20. よしゆき 2011年9月18日 01:47:51: .fHdROTysEMxI
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あっしらさんへ コメントへのレス、大変遅くなってしまい申し訳ありません、、。 このスレッドの事はずっと心にあったのですが、感じた事を思考に繋げたり、考えた結果を文章に落とし込むスピードに欠けお返事が遅くなってしまいました。
"隠れ家"とは素敵な呼び名をありがとうございます。 あっしらさんと同じ屋敷に入れて頂け光栄です(笑) コメントシステムについては同じく少し馴染めないものを感じ、困惑していたのですが、見方と使い方次第なのかもしれないですね。 この投稿の元の目的(鉢呂"前"大臣の発言の件)に関しては最早語るも虚しい状況になってしまいましたので(笑)、ゆるゆるとお喋りさせて頂ければと思います。 【引用】
よしゆきさんの「(当時流行の新自由主義的な)を本や雑誌で勉強してました(初めは竹中平蔵とか大前研一とかの本ばっか読んで「小泉万歳!構造改革万歳!外資万歳!」って信じてました笑)」という部分には、ホントなの!とびっくりしました。 【コメント】 本当です。 ついでにいうと落合信彦も好きで(当時SAPIOが好きで)「テロと独裁者から世界を守る為にアメリカとの関係を強化し民主主義と資本主義を世界に広めねば!」とも本気で思ってました。 笑ってください(笑) ちなみに当時は「オニオン」というHNで少しだけ投稿やあっしらさんに対しての質問をさせて頂いておりました。 覚えてらっしゃいますでしょうか? パスワードも忘れてしまったので現在はこのHNで投稿させて頂いております。 【引用】
私もヒトの子なので、喜んでもらえたり激励されると晴々とした気分となり、罵倒されると気落ちします(笑)。 【コメント】 あっしらん、御自ら火中の栗を拾われますから(しかも油を撒きながら笑)。 ただ、ここが一番あっしらさんに対して「凄い」と感動する所でもあります。 あっしらさんは「無視すりゃ良いのに」と思いたくなる様な野次レベルのコメントやマナー違反な投稿態度に対してもとことん向き合われますものね。 (7年前は特に笑) その結果として論敵が増え、罵倒される事も多い様に感じておりました。 どうしてそこまで拘るのか当初は理解出来ず「よせば良いのに」とさえ思ってました。 しかし下記の投稿の引用部分を読んで、ほんの少しですがあっしらさんの見てる世界が見えた気がしました。 認識における「主―客二元論」の超克:「純粋主観」・「純粋客観」そして「純粋感覚」の不在 http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/228.html 引用部「人が他者関係的な活動を通じてしか生きていけない存在であるのなら、人によって感覚さえ違い理性的判断も違うという事実を踏まえ、自分の感覚や認識内容を言葉でできるだけわかりやすくひとに伝え理解を求めなければならず、相手の言葉もそのような背景から発せられたものとして理解に務めなければならないはずだ。」 正直言って震えました。 そして納得も出来ました。「ああ、だからあっしらさん、『開かれた地域共同体』というコンセプトを生み出せたし、掲示板内の投稿態度にもここまで拘りを見せるのか」と。 そしてもう一つ。 高校生だった当時よりは(ほんのちょっぴり)歳を重ね、不快な投稿態度や野次を何の疑問も持たずに「無視すりゃ良いのに」と思っていた自分の浅はかさにも気づけた部分があります。 (ここは"隠れ家"と思っい素直に白状しますが)当時の自分が無視すりゃ良いのにと考えていた心根は、やはりどこかでそう言う投稿をする人を低く見ていたからです。「相手は人格の低い人なのだから、それに付合って自分まで落ちて行く事は無いよ」と何とも愚かな考えを抱いておりました。 人が人を格付けしレッテルを貼ってしまうと言うのは、結構皆が陥り易い人間の悪癖だと思うのですが(私はいまだに良く陥ります)、種々の投稿からあっしらさんはその悪癖に陥らない為に努力しているのではないかと勝手に想像しています。 そしてそれ故に火中の栗も拾われると。 【引用】
