http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/260.html
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吉岡英介氏HP「水は変わる」より転載
http://www.minusionwater.com/
記事直
http://www.minusionwater.com/konoyo.htm
季刊文科(鳥影社)という文芸誌があります。
10年以上も前のことになりますが、私はアトピーについて文章を書き、それを出版してもらいたいと、あちこちの出版社に原稿を送りました。それが長野県の諏訪にある鳥影社という出版社の社長であり編集者である百瀬精一さんの目にとまって、同社で出版してくださることになりました。
その百瀬さんから、きのう、季刊文科が「謹呈」として送られて来ました。
刊行して53号ということで、季刊ということは年4回ですから、もう10年以上も刊行されているわけですが、これまで送られてきたことはなく、謹呈を受けたのは今回が初めてです。
少しいぶかしく思いながら中をパラパラと読むと、編集人の1人である松本道介さんという昭和10年生まれのドイツ文学者が、視点というコラムを53回連続で書かれていて、今季号のそこに、「転機への予感」として原発についての論評を書かれていました。
たぶん百瀬さんは、私のこのサイトを読んでくれていて、それで送ってくれたようです。
その「転機への予感」の最後に次の文章があります。
一体、原子力の世界、放射線の世界にはなぜ「解決」がないのだろう。なぜ匂いもなく味もなく刺激もないのだろう。こうした「なぜ」の問いに私のごとき人間に答えることが出来ないのは当然のことながら、最近私の頭に浮かぶ比較的単純な答えは、原子力とか放射能とかいうものが、この世のものでないからではないかということである。
この世のものではないと言うと、死の世界だということになるが、死という方角ではなく、科学が進みすぎて人間の思考力や判断力の及ばない領域に入りこんでしまったせいではあるまいか。
これはなかなかユニークな視点ですが、事実でもあります。
私の「脱原発の道」の講演を聴いて、多くの方が「わかりやすかった」と言ってくださいます。
そこには1つのポイントがあります。原子力についての多くの講演や解説や書物が一般の人に分かりにくいのは、それらのどれもこれもが、「核分裂とは何か」というところから始まっているからです。なるほどウランが核分裂してすごいエネルギーが出てくるのか、と一応は理解できても、根本のところで釈然としません。
それに対して私は、そのもう一つ前の段階である、「燃えるとは何か」から話を始めています。すると、普通に燃えるということと核分裂との違いがはっきりと分かってもらえます。そうすればそこから先は簡単に理解できて納得できるのです。
以下、講演のその部分をご紹介します。
http://www.minusionwater.com/slideshow1.htm
さて、原子力の話が一般の方に良く分からないのは、根本のところの説明が省略されているからです。物が燃えるという普通の現象と、原子力とはどう違うのか、それほど難しい話ではないのですが、誰もていねいに説明してくれません。
まず、燃えるとはどういうことかを説明します。上図で、左側は植物が生長していく様子です。
植物は大気中から二酸化炭素CO2を吸収し、土中から水H2Oを吸収して、太陽のエネルギーを利用して炭水化物(幹や葉や実)を作り、酸素をはき出します。これを光合成(炭酸同化作用)と言います。これが私たちが小中学校の理科で習ったことです。
しかし本質はちょっと違います。本当は太陽の光が主役なのです。「植物は二酸化炭素と水を利用して太陽の光を体内に閉じこめる」のです。つまり植物とは太陽の光のエネルギーが蓄えられたものなのです。
木がぼうぼうと燃えたとします(右の絵)。それは、植物の中にある炭水化物が大気中の酸素と化合(酸化=燃焼)して、二酸化炭素と水になり、蓄えてあった太陽の光を熱として放出するという現象です。放出されたエネルギーはやがて宇宙へと戻ってゆきます。
これが普通の「燃える」という現象です。
同じように、カブラ(炭水化物)は太陽の光が姿を変えたものです。そこにウサギがやってきて、カブラを掘り出して食べます。ウサギは酸素を吸って、食べたカブラと化合させることで、カブラに蓄えられていた太陽のエネルギーを取り出して、心臓を動かしたりピョンとはねたりし、二酸化炭素と水と熱を放出します。これも燃焼のひとつのかたちです。
このように炭素や酸素は、ある時はカブラになり、ある時はうさぎになり、ある時は空気になって、くっついたり離れたりするたびに太陽のエネルギー取り込んだり吐き出したりしてグルグルと回ります。地球の動植物の営みのほとんどは太陽の恵みによっています。
炭素の原子は中心に原子核があり、周囲を電子が6個回っています(左)。原子核の中には陽子(オレンジ色)が6個と中性子(緑色)が6個あります。酸素原子は原子核に陽子が8個中性子が8個あり、周囲を8個の電子が回っています(右)。
その物質が何かは原子核の中の陽子の数(原子番号と言います)で決まります。陽子6個は炭素で、陽子8個は酸素です。陽子7個は窒素、陽子1個は水素です。陽子1個から100個以上まで、つまり原子番号1から100以上までいろいろな元素があります。
燃えても原子は変化しません。炭素原子と酸素原子と水素原子は、周囲の電子を媒介としてくっついたり離れたりしているだけで、原子そのものは変化しません。原子核もまったく変化しません。これが地球上でのふつうの営みです。木も草も鳥も獣も魚も虫も、このようにして生きています。ところが原子力では原子核を割ります。そして割れた原子は違う原子になってしまうのです。
これは地球上での生命や物質の輪廻とはまったく違う現象で、太陽や星の内部で起きている現象です。
酸素や炭素などの小さな原子はなかなか割れません。原子力ではウラン(ウラニウムとも言います)という大きな原子を利用します。ウランの原子核には陽子が92個(原子番号92)あり、中性子が143個あって、陽子と中性子の合計は235個です。これをウラン235 と言います。ウラン235はある時間経つと自然に割れてエネルギーを放射する性質(放射性)を持っています。外から中性子を入れるとプルプルとふるえてすぐに割れます。原子核が割れることを核分裂と言います。
ウランが割れると、割れた破片は原子番号が半分くらいの別の原子になります。たとえばセシウムとかヨウ素とかコバルトとかストロンチウムになります。新聞やテレビでセシウムとかヨウ素とかいっているのはこれのことです。割れ方は決まっていませんからいろいろな物質ができて、新しくできた物質もたいていはさらに割れる性質(放射性)を持っています。
割れるときに大きなエネルギーが放射線の形で出ます。ウランはまた、割れるときに中性子を2つほど放出します。
このように、私たち地球上の生命体は太陽エネルギーで生かされていて、酸素は酸素のまま、炭素は炭素のまま、水素は水素のまま、物質が変わることなく、輪廻転生を繰り返してきました。
これが「この世のもの」であり、「この世の営み」です。
原子力は違います。このような輪廻転生の枠外のものです。
ですから原子力と放射線は、まさに松本氏が言う通りで「この世のものではない」のです。
さらに放射線は生命活動に敵対するものです。
ですから、「死」を連想することもあながち間違いではありません。
物理学者たちは質量数239の人工的な原子に、プルトニウムという名を付けました。
その由来は、「プルート」すなわち冥界の王です。
「原子力はこの世のものではない」という、文学者の直感は正しいと言うべきでしょう。
ですから第一感として、原子力の大規模利用などやめておけ、ということです。
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