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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011090890135444.html
原発事故 フランス人帰ったまま/プチ・パリの灯 戻らぬ神楽坂(東京新聞)
2011年9月8日 13時54分
東京電力福島第一原発事故の発生からまもなく半年。事故後、いち早く出国避難したフランス人の多くは、いまだ日本に戻っていない。背景に何があるのか。フランス人が集まり、「プチ・パリ」とも呼ばれてきた東京・神楽坂を歩くと、チェルノブイリ原発事故(一九八六年)の影が影響していた。(久原穏、北条香子)
「(フランス人子弟向けの)学習教材は仕入れを減らしたが、それでも売れ残る。一般の書籍も駐在員がいれば、たくさん買ってくれていたのに…」
神楽坂と近辺に三店舗を構える老舗フランス図書専門店『欧明社』。奥山由紀夫社長(五九)は顔を曇らせた。
例年なら九月の新学期に合わせ、近くのフランス人学校初等部の父母らでにぎわう。しかし、今年は学年によっては半数以上が戻らず、買い手のない教材が残っている。
神楽坂はフランス語の語学学校もあり、在日フランス人が多く住む。フレンチレストランが約五十軒ひしめき、いつからかプチ・パリの別名がついた。
しかし、震災後、街を歩いてもフランス人の姿を見かけない。付近の高層マンションでほ最上階の富裕駐在員向けの部屋が空いたまま。なぜフランス人は戻ってこないのか。
脳裏にチェルノブイリ/政府情報 不安
震災後に帰国し、九月に夫、子どもと神楽坂に戻ってきたというカトリーヌ・ブリックスさん(四三)はこう打ち明けてくれた。「チェルノブイリ事故直後に当時の仏政府は公式に安全宣言を出した。しかし、その後、国内で甲状腺疾患などが多発した。私たちは情報に不安があるのです」。
昨年からパリで客員研究員を務める北海道大吉田徹准教授(三六)も、フランス国内の反応について「チェルノブイリ事故後の情報操作もあって、その記憶が疑心暗鬼を生み、それが集団感染したように見える。フランス人は家族の絆が強く、日本滞在を心配する家族の声が影響していると思う」と分析する。
一方で「自国民が早々と退避したことには、フランス人の中でも意見が分かれている。『3・11』で日本を気遣う世論が盛り上がったのもフランスならでは、と思う」と議論好きで博愛を国是とする国民性も指摘した。
◇
同じくチェルノブイリ事故の影響があるドイツも、ドイツ人学校の一時閉鎖や大使館員の日本への赴任拒否が起きた。ラーメン「日高屋」をチエーン展開する「ハイデイ日高」(さいたま市)によると、アルバイトの約二割を占める外国人(大半が中国人)の半数が震災直後に帰国。四月下旬に平常の人繰りに戻ったという。
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フランス人の出国・避難
福島第一原発事故後、在日フランス大使館は東日本の在住者に日本から退避するよう通知。エールフランス機をチャーターし出国を促した。同大使館によると、関東周辺に住むフランス人は約6000人で、事故直後に3500人が出国。8月までに約1000人が戻った。9月の新学期に合わせ、日本に戻った人もいる。
(*電子版にない部分は直接、紙面版から)
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