59. 2011年9月01日 14:09:49: IZc43R2EYs
04さん 福島県民です 確かに 原発事故以来 政府や東電、いろいろな方面へ多少なりとも恨みつらみもあります。 命がけの被害を被っている人もいて 危険もある中、それでも生きて暮らしています。 ですがこれが 福島でなく 大都市圏 東京や大阪だったら私たちと違う行動を取ったのでしょうか。もっとパニックになっていたのではないでしょうか。大移動、反対運動、東電政府への抗議などなど、 福島の10倍以上は起こったのではないでしょうか。 このサイトへの投稿の方法をテレビに映る20`周辺の避難者が暇と余裕があって 投稿したら、すべて彼らの意見で埋まってしまうんではないでしょうか。一番困っている人々はサイトで討論する暇などないのです。(私は求職中) 6月ごろ福島の地元紙で市町村長にアンケートがあり 原発事業の今後を問うたところ 8割は反原発ですが、以外にも原発周辺の避難区域の首長の方が 保留という意見だったのです。それは40年間親子で原発で生活したり、町も存続していたからかと思います。 ですがそれを誰が責められるでしょうか。 第一次産業の人々は早く補償してもらはないと、明日どうするかということなのです。補償が迅速でないなら、東電や原子力推進した関係者で通販で今後何年間か買い取る契約をしてもらったらいいのではないでしょうかとさえ思うし、 ガレキだって中間処分地とは言え 最終処分地にさせられるのは目に見えています。 昔、「○○区のごみは持ち帰れ!」と東京でごみ問題がおきましたが、福島県民も本当はガレキなども首都圏でも負担してもらいたい気持ちはあると思います。 東京都でははじめ、珍しく処分協力してもいいような発言があったはずですが(埋立地などあるからか)今は一つも聞かれません。 移送の問題もありましょうし、問題が多いから辞め際の菅総理に言わせたのです。除染が進まない ことを理由に。 遠ければ他人ごとで済むことも もし、近くになってくると嫌なのだと思います。 ガレキも食品も同じです。 みのさんのテレビには出てこない意見です。 私たちも一時東京に避難した時、(45`圏内)親も兄弟も「岩手や宮城の人たちは死者が出ているのだから 貴方たちは黙っていろ 家があるのに何で出てきた。」と言われ放射能の話をしたら笑われました。 ですが今は 放射能の話は全国的に国民の第一の関心事になり、影響は食物によって近県どころか 全国に拡散しています。それ以降テレビもまじめに放射能の食べ物から排除する方法をよく言うようになりました。 福島県では初めからそうした番組が必要だったのです。 初め放射能の取り上げられ方など、池上彰さんのウンチク番組で タレントが「フーン」と頷いていて 私は怒りを感じました。福島県人が命にかかわることをウンチク娯楽番組に仕立てるテレビ局、それを人ごとのように聞いているひとたち。テレビも「他人ごと」が蔓延していました。 ★けれども 今、皆が放射能を同じように理解してくれるからと言って、他の県の人が被曝していくのを福島県人が喜んで見ている訳はありません 佐賀原発のやらせメール事件の時もこれ以上福島のような状況に置かれる人が出ないよう 佐賀の原発周辺の人たちに意見を県庁に持っていくよう訴えましたし 泊原発にしても、今後再稼働に該当してしまう原発周辺の人々に心を痛めています。 佐賀も泊も立地周辺は人口が少ないでしょう。 でも、いないわけではなく 事故になると周辺50キロから100`までも影響はうけるのですし 私たちと同じになって貰いたくはありません 斑目委員長など稼働のことにだけは意見をいうのです。 ★少数者の危険と大多数者の幸福が成り立っている社会だったのです。 地域差別でもあるのです。そのことは首都圏の方々も少し理解して下さい これも恨みつらみに映るでしょうか。こういう私だって避難者や作業員の人に比べたら暢気なものなのです。 私も電気は使ってました。使ってます。ですが、一時間に何十回のオール電化のCM 原発推進の人気タレントのCM 見るたびに「この人たちが、原発に近く住んでいたら推進できるだろうか」と苦々しく思っていたことはあります。 水道事業のように公的な機関が管理していたらと思います。 あの5日間は地震に怯えながら かたときも原発の報道は聞き逃がせませんでした。そのかわり 申し訳ないことに岩手や宮城の津波報道は頭の中に入っていませんでした。4月初めになって自宅に戻り 冷静になってからやっと兄たちが言っていた岩手宮城の津波被害の人たち そして東京の帰宅難民になった人たち、千葉の液状化被害 後の長野県の地震被害などが自分が落ち着くにつれて「みな大変だったのだな」と分かってきたのです。「人のことには他人ごと」だった私を反省します。 ですが、「みんなも大変だから 黙ろうよ」というのではなく 私も災害に遭ったことがなかったから 阪神大震災やら沖縄の人々の毎日基地の隣で生活する気持ちとか、難病で苦しむ人たちとか一般的に心配したりするだけでしたが、原発事故以来 そうした人たちを思いながら暮らすようになりました。 テレビに映る20`圏内の避難者や赤ちゃん子どもを抱えた福島市の酷暑を耐えたお母さんたち若者が時間があり、余裕があって このサイトに訴えたら、ここはその人たちで埋め尽くされるでしょう。 別のサイトで福島の困窮を言ったら宮城県の人から 「原発で補助金貰い今まで潤っていて調子がいい。宮城だって津波で命と生活奪われて大変なんだ福島ばかり言うな」と言われました。 本当にその通りです。被害状況も様々な震災が同時期に襲いました。 ですが、大変な状況比べになっては、作業員の人々しかものが言えなくなるのではないでしょうか。 皆さんは福島というとひとつでしょうが、県内でも被害の状況や立場は微妙に違います。これからの天候により北風で、線量も変わってくるかもしれません。 県でさえ違いはあります、「日本はひとつ」といっても違いはあります ですがです。 どの県が被っても同じ様な対応をしたのではないでしょうか。時間を経て行くと放射能の危険=福島県人のような言われ方は悲しいです。 支離滅裂でごめんなさい。 |