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遠く忘れ去られたような日が、「記憶すべき日」として再び意味を持つことがある。きょうは、そういう日かもしれない▼54年前の1957年8月27日午前5時23分、茨城県東海村の日本原子力研究所第1号実験原子炉が臨界に達し、日本で初めて「原子の火」がともった。「第三の火」とも呼ばれた。「次世代の希望の熱源」と位置づける意図があったのだろう▼同年9月18日の「原子炉運転の儀」では、正力松太郎・原子力委員長がスイッチを押した。招待客には歌人佐佐木信綱の歌が入った記念扇子が配られた。そこには、<人の力 原子の力 相合ひて/生まれむ未知の世界を思ふ>と詠まれていた(木村繁「原子の火燃ゆ」プレジデント社)▼核の「種火」は、いつしか54基もの原発に受け継がれた。今年3月、そのうちの4基が壊滅的事故を起こし、政府試算で広島原爆168個分もの放射性セシウムがばらまかれた▼きのう、福島第1原発3キロ圏内の住民が初めて一時帰宅した。が、高汚染地域の人たちは、今後も長く故郷を追われることになるという。<生まれむ未知の世界>が、かくも残酷なものだったとは▼九電に続き北電でも「やらせメール」問題が浮上した。隠蔽(いんぺい)やデータ改ざん、やらせ…。「安全神話」は何ともいかがわしい行為に支えられてきた。もう、いい。「第三の火」には退場していただこう。2011・8・27
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/314443.html
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