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19世紀には、公衆衛生の概念などなかった。19世紀の社会主義者たちが啓蒙していた基本的なことは、「自分と子供の衛生状態に関心を持ちましょう。手洗いとうがいをしましょう。妊婦は栄養あるものを摂りましょう。」ということだった。社会主義者たちやキリスト者たちのこういった働きかけによって、その後、公衆衛生は権力(政府)の側に担われることになった。
しかし、現在の関東・東北状況は、権力(政府)が公衆衛生の概念を放棄した19世紀の状態に戻っている。いわば、振り出しに戻った状態だ。年間20ミリシーベルトまで被爆してOKだということは、国民が白血病になっても構わないということであり、外国人は日本に来たら1ミリシーベルトではなく20ミリシーベルトまで被爆する可能性があるということで、観光業に対する死刑宣告に等しい。また、福島大学付属病院や福島県近隣の病院に対して、福島県民の内部被爆量を測定しないように、福島県や文部科学省・厚生労働省などがタッグを組んで、進んで公衆の衛生を確保・維持する活動を邪魔するような通達をひそかに出している状態は、アフリカのスラム街を支配するヤクザにも劣る蛮行だ。そして、SPEEDIの結果を原子力保安院が福島県にFAXして、住民を避難させるかどうかの大判断を互いに押し付けあった結果、住民が大量被爆してしまったのも、公衆衛生の放棄につながっている―もちろん、福島県の小役人がSPEEDIの結果を信頼に足る情報ではないとして無視・黙殺したのも、刑事告訴されるべき事態だ。その誤った判断で何人の人を被爆させたのか。死刑に匹敵する罪だ。極めつけは、放射性物質であっても10万ベクレル未満なら、一般のゴミ処理場に埋めるという環境省が打ち出した方針だ。外国なら、一か所に埋めて何千年も管理下に置かれなければならない高濃度の放射性物質が一般ごみ扱いされるというシュールな状況。しかも、放射能に汚染された瓦礫を全国のごみ処理場で燃やすという狂気の所業も、公衆衛生の概念が放棄されたアフリカのスラム街と変わらないところに我々が住んでいることを自覚させてくれる。放射能の瓦礫を燃やすということは、日本全国の普通のごみ処理場が、放射能を噴出する壊れた原発になったということだ。こんな恐ろしい国はいまだかつて存在したことがなかっただろう。ごみ処理を通じた被爆によって、自民族のDNAを傷つけて未来も含めて自民族を皆殺しにするという方針は、ナチスドイツもびっくりの凶行だ。
いまや、関東・東北では、井戸の水が汚くて飲めない、といったアフリカのスラム街の状態に近付いている。伝染病も根絶できず、衛生のためのインフラも整わないなかで乳児が死んでゆくようなアフリカのスラム街と似たような状況だ。この状況を、公衆衛生の概念が放棄された状態だと認識する以外になんと形容できようか。
健康被害をもたらすような土地に価値があるわけがない、銀行の担保となっている土地に価値はなくなり、日本の金融資本は滅ぶことを運命づけられている。
戦後の焼け野原にも等しい状態で、振り出しに戻ったわけだ。高度成長はなかったに等しい。座して死を待つだけなら戦争でも引き起こすのか、日本人よ。
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