43. 2011年9月10日 07:19:40: Gbw77vFz2s
大津波に襲われ冷却機能を失った福島第一原子力発電所では炉心が高温になり、発生した水素ガスが地震発生の翌3月12日に原子炉建屋内で爆発し、周辺環境にヨウ素、セシウムなどの放射性物質が漏洩、同日政府の指示で福島第一原子力発電所から半径20キロメートル圏内(住民およそ6万人)が緊急避難区域に指定された。その直後から連日連夜、原子炉の専門家やNHKのニュース解説員から詳しすぎるほどの装置的情報や周囲環境の放射線線量率(毎時マイクロシーベルトの値による)の報道が継続してなされ、ある週刊誌で集団ヒステリーと言われたほど、政府を筆頭に日本社会の長期間にわたる心理的動揺が続いた。 福島の核事象では、広範囲に顕著な量の放射性物質が飛散したが、原子力施設職員たちに急性死亡は1人もいないばかりか、直後から5月の時点までに急性放射線障害すら1人もいない低線量事象である。もちろん、福島県民にも急性放射線障害はない。これは水素爆発はあったものの、圧力容器および格納容器は閉じ込め機能をかなり保持していた証拠でもある。 2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震後の大津波により冷却機能を喪失した東京電力福島第一原子力発電所の核分裂反応停止中の炉心が過熱溶融し、3月12日に最初の水素爆発事故となった。そこから噴出した核分裂生成物による環境影響と人体影響を、震災からおよそひと月後に札幌から東京までの東日本を広範に調査した。 調査項目は、環境のガンマ線空間線量率、調査員自身の積算個人線量、地表面のガンマ線スペクトルによる核種同定、地表面のアルファ線計数、現地住民の放射性ヨウ素による甲状腺内部被曝線量である。結果は、世界の他の核災害と比較され、福島の核事象の環境健康影響の大きさが相対的に明らかにされる。 チェルノブイリ事故災害と違い、福島県および東日本の放射線線量はけた違いに低く、健康影響のリスクは無視できるくらいであった。この理由は、1)福島第一原発では炉心での核分裂反応が停止24時間以後の水素爆発で、その間に短い半減期の多量の放射能が消滅していた。チェルノブイリ原発は運転中の核反応の暴走爆発で、一気に高レベル放射能が環境へ吹き出た。結果、多数の運転員や消防士が急性放射線障害になり死亡者も発生した。福島第一原発ではそうした死亡事故はない。2)福島第一原発では損傷はあったものの格納容器がかなりの核分裂生成物を閉じ込めたばかりか、チェルノブイリ原発のように黒鉛火災による上空への舞い上がりがなかった。そうした理由で、2000メートル級の高さの岩手山や奥羽山脈を越えて青森や北海道へ福島から放射性物質が飛散しなかった。 2002年に私は放射線防護学の100年以上の研究成果にもとづき、放射線の危険度(リスク)を判断するための「線量の6段階区分」を発表した。AからCが危険な範囲、DからFが安全な範囲である。 福島県を除く東日本の年間外部被曝線量は2011年度でレベルE。福島市でさえ、屋内滞在時間の長さを考慮すれば、同年度の年間内外被曝総線量はレベルDと推定される。 @2011年4月6日に陸路、札幌を出発し、青森、仙台、福島、東京と同月10日までに放射線衛生調査がなされた。 A福島第一原発20キロメートル圏内を含む全調査での調査員の受けた外部被曝の積算線量は0.11ミリシーベルト、レベルE。甲状腺の放射性ヨウ素も検出されなかった。こうして調査は完全に実施された。 B札幌および青森では、顕著な核分裂生成物は検出されなかった。仙台、福島、東京でのガンマ線スペクトロスコピーで、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137が顕著に検出された。福島から少量持ち帰った土壌を5月に測定すると、ヨウ素131は消滅していた。 C甲状腺に蓄積されるヨウ素131による内部被曝線量検査が成人希望者76人に対して行われた。検査当日の福島県民66人のヨウ素放射能の最大値は3.6キロベクレル、平均1.5キロベクレル。6人は検出限界の0.1キロベクレル未満であった。20キロメートル圏内浪江町からの避難者40人の平均甲状腺線量は放射能の減衰を考慮して5ミリグレイ(ミリシーベルト)、チェルノブイリ被災者の1000分の1以下程度と、甲状腺がんの発生リスクはないと判断する。 D浪江町などの被災者らは、災害対策本部から安定ヨウ素剤の配布がないばかりか、甲状腺検査も受けていないことがわかった。避難だけしか行わない政府介入における緊急被曝医療体制に大きな問題が存在していた。ヨウ素剤は、わが国の原子力災害時に大多数の県民と周辺県民には配布されない現状が証明された。抜本的な改革が求められる。 E損傷した炉心のある施設外の隣接地表面さえ、プルトニウムが放射するアルファ線は毎分7カウントと少なく、核燃料物質の施設外環境への漏洩は、顕著ではなかった。