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細野豪志が語る、事故対応をめぐるアメリカとの論争ーー「4号機プール干上がれば100キロ超え避難。アメリカが危ないと言ってくれた」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65763256.html
2011年09月12日07:00 ざまあみやがれい!
※タイトルは、内容を踏まえた上、細野氏の発言を解釈を変えないようにして私が意訳しています。
2011年9月10日、フジテレビ「新報道2001」に細野豪志氏が出演。福島原発事故をめぐるアメリカとの論争の一幕を語った。アメリカとの事故をめぐるやりとりが公になることは珍しく、貴重だ。
動画(細野氏の発言は、動画2本目の3分27秒あたりから)
検証・福島原発事故 菅前首相語る「あの時」 1
http://www.dailymotion.com/video/xl0tiu_yy-yyyyyy-yyyyyy-yyy-1_news?start=3#from=embediframe
検証・福島原発事故 菅前首相語る「あの時」 2
http://www.dailymotion.com/video/xl0tir_yy-yyyyyy-yyyyyy-yyy-2_news?start=1#from=embediframe
(書き起こし ※細野豪志氏の発言部分のみ)
細野豪志「…。そうですね、今、映像見ながら、ずっと半年前のことを思い出してましたけれども。……えー……、危機的な状況てのはあったと思いますね。うん。それは間違いなくありました。あのー……、若干、正確に認識してると思うんですけれども、今の映像の中で言うと誤解をされそうな部分があるのでご説明申し上げますと。
あのー、それこそ100キロを超えるような事態というのはですね、なにを我々が気にしてたかというと、4号機のプールなんですね。燃料プール、使用済燃料プールがありますね。あそこには、えー、燃料の数で言うと相当の本数が入っていると。しかも、問題はですね、1号から3号機よりもはるかに新しい燃料が入ってんです。
なぜかっていうと、あのー、定期検査中でしたから、丁度そのー、格納容器の中で、えー、まさに原子炉の中で、燃やしている燃料を一時的に取り出してたので。えー、極めて新しいんですね。ですから、万が一あそこの水が完全に干上がって、それがブーッと広がってくることがあると、これは20キロとか30キロではないと。いうことを言っていたんです。
ですから、あのー、20キロから30キロとか10キロとか20キロとかやってた時ってのは、原子炉の問題についてやっていて。で、そこはあの最大限にえー、万が一のことがあってもここまでだという判断ができてたと思います。で燃料プールが干上がるということになると、これは時間がかかりますから。でそういう状況になったときには、そういったことも考えなければならないと想定をしてたんです。
(300キロとか…)ええ。ですから、そうならないように、えー、4号機の燃料プールの補強をまっ先にやりました。で、水がどれだけ入っているか露出してないかどうかってことを真っ先に確認をしました。そこを、やってたんですね。
ですから避難の区域を拡大をしなかったことがおかしいということではなくて、その時点では炉のことでやっていて、もっとも安全性の高い対応をしていたと。
で、万が一、その、プールが干上がる場合というのは、万万が一ですよ? そういう事がないようにしなきゃならないんだけど。その場合は非常にゆっくり時間を掛けて、日本国内へ東日本へ広がりますから、その時は次の段階で色々考えてなければならないとは思ってました。ただそうならなかった。そうしなかった。そこは少し、あの、正確に伝わっていない部分があると思いますね。
もう1つだけいいですか。あのアメリカとの間でいろんな論争がありました。でアメリカのほうが正確に状況を把握していた状況もあったし。逆にアメリカの評価よりも日本の方が正確だった部分もあった。
で、その最大の論争が、4号機プールだったんです。4号機プールは危ないんじゃないかというふうにアメリカは言ってくれた。これは私はアドバイスとしては非常にありがたかったです。そこに1番大きな問題があるんだということが分かりましたから。ですからそこへ徹底的に手を打つことができて、最終的には4号機のプールはずっと水があってですね、干上がってなかったんですね。ですからそこは日本の認識のほうが正しかった。両方のケースがありました。」
※しばしあって。
細野豪志「そうですねえ…。まあ、拭いがたい色んなですね、あのー…‥。もう、ええ、まあ、通常じゃなかったんですね。ですから、わずか半年なんですけど、私にとっては本当に何年も過ごしたくらい長い半年だったですねえ。総理も間違いなくそうです。
3月11日何が起こったか、12日何が起こったか、ずうーっと覚えてますよ。もうずうーっと覚えてます。その中で、総理の中に、菅前総理の中に拭いがたい原子力の専門家に対する不信感が、もう本当にたまってるんだと思うんです。ですからそこは、まあちょっと通常の状況ではないというところは、割り引いていただいたほうがいいような気もします。
ただ、平井さんがおっしゃるとおり、私は菅総理でよかったなと思った部分は、3月の15日のですね。未明のあの判断ですね。極めて非情な判断なんです。
なぜかというと。現場の放射線量上がってるわけなんですね。で、東電の社員の人だったそりゃ家族もいるわけだし人生もあるわけだから。でそのことを考えると、撤退と言われたときにグッと一瞬、我々もひるむわけですよ。お、これは本当に彼らが犠牲になるかも知れないと。
でもその生命と、日本の将来ということを考えたときに、ここは引くべき時ではないと判断すべきなんですね、リーダーは。それをやりきったというのは、菅さんはたいしたもんだ。たいしたもんだと私がいうのもおこがましいですけど。そう思いますね。」
(文字おこし、ここまで)
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