24. 2011年9月16日 18:05:15: oWbillhalg
>22>恐らく除染は出来る範囲でということになるだろう。 環境庁もそういうバカなことを考え出したらしいが、除染問題に限らずこのような、その場の事情から物事を考え出すやり方が本末転倒であるということに、いつも気がつかないのが日本人の特性だ。だから失敗するか後々問題が出る結果にいつもなる。目的をいい加減に考えているため、本来の目的はどこかに行ってしまうのである。 目的は何か?状況はどうだ?相手はどのくらい力があるか?自分の力はどのくらいあるか?目的を達するには何が足りないか?目的を達するための他の方法はあるか?など突き詰めていき目的を達する、欧米的な戦略的思考が無いのである。 「出来る範囲で」などという発想をするとき、「現実的判断」「現実問題として」などもっともらしい言い訳をしこれを大人的(日本の場合大人的とは無能と同義語)と日本では称するがするが、じつは目的はどこかに行ってしまった、出たとこ勝負の場当たり的発想に過ぎない。 除染は遊びや庭いじりではない。「出来る範囲で」などと目的を歪めたいい加減な話で、復興費用が膨大に必要な今そんな無駄金を使われてはたまらない。 除染の目的は帰還を可能にすることである。帰還を可能にするということはそこで人々が「住、食、勤、学、遊、環が不自由なく安全に暮らせるようにする」ことであり、これが除染の目的にほかならない。この目的をしっかり押さえている限り、「出来る範囲で」などと言う言葉は間違っても出てこない。「出来る範囲で」などは除染の目的を放棄することと同義である。 現代は車社会である。行動範囲が半径2Kmの大昔とはわけが違う。地方になれば買い物ひとつでも毎日10Km移動などざらだ。また酪農、農業、林業、漁業などは屋外の暮らしがすべてだ。都会のようにオフィスと家庭の行き来だけで仕事しているのではない。そういう地域で本来の目的を達するには、今回の対象全面積の8割以上最低でも6割以上を完全除染しなければ、曲がりなりにも人間らしく活動出来る環境にはならない。 「出来る範囲で」という具体的中身は、家、道路、学校、保育園や幼稚園、公共施設、医療施設、主要なマーケット、小公園、貯水池、わずかな田畑、河川の人家・水源地周辺だけである。しかもすべて点と点を繋ぐようなスポット除染である。1本のルートを行ったり来たりする蟻じゃあるまいしこんな除染で5年10年と暮らせる訳はない。住んでみて徐々に除染範囲を拡大出来るかというとそれもほとんど期待出来ない。なぜなら今「出来る範囲で」しかやれないと言う声が出ているが、それは技術的・作業量的に不可能なので出た言葉だからだ。 そもそも除染規模をどうこう言う前に、生活を念頭におけば、田畑を100%除染しない限り、収入は2割3割にまで落ちてしまい、環境以前に経済面、就業面でとてつもない貧困地域になってしまう。 つまり「出来る範囲で」などは本来の目的はすっかり無く、地獄に帰れと行ってるのと同義である。 だから「出来る範囲で」などという考えをしなければならない状況になった段階で、除染による帰還作戦は直ちに放棄し、疎開・新天地作戦に即切り替えるのが、本来の目的を達成するものだ。 そのように作戦を直ちに切り替えたうえで、帰還目的ではなく将来なんらかの利用が出来るかもしれない可能性に備えることを目的にして、それこそ「出来る範囲で」時間を掛けながら少しづつ除染をしていくのが、被害と資金と労力を無駄にしないあり方だ。 そうした除染作業の被曝管理が十分になされるなら、疎開・新天地に移った人々は直ぐにはそこで生計を立てられないこともあるから、新天地での仕事の確立の合間を縫って、故郷の除染作業に自由に参加して当面の収入源にするのも一案だろう。そうすれば収入と同時に「自分たちは流浪の民ではなく、常に故郷と繋がっている」という心の支えにもなるのではないか?もちろん除染は彼らだけでやるのではない。あくまで全国の土木建設者を動員した除染計画への参加である。 彼らは酪農に従事している人々が多い。彼らにとって土や自然相手は日常的作業であり、しかも職業柄そういう作業にもっとも重要なその土地の自然に対する理解と土地感がある。そういう知恵と技術を持っている彼らは、土や自然いじりに素人の職業作業員と同等かそれ以上の手際のいい作業をするだろう。日常作業とかけ離れた仕事ではないから馴染みやすいだろう。 問題は、疎開・新天地先からの出稼ぎ状況が生じることだ。それが家族にとって暗いものにならないように、就業方式や期間などフレキシブルにするなど国を挙げて手厚いサポートをしてやるべきだ。「遠い将来かもしれないが少しでも故郷を蘇らせる作業に自分たちは取り組んでいるんだ」という思いを様々な実利的なサポートを通じて支えてやらねばならない。 この将来のための除染計画に参加するということは、土地を追われた人々の、絶ちきれぬ故郷に対する思いのケアと当面の収入源の確保という、復興的な意味合いも持てると思う。 |