06. あっしら 2011年9月05日 02:36:25: Mo7ApAlflbQ6s
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gT7RlRbStIさん、こんばんは。まず、原公表資料は下記のものです。 「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故進展解析結果について」 http://www.meti.go.jp/press/2011/09/20110902005/20110902005-6.pdf 保安院が原子力安全基盤機構に依頼して解析したもののようです。 原資料には、「炉心露出」→「被覆管破損」→「炉心溶融」→「下部炉心支持板破損」→「原子炉容器破損」が短時間のうちに連続的に起きることが明瞭に示されており、菅前首相をはじめ対策本部の幹部も、それを共通の認識としていたことがわかります。 (P.7&9&11〜13:2号機なら、炉心露出から、炉心溶融まで2時間弱、原子炉圧力容器破損[メルトスルー]まででも12時間ほどです) 【疑問】 「疑問点3、一号機の予測をしなかったのは何故?単純な全電源遮断ではない=原子炉配管等の破損を伴う事象だと、何かが違うことを察知していた?」
【コメント】 1号機も解析はしていたが、その内容は官邸に報告されることなく、SPEEDIの予測用データとした利用したと説明されています。 事故進展解析は3月11日夜から始まったようなので、1号機は、その時点ですでに「炉心露出」→「被膜管損傷」→「炉心溶融」が認識されていたことから、事故進展の予測自体は必要がなかったと思われます。 (1号機の配管損傷は、原子炉水位の低下状況などから、ずっと早く16時頃には認識されていたと考えています) そうは思っていますが、公式的には:
3月11日夜の時点では、電源車のつなぎこみなど事故対応の優先対象が2号機になっていました。 公式説明では、1号機はIC(非常用復水器)が作動を続ける一方で、2号機はRCIC(原子炉隔離時冷却系)が20:30に停止したということで、2号機のほうが“危険度”が高いと認識されていたことになっています。 その認識を反映したものが、2号機の事故進展予測の早期実施だと言えます。 この認識は、プラントパラメータの不明状況が続くなか、1号機の格納容器圧力が設計圧の2倍ほどになった12日00:30までなら、そう言い張ってもまったくのウソとは言えないという程度のものでしかないと思っています。 格納容器圧力の異常上昇とともに中央制御室などで放射線線量も急上昇しているので、1号機のメルトダウン(及びメルトスルーもしくは配管損傷)はこの時点で明確に認識されたはずです。 ここから、いわゆる「ベント騒動」が始まることになります。 逆に、2号機についてはRCICが作動していることが確認され、現実としても3月14日昼までは原子炉圧力容器の水位がなんとか維持されたことからわかるように、3月11日深夜の時点では“危機”が遠ざかったと判断されています。
2号機に関しては、RCICが停止した14日昼過ぎからの解析が出ていないのが不可思議です。 3号機については、高圧注水系やRCICが停止した後の13日06:30に解析内容が報告されています。 【疑問】 「疑問点1、11日〜13日の間、記者会見した保安院の人は、結局、この情報を知っていたの?鑑定の受付から先、政府首脳の所に行ったのか、官邸内の保安員の人のところに行ったのか?」
【コメント】 記者会見した人も、菅前首相をはじめとする対策本部幹部も、予測情報の内容は知っていたはずです。 保安院の責任者が首相や参集できた原子力安全委員会メンバーに内容の説明をしたはずです。 しかし、この予測は11日夜時点の2号機と13日明け方時点の3号機に関するものですから、2号機は11日から12日にかけて“危機”は去り、3号機はもっと先の話ですから、11日や12日の記者会見や政府の対応との関連ではそれほど重要な情報ではないことになります。 予測する間もないままメルトダウンした1号機や“人為的ミス”で損壊したと私は考えている2号機(14日昼過ぎからの現実の危機)の解析がない理由は、そのあたりにあるのではと思います。
今回の話でも、深刻な論議を呼びそうな資料は公開していないでしょう。 【疑問】 疑問点2、住民の避難指示等は政治の仕事、と役人たちは逃げ腰だったのが実態?
【コメント】 政府が出した避難指示の内容は、役人たちが策定したものだと考えています。 東電の存続を第一に、国家財政も考慮しつつ、おまけに、住民(国民)に大したことではないと思わせることに腐心しながらという極めて犯罪的な対応ぶりだと思っています。 ホントかどうかは定かではありませんが、SPEEDIの存在すら知らない人が経産大臣だったくらいですから、政治家が避難計画を策定できるとは到底思えません。
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