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2011/08/28 2001号 (転送紹介歓迎)
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国策という加害の大罪 神話の崩壊(1)
奥田史郎
●二度目の神話崩壊
東日本大地震と巨大津波による東電福島第一原発事故で、私は生涯に二度、突然の“神話の崩壊”に立ち会うことになった。66年前の「神州不滅・神風神話」崩壊時には、8月2日深夜に襲撃された富山空襲の被災者として焼け跡の街で敗戦を迎えた。そして今回の「原発安全神話」である。
“神話”は崩壊して初めてそれが壮大な作り話だったことがわかる。そして多くの国民が「騙されていた」と述懐するのも、両方同じである。敗戦時の私は中学1年生だったが、家を焼かれ母を焼夷弾の被弾で失った後で「額されていた」「今までの教育は間違っていた」と聞かされて私の戦後が始まった。
神風神話は明治維新から77年目に崩壊した。ウソと八百長でこね上げた原発の絶対安全神話は、被爆国で民主社会の日本で57年も生き延びた!
●不敗の神風神話とは?
「神州不滅」神話の作者と鼓吹者は、明治以来、富国強兵を推進した歴代政府と軍部である。明治政府は徳川幕府に替わる支配者・天皇(家)の権威を高めるために皇室の権威や歴史を整形した。国の始まりを『日本書紀』に求め、雲上の神々の物語(日本古来の神話)もすべて歴史事実として、実在も怪しい神武天皇即位の年を古く計算し、即位日を太陽暦に換算して《紀元節》を定め、日本はその神々の直系である天皇(=現人神、あらひとがみ)の統治する特別な国家(=神州・皇国)である、と位置づけた。
日本は皇国だから世界のどこの国にも絶対負けない。万一、利あらず国難になっても、13世紀末にモンゴル軍が襲来した時に吹いた(=大暴風雨でモンゴルの軍船が沈没・大破した)神風が必ず吹いて敵を裁滅してくれるから、日本国民は安心しろ。戦争になれば、国に命を捧げるのが日本男子の務めである──というものだった。
●国の在り方に疑問を抱けば非国民
天皇国家に忠節を尽くす国民の務めは教育勅語で「歴史的にも正しく、内外に適用しても道理がある」と勝手に権威づけ、教科書や学校の式典を通じて子どもの頃から叩き込まれた。
「忠君愛国」精神は日本国民の言動や考えの基本とされ、国の在り方に少しでも疑問や批判を抱く者は「国賊」「非国民」「(共産)主義者」とされた。「不敬罪」や「治安維持法」など不穏な輩を取り締まる関連法律は数十も作られ、内務省・軍部・警察と幾重にも網が仕掛けられた。
“大逆事件”を契機に“非国民”を専門に取締まる特別高等警察(=特高)が設置され、社会運動、労働運動の弾圧はもちろん、自由主義的言論まで危険思想と判定し、最終時の太平洋戦争中には一般国民の噂話や子どもの落書き・替え歌にまで目を光らせた。
●従わない者は虐待・拷問・死も当然
すべての手紙や文章を検閲し、尾行し、「あいつは怪しい」と逮捕・拘留されると、警察・検察の筋書きに沿う自白強要や調書作成で拷問や虐待が行われた。治安維持法の検挙者は6万7222人に及ぶ。取り調べも「天皇に叛く者は殺されて当然」と容赦なく、実際に敗戦時までに警察署内で虐殺された者は80人余、刑死者も1617人にのぼる。
これら死者にも家族があり、その家族たちは謝罪や保障もなしに戦後を生きた。一方、恐怖政治と国民抑圧の中心だった内務省・司法官僚や特高官僚たちは、戦後も自民党議員や警察幹部となって悠々と税金で生活してきた。日中・太平洋戦争による死者は国内=約320万人、アジア全域=2000万人とされる。
出征した将兵の遺骨は今もかつての戦場に野ざらしか海の藻屑となったままである。死者320万人の遺族やその子孫、あるいは敗戦時までの日本の歴史や国の在り方に批判的な人たちが「不敗神話」や軍国主義の象徴であった日の丸・君が代を快く思わないのは当然であろう。
●神話維持の懐柔策あれこれ
震災後追い追い暴露されてきたが、国策である原発推進への疑問や批判を許さず、そんな人間や意見を徹底的に排除・放逐してきた“原子力村”の構造も、天皇制国家へのタブーと同じである。
