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ゾッとする保安院の内部文書 3・11翌朝の菅首相原発視察
http://news.livedoor.com/article/detail/5872013/
2011年9月15日掲載 日刊ゲンダイ
やはり、一歩間違ったら、想像を絶する放射能大惨事になっているところだった。
大地震・大津波で福島原発が壊れた3・11の翌日早朝、菅首相がヘリで原発を視察したが、実は内部はとんでもない事態だったことが明らかになった。
経産省の原子力安全・保安院が福島原発事故の翌日、格納容器の圧力が急上昇していた1号機のベントが失敗した場合、敷地内の被曝線量が致死量に達するとの内部文書を作成していたのだ。このほど情報公開法に基づき開示された保安院の資料によれば、さらに「3〜5キロの範囲で著しい公衆被曝の恐れがある」との記述もあり、保安院が早い段階でチェルノブイリ級の事故を予想していたことになる。
資料は3月12日午後1時ごろに作成され、午後2時2分に原子力安全委員会にファクスされた。1号機で水素爆発が起きたのはその1時間半後、午後3時36分だった。
「この資料で重要なことは、大震災翌日に1号機の格納容器が破裂する確率がすごく高まっていたことです。それで東電は、内部のガスを外部に放出するベント作業の検討に入っていたのですが、菅首相と班目原子力委員会委員長が早朝5時半から、現地をヘリで視察したから不思議なのです。そんな危機状態のときに、なぜ菅首相は防護服も着ないで、わざわざ命を捨てるような無謀な行為に出たのか。ナゾがますます深まったわけです」(野党関係者)
菅首相が視察している間、もちろんベント作業は停止。で、首相が官邸に戻ったのを確認した午前10時すぎから、ベント作業に着手。しかし、停電や冷却装置故障でうまくいかず、やっと午後2時半にベントは「成功」したことになっている。建屋内にたまった水素が爆発して、建屋は吹き飛んだが、格納容器破裂という最悪の事態は免れたのである。
それだけに、ゾッとしてくる。菅首相の視察がモタつき、もしベント作業が大幅に遅れていたら、それこそ原発周辺は本当の「死の町」になっていたわけだ。なぜ、菅首相は東電などに任せず、大惨事を呼び込むような乱暴で余計な視察をしたのか。やはり頭の中がパニックで精神状態に異常をきたしていたのか。
首相退陣後、メディアをハシゴして言いたい放題の菅は、たとえば朝日新聞のインタビュー(6日)では、ベントの遅れについて「今でも理由は分からない」「(ヘリで視察したのは)現場の状況が正確に伝わってこないから」なんて自己弁護していたが、この意味不明の視察行為だけでも完全に総理失格なのだ。
それに今頃、保安院の内部資料が開示されたのも、菅の現役中だったら、「命取り」になるものだからなのだろう。
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