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福島第1原発:住民に怒り、不信感…警戒区域の一部長期化
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110823k0000m040089000c.html
毎日新聞 2011年8月22日 21時37分(最終更新 8月23日 0時04分)
東京電力福島第1原発事故で立ち入りが禁止されている警戒区域(20キロ圏内)について、放射線量が極めて高い地域の規制が長期間継続される見通しとなった。「事故さえ収束すれば故郷に帰れる」と信じて避難生活を続ける住民の間に落胆や怒りが広がり、地元自治体は「なぜ事前説明がないのか」と国への不信感を募らせた。【伊澤拓也、島田信幸、藤沢美由紀】
「わたしら年寄りにはもう何十年もない。一日も早く故郷に帰って、ゆっくりしたいだけなんだが」。福島市内の仮設住宅で、土田(どだ)君子さん(77)が深いため息をついた。自宅は第1原発から約5キロの双葉町長塚地区にあり、文部科学省が19日に公表した年間推定積算量は近くの測定地点で172.4ミリシーベルト。避難の基準となる年間20ミリシーベルトの約9倍にあたる。
土田さんは被災後、避難所や県外の息子たちの家を転々とし、2週間前にようやく仮設住宅に落ち着いた。原則2年とされる入居期限が来た時は自宅に戻る時と信じてきた。夫の郁夫さん(77)は毎日のように我が家に帰る夢を見るという。
双葉町の鵜沼(うぬま)友恵さん(36)は埼玉県加須市内の雇用促進住宅で暮らす。自宅は第1原発から約2.6キロ。「覚悟はしていた。帰れるかと期待しては裏切られることが続いてきたので、最悪の事態を想定しないと、心が持ちません」と険しい表情を浮かべた。
双葉町ではパート社員として食材の配送や営業をしていた。「地元で子どもを育て、自分も仕事を続けていく生涯設計が全部ダメになった」。しかし、生まれ育った町や海への思いは割り切れるものではない。「せめて年に1回くらいは家に帰れたら……」
一部地域の立ち入り禁止継続を打ち出した政府の対応を、福島県は冷静に受け止めている。災害対策本部の職員は「これまでのデータでも原発周辺では毎時50マイクロシーベルト以上の信じられない数値が出ている。他の区域で行っている高水圧洗浄や表土除去では歯が立たず、家を取り壊すなど徹底的な除染が必要で、元通りの町並みを残したまま帰還するのは困難」との見方を示し、「県も自治体も『短期間には帰れない』と薄々気づいている。誰かが宣言する時期に来ていたのでは」と話した。
だが、地元自治体からは「またも国は頭越しか」との声が上がっている。全域が警戒区域となっている大熊町ではこれまで実施されてこなかった半径3キロ圏内への一時帰宅が26日から始まるが、同県会津若松市に移転した町役場には22日、「一時帰宅が最後になるのか」などの問い合わせが相次いだ。担当職員は「国から事前の調整がなく、何も説明できない」と憤った。
渡辺利綱町長によると、細野豪志原発事故担当相が20日に3キロ圏内を視察した際、除染のモデル地区を作るよう依頼したところ、細野担当相は「全力で取り組みます」と答えたという。渡辺町長は「一度も除染作業をしないで『帰れません』では住民が納得しない。政府に住民説明会を開くよう求めたい」。双葉町の井戸川克隆町長も「住めなくなると決断する前に、土地の放射性物質の除去などやるべきことがあるのでは」と国との話し合いを求めた。
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