電力会社は、原子力研究者には多額の研究費を出して批判的な口を封ずる。族議員には政治献金と労組の力による選挙の投票支援、産業界には巨大な原発施設の建設や維持管理に関する各種の仕事や利便を提供し、官僚には己に好都合な資料供与と天下りの指定席を確保する。メディアには交通費・食費・お土産付きの取材便宜と莫大な広告・広報費を投入し、批判者を徹底的にチェック。
そして原発城下町(自治体)には巨額の交付金と地元民の雇用を、地元企業には協力会社(数次にわたる下請け機構)として契約する……という具合に、巨額の金銭と利益誘導・サービス戦術と、“やらせ”と監視の網で、安全神話の徹底と囲い込みを充実させてきた。
●手段を選ばぬ妨害・無視・抹殺
電力会社が湯水のごとく金を使えるのには、日本独自の電力料金設定システムがある。発電所建設地買収・説得から始まる巨費や広告・広報費も全部“原価”と計算し(総括原価方式)、それに利益分(3%)を載せて電気料金が決められる。電力会社は決して損をしない仕組みだから日本の電気料金は世界一高い。
“原価”となる金銭は、こんなふうにも使われた。研究者の批判的分子には監視や尾行を付け、担当教授に依頼して学内・研究所内では仕事も与えず、「あいつは変な考えの持ち主だ」と差別環境を作らせる。出入りの関係者にはサービスとして自由に使えるタクシー券・コーヒー券を出し、各自の行き先を逐一点検して、立ち寄り先や人脈を綿密に探索する。それでもなびかぬ骨っぽい厄介者は、罪を着せて役職から追い落とす(具体例は前福島県知事・佐藤栄佐久氏を、弟の収賄罪容疑を名目に5期目途中に辞職させた事件。裁判を重ねても収賄物の該当なしで係争中=佐藤氏の著書『知事抹殺』平凡社刊に詳しい)。
●電力カルテル結成までの歩み
明治以来、全国に多くの発電・送電会社ができて企業競争をしてきた。今も残る東西の電気ヘルツ数の差は、当時の技術導入先の違い(米と独)による。第一次大戦後の恐慌で電力過剰となり中小電力会社は合併・吸収され、5大会社の独占段階に入った。
5大会社のうち最古・最大が東京電燈会社(東京電力の前身)である。以後も電力5社は活発な競争を展開するが、供給設備の二重投資や電力外債の低落などで巨額負担を抱えこみ、昭和7(1932)年4月、5社による電力カルテル=電力連盟を結成した。
同連盟は販売料金協定・同業者利益・共存の条件を種々取り決め、政府も電力供給の長期安定を図って同連盟を支えた。後に連盟への加盟は20社となる。何度かの淘汰後も当時の日本には電力会社がそんなにもあった。
●電力の国家管理から地域独占体制へ
日中戦争開始後の1938(昭和13)年4月、国家総動員法と共に電力国家管理法が公布されて発送電事業は国家管理となり、翌年には管理実務を担当する日本発送電株式会社が発足した。
この国家管理法は電力事業の所有と経営の分離を強制するもので、近衛内閣が電力業界の反対を押し切って成立させた。この体制は基本的に敗戦後まで継続したが、GHQの占領時代(1950《昭和25》年11月)、マッカーサー書簡に基づき従来の電力管理法・電気事業法を廃止し、新たに公益事業令、電気事業再編成令を公布した。
これによって全国各地域は9電力(北海道、東北、東京、北陸、中部、関西、中国、四国、九州。ただし沖縄復帰後は沖縄を加えて10電力)に分割・再編成された。時代の要請でもあった電力供給安定を最優先とした、各地域内に同業他社の進出を許さぬ“発送電一体化”の強力な独占・保護体制が始まった。
●他国の原発事故にも影響されず
日本経済が高度成長時代を迎えると電力需要も急伸長を遂げ、特に首都圏を管内にもつ東京電力は日本有数の巨大企業に成長し常に財界の中心にあった。発電所を次々に建設すればそれに比例して利益が転がり込むシステムだから当然である。