プルトニウムの吸い込みによる肺がんなどのリスクは無視できる。なお、セミパラチンスク核実験場の爆発地点周辺が半世紀後においてもアルファ計数が毎分200、西日本の地表面の値が1〜2である。 F浪江町や東日本各地の空間線量率の値は、最初の1カ月で4分の1以下になるなど、放射能の減衰に従って、放射線環境は減衰傾向にある。福島を除く東日本の公衆の個人線量は屋内滞在による遮蔽効果もあって、年間外部被曝線量は1ミリシーベルト以下、レベルEである。福島市では2011年度の年間線量はレベルD。瞬時被曝ではないので、小児、胎児への健康影響は心配するほどではない。次年度以降も年間線量は低下していく。 G福島県民の内部被曝については、地元産の農産物および飲料水を採り、体内にセシウムを取り込んだと仮定した場合の線量は、外部被曝のおよそ3分の1と考えられる。この比率は、ロシアの放射性セシウムの汚染地で自給自足する農民から評価した値である。福島市民に当てはめると、2011年度の年間内部被曝線量はおよそ1ミリシーベルトである。実際3ヶ月後の6月後半に、南相馬市、いわき市、郡山市で計33人の放射性セシウムの全身量を検査したところ、全員が推定年間線量として1ミリシーベルト未満であった。したがって内外被曝の総年間線量はレベルDと推定される。 H放射性セシウムの環境中の半減期は、30年よりも短い。それは、初期に存在するセシウム134の半減期が2年と短いばかりか、風雨などによる地域からの掃き出しがあるからである。2年目はすでに放射性ヨウ素が消滅しているので、その線量はない。さらに、外部被曝に加え、内部被曝も減衰する。こうして、福島県民の年間線量は2年目に大幅に減衰する。レベルF,E,Dと安心の方向に推移する。 線量6段階区分 危険:A〜Cの単位(シーベルト):ウイグル、広島・長崎、チェルノブイリ A:4以上・B:1〜3・C:0.1〜0.9 安全:D〜Fの単位(ミリシーベルト):福島、東海村、スリーマイル島 D:2〜10・E:0.02〜1・F:0.01以下 日本の原子炉は軽水炉型であり、旧ソ連の黒鉛炉ではないため、チェルノブイリ事故での大火災に伴う大量の放射性物質の環境放出による公衆の高レベル放射線被曝にはならないというこである。しかも、ソ連の原子炉には格納容器がなかった。第二点は、チェルノブイリでは核分裂反応が暴走して爆発したのに対し、福島第一原発では、核分裂反応は制御棒が緊急挿入されたため、自動停止した状態での建屋内の水素爆発であったことである。そのため、運転員などに急性放射線障害はなく死亡者もいなかった。チェルノブイリ事故では、核分裂反応の暴走事故に伴い、運転員や消防士ら129人が重軽傷を負い、そのうち28人が死亡した。こうしたことから、これら二つの核事象の大きな違いが明らかである。 福島第一原発では、自衛隊ヘリによる空中からの放水に始まる懸命の冷却が続けられた。この時間稼ぎのなかで、炉心の崩壊熱は経過時間の7倍則(7倍の時間が経つと全放射能が10分の1に減る法則)で低下していった。 核分裂生成物の総放射能は、7倍の時間の経過で10分の1に減衰する法則になっています。停止1分後の総放射能を1とすると、7分後に10分の1、49分後に100分の1、6時間後に1000分の1、40時間後に1万分の1に減衰するのです。ですから、24時間以後に水素爆発したときには、放射能は1000分の1以下に弱まっていたのです。 核分裂反応が暴走して炉心が爆発したチェルノブイリでは、放射能の減衰の間もなく、環境に莫大な大きさの放射能が噴き出したのです。時間からだけで推定すると、福島の1000倍以上の放射能になるのです。そのためチェルノブイリでは、発電所の運転職員たちが急性放射線障害で死ぬほどの線量を受けたのでした。 それに対して、福島第一では水素爆発までの24時間以上の間に、炉心内の放射能が1000分の1以下に減衰したので、東電職員たちが危険な線量を受けるリスクが低くなったのです。 2011年4月8日・9日に福島では、20キロメートル圏内からの避難者を中心に希望者68人に対し、甲状腺に含まれている放射性ヨウ素の放射能量の検査を行った。 浪江町からの避難者40人の結果は、二本松市民に比べて全体的に甲状腺に蓄積していた放射性ヨウ素の放射能量は多かった。平均で2.4キロベクレル、最大で3.6キロベクレル。他方、二本松市民は平均で0.1キロベクレル、最大で0.5キロベクレル。飯館村の2人は、平均で1.8キロベクレル。放射能の減衰を補正して推定された甲状腺線量の平均値(ミリグレイ)は、浪江町5.1 飯館村3.9 二本松市0.3であった。レベルで示すと、D,D,Eである。 これらの値は、チェルノブイリ事故被災者の値の1万分の1から1000分の1である。かの地、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国の被災者700万人の最大甲状腺線量は50グレイ(=50シーベルト)。