。原子力発電の安全性神話は、たった一度の“想定外”の地震・津波によりもろくも崩れ去った。なぜ福島原発事故は起きてしまったのか。事故原因の直接的な究明とともに今必要なのは、歴史的な視点で安全神話形成の過程を見直すことである。
私たちはある資料を入手した。『原子力政策研究会』の録音テープ。1980年代から90年代にかけて、我が国の原子力発電を支えてきた研究者、官僚、電力業界の重鎮たちが内輪だけの会合を重ね、原発政策の過去と行く末の議論をしていたのだ。議事は非公開と決めていたため、当事者たちの本音が語られている。さらに、生存する関係者も福島原発事故の反省を込めて、今その内幕を率直に証言し始めた。
この資料と証言をもとに、福島原発事故までの歩みを2回シリーズで徹底的に振り返る。前編は、原子力発電所の我が国への導入を決めた1950〜70年代前半のれい明期をみる。当初は安全性の不確かな未知のテクノロジーを地震大国に立地することへの疑問など慎重論が主流であった。しかし米ソ冷戦の論理、そして戦後の経済復興の原理によって強引に原発導入が決まっていった。太平洋戦争に石油などの資源不足で敗北した過去や、世界で唯一の被爆国という過去を背負った日本が、原発建設に至るまでの道のりで「経済性追求」と「安全性確保」の矛盾を抱えていった過程を検証する。
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