発電エネルギーも水力から火力へ、火力も石炭から重油へと比重を移しながら発展してきたが、1970年代から原子力発電所が急激に増加した(原子力発電の始まりについては別に述べる)。アメリカのスリーマイル島原発で大量の放射能漏れ事故(1979年3月)があっても、ソ連のチェルノブイリ原発で大規模爆発事故(1986年4月)が起きても、日本では自信たっぷりに「技術的に優秀だから日本の原発は決して事故を起こすことはない」と繰り返し宣伝された。
これら過酷で痛ましい事故に学んで、法改正に関する論議も、技術的な見直しや改善も、日本ではほとんど行われなかった。
●原発一本槍を変更せず
米国ではスリーマイル島事故以後、原発の新設は見送られた。産業よりも安全のための規制を厳しくしたからである。チェルノブイリ事故で放射能飛散の被害を受けた欧州各国でも脱原発の気運が高まり、原発に頼らぬ再生可能エネルギーへの比重転換を模索し始めた。
太陽の光と熱、風力、天然ガス、その他を利用する政策が広く論議されだした。が日本だけは原発を「クリーンで安価」として、エネルギー政策の根幹に据えた。例えば一時期世界でトップクラスだった太陽光パネルの普及が、気付くと他の国に抜かれていた。
日本の電力会社が自然エネルギーを購入する条件を欧米諸国より厳しく、買い取り価格も安くして、太陽や風力の設備投資が採算的に引き合わぬように仕組んで、再生エネルギーの普及を遅らせたからである。
●独占ゆえの企業体質
企業の情報公開や説明責任が重要なのは、同業者間に競争相手があって世間(消費者)の信を失えば企業存立が問われるからである。その点、独占・保護状態の電力会社はそんな原理や風潮と無縁だ。これまで起きた事故もできるだけ隠蔽し、数字を少なく発表する。今も放射性物質の漏れ・拡散状況の発表はその時々の数字で、推移や累積には触れない。
電力の需要予測や供給可能の細目も電力会社だけが把握していて、夏の電力不足は必至というが、原発事故によって供給量が何%減ったのか公表がない。第一、原発がどの程度の電力供給をしていたのかさえ数字はまちまちである。震災直後は35%といわれ、時間が経つにつれ比率は減り、批判派は点検中で停止している分を差し引くと17〜18%と主張する。
各電力会社ごとの「需要」と「供給」が示されるが、そのさなか、足りないはずの東京電力が東北電力や関西電力に電気を融通しているという摩討不思議な事実が報告されても、相変わらずメディアは「節電は美徳」と叫び続けている。
●“傍若無人の思想”完成
国民に吹聴するだけでなく、発信者もそれを心から信じる段階になると、神話も臨界状態に達する。不敗や安全の対象は国民の生命財産でなく、自らの組織とシステムを守る堅牢なバリヤー(防壁)が完成したと錯覚する状況になる。
傍若無人(傍らに人なきが如し)思想の完成である。“負ける”や“万一の事故”は念頭から完全に消えているから、実際にそんな事態になった場合には正に“想定外”で、備えや対処方法が皆無だから手の打ちようもない。すべてが後手・後手になるか、パニック状態になってしまうというのが、原発被災地住民には申し訳ないが、3月11日以来の政府や東電の基本的な姿である。
●“刷り込み”現象からの脱却を
1973年ノーベル生理学医学賞を受賞したオーストリアの動物行動学者=コンラート・ローレンツが明らかにした“刷り込み(イン・プリント)”という研究がある。生まれたばかりの動物の仔や鳥の雛は、初めて目にする「動くもの」を自分の親と認識し、以後もずっと偽りの親を追い続ける、というものだ。
この現象に似て、今もなお、日本は島国でエネルギー源に乏しい。自然エネルギーは供給が不安定で心許ない。脱原発に踏み切ると却って高くつく─という“原発安全神話”の延長線論議がまだ唱えられているし、「想定外の巨大津波さえなければ、原発は安全だ」という破綻調懐メロも聞かれる。
原発利益共同体が、揺れながらも巻き返しを図っている。だが無知のまま誤った親に従う生き方は、果たして正しいだろうか。多様・多彩な刷り込み現象から脱却して、人間の暮らしや環境にとって大切な、普遍的で持続的な安心・安全とはどうあるべきかを、日本国民は今こそ真剣に考え、学び直すチャンスではあるまいか。
(つづく)
*3回完結の予定
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