その後数年から、総数で当時の4800人の子供たちに甲状腺がんが発生した。20年後の世界保健機関の調査報告である。このリスクが線量に比例すると考えれば、今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がんにはならないと予測できる。 2011年4月9日、10日と2日間にわたり20キロメートル圏内に突入し、放射線環境を調査しながら、徐々に福島第一原発敷地境界に接近していった。 そして核緊急事態が続いている福島第一原発の敷地境界の調査を開始した。福島第一原発の西門や、他のゲートやフェンスに沿って測定したところ、放射線の強さは避難区域の浪江町や双葉町の2倍程度であり、最大でも毎時0.059ミリシーベルト(=59マイクロシーベルト)であった。この値は、チェルノブイリの緊急事態時の値の1000分の1以下である。 炉心のメルトダウンとは何か、メルトダウンするとどんなことが起きるのか、という質問がありました。 原子炉物理学は私の専門外なので、知り合いの専門家に問い合わせました。 最初に確認しましたが、新聞などで使用されている原子炉の‘メルトダウン’という言葉は、原子炉物理学の専門用語ではありません。この言葉はマスコミなどが作った造語である可能性があります。 高温になりすぎた炉心の損傷に対する言葉としては、炉心損傷(コア・デグラデーション)や炉心溶解(コア・メルト)などがあります。 炉心溶融とは、冷却不能になった燃料集合体が過熱し、制御棒なども含んで融解することです。 さらに進んだ破壊として、溶解した炉心が分厚い鋼鉄製の圧力容器の底を溶かし貫通する現象があります。これを圧力容器貫通(メルト・スルー)といいます。 1979年に生じた米国スリーマイル島原子力発電所2号機・電気出力961メガワットの事象は、二次冷却系の主給水ポンプの故障の後で運転員の操作ミスがあり、炉心が過熱して全体が損傷したものですが、溶融したのは全体の半分程度でした。 そして溶融物自体も圧力容器の底に溜り、その場で冷えて固まりました。首の皮一枚で圧力容器貫通は免れています。 そのために周辺住民が受けた外部被曝は、1ミリシーベルト以下でレベルE(0.02〜1ミリシーベルト)と安全な範囲です。 1986年のソ連チェルノブイリ原子力発電所4号機では、安全装置の電源を切るなどの規則違反の運転が行われていたために核反応が暴走し、炉心が完全に溶融して建屋が吹き飛び、周辺の黒鉛が発火・炎上しました。この時は溶解した炉心が圧力容器を貫通し、床のコンクリートも溶し込み、溶岩状になったのです。10日間も黒鉛火災が続き、大量の放射性物質が上空に舞い上がり、周辺一帯に溢れ出しました。 環境へ放出された総放射能は2エクサベクレル(2×10の18剰ベクレル)でした。これによる30km圏内住民の外部被曝線量は最大で0.7シーベルト(=700ミリシーベルト)、レベルC(0.1〜0.9シーベルト)と危険な線量を受けたのです。 今回の福島第一原子力発電所の場合には、地震のP波を検知後、すぐに制御棒が自動的に挿入されて炉心の核反応が停止しました。しかしその後、電源喪失による冷却不能になり、1〜3号機が、24時間以後に水素爆発して建屋が破壊しました。 政府の原子力対策本部が、1〜3号機で燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ち、一部は容器に開いた穴から外側の格納容器に落下して堆積する溶融貫通が起きた可能性も考えられるとした報告書をまとめ、国際原子力機関(IAEA)に提出しています。ただし、溶融した炉心は格納容器内に留まっています。 また、チェルノブイリのように、核反応の暴走はなく、黒鉛火災もないため、炎上に伴う放射性物質の大量放出もありませんでした。 緊急避難した20km圏内住民の避難時点での線量は、概して10ミリシーベルト以下、レベルD(2〜10ミリシーベルト)以下と安全な範囲でした。 公衆防護に対しては、政府の災害対策本部が全責任を持つが、その意思決定には科学評価に基礎が置かれなくてはならない。しかし、管政権が采配する災害対策本部の科学根拠にいくつか重要な問題が見えている。 その第一は、環境へ放出された総放射能量の評価である。当初福島核災害を国際原子力事象評価尺度(INES)で‘レベル5’と発表していたものを、2011年4月12日に突如、‘レベル7’に押し上げた。この際、根拠となる放出放射能の算出方法を明記した検証可能な報告書が国内の専門家にさえ開示されていない問題。第二は、飯館村など5月以後のさらなる計画的避難の根拠とする線量予測年間20ミリシーベルト超の誤りである。住民に個人線量計を装着する現実的科学的評価もせず、屋外線量率を一定値にして年間時間数を掛け算するなどとした過大計算は、ずさんで容認できない。 放射線防護学研究者談 |