東京・ボストン・上海の学生たちが総じて(中略)という考え方をしていることに愕然としました。(中略)こういう人たちが、将来、国家機構や大企業のなかで枢要な地位を占めると考えるとお先真っ暗になります(笑)。 【コメント】 私とほぼ同世代の方々ですね。 確かにエリート街道に行くのはこう言う人達だったかも(笑) でもこう言う人達って、一人一人個別で接すると結構利他的で魅力的な良い人達が多いんですよ(笑) 話しが脇道に逸れますが、大学時代の印象深い出来事の一つに学問状況の変化があります。 私が大学に入学した2005年辺りは経済の授業も結構多様で「マルクスの循環理論」とか「自然経済論(家事やサークルなど貨幣・計画経済に含まれない活動)」とか主流派では無いけど面白い切り口の授業があったんですが、そう言う授業は年が変わる毎にどんどん減っていきました。 (変わりに経営学的なものとか社会起業関係のものが増えたかな?) 私共の世代は昭和に生まれても平成に育った世代ですので、エロスが低下し続ける社会を原体験としてしまっています。 それ故に価値観や感性的には"アンチ近代"と言う人もかなり多いのですが、「ではどうしたら良いのか」とを理性的・論理的に論じる能力は自分を含め充分でないかもしれません。(※代わりに身の回りの出来る所から行動に移している人が結構多いのも特長です。) そしてその様な能力を身に付けられなかった理由の中には、上記の高等教育の内容の変化も少なからず関わっているのかなと思ったりしています。 引用部に登場する学生の方々も、個別の感性・価値観的には良い人が多いと思うのですが(本当に悪い人も少数いるかも知れませんw)自分たちの発言が正義だと心から信じているのではないでしょうか。 【引用】
阿修羅から遠ざかったもう一つの理由は、自分に見えている世界が少し世の中の常識からズレ過ぎていると思ったことです。(中略)それらの説の根拠をきちんと示して説得しようとしたら膨大な時間と労力を要すると考えると、残り少ない人生をのんびり過ごした方がいいのかなと思って遠ざかったという面もありました。 【コメント】 軽々しくコメントは出来ませんが、「でもその通念とは異なる世界観に影響を受けた人間も多数居るんです!」とは伝えさせてください。 ところで阿修羅から離れていた間はあっしらさん、どういったお気持ちだったのでしょうか? 阿修羅(や類似のサイト)を離れればスッキリ忘れて気持ち良く過ごせるのか、それともそうでは無かったのか。 答えは人や過ごし方に寄って様々でしょうが、阿修羅に集う人達に取って共有出来る悩みの様な気がいたしました。 掘り下げると相当重いテーマだと思うのですが、いかがでしょうか? 【ところで】
この様な事、全く厚顔無恥なお願いであり恐縮極まりないのですが。 あっしらさん、ぜひ一度お会いさせて頂けないでしょうか。 6年前にあっしらさんが阿修羅を去られてより、ご連絡を取れる方法も無く諦めかけていた事なのですが、もしまたコンタクト出来る機会があればぜひお願いさせて頂きたいと心に決めておりました。 お会いさせて頂きたい理由は、文章だけではなく、生の対話を通してあっしらさんの「世界」に触れたい、感応したい。強くそう思うからです。 それは単純な好奇心では無く(もちろんそれもありますが)、あっしらさんの中に凝縮されている智慧(哲学/信念/世界観/理想/その他諸々)を受け継ぎ、日本と言う共同体に残していきたいと思うからです。 もちろんあっしらさんのお気持ちやお考え、ご都合次第ですのでご無理は言えませんが。 直ぐにではなくとも、掲示板での対話を通して私の信頼が得れてからでも構いませんのでどうぞお願いいたします。
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