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「将来的に原発依存率を徐々に下げ、新エネルギーの割合を高めて行く」
東日本大震災に伴う福島第一原発事故とその後の節電キャンペーンを受け、程度の差こそ在れ、今後の我が国の電力・エネルギー政策についての世論と識者の見解の大勢は、概ねこの範疇に収まるだろう。
問題は具体的その方策と、タイムスケジュールをどう描くかだ。
論点は次の3点である。
●少なくとも暫くは稼動させる原発の安全性を、どう担保するのか。
●原発を、最終的には廃止するのか、存続させるのか。
●新エネルギーへの費用負担をどう賄い、機器輸出等のメリットとバランスさせるか。
◆現行の原発の安全性◆
当面稼動させる原発の安全性を担保するには、ストレステストも必要だろうが、それより何よりグダグダの原子力村の体制一新、体質激変が不可欠である。
漸く来年4月に向け、原子力安全・保安院を経済産業省の下から出し、原子力安全委員会と統合し、「原子力安全庁」(仮称)として環境省の外局とすることが政府内で決まったようだが、倒錯した組織体制を正常に戻すこのような当然のことは即時に行うべきだ。
加えて、経産省、保安院、安全委員会、東電の歴代幹部に場合によっては刑事罰を含む何らかの相応のペナルティーを加えて一罰百戒としなければ、たとえ組織を改変したとしても、予見出来た津波や電源喪失への対策を怠っていた無責任体質は到底改まるものではない。
また、軍事作戦で言えば、ストレステストが図上演習だとすれば、防災訓練は実地演習である。
今回の原発事故で電源車が到着したがケーブルの長さが足りない、プラグの形態が異なり接続が出来ない等の初歩的なミスが重なったことを考えれば、「原子力安全庁」の発足を待たずに、第三者による複数の想定事故シナリオを基にした実地訓練を直ちに繰り返し行うべきだ。
なお、このような原子力行政を行ってきた自民党の政治責任と共に、特に初期対応に重大な疑義のある菅首相、情報の意図的隠蔽を図った枝野官房長官等については、ずばり刑事責任が問われるべきだ。
枝野氏等の場合、パニックを起こさせないという目的(ある意味、「未知との遭遇」「ET」世代の発想とも言える)があったが、それと被曝被害との軽重が裁判の場で明らかにされるべきだろう。
以上のような最低限の事を行わずに、現行の原発の安全性は担保されまい。
◆将来の原発廃止か?◆
少なくとも現行型の原発は、国内では政治的に新設する事が不可能と言われており、最新の北海道の泊原発を最後に最長40年で引退する事になる。
一般論で言えば、エネルギー源は多様であった方が当然ながらエネルギー安全保障に資する。
また、安全のために、電気料金がたとえ現行の2倍になっても、それだけ取れば絶対的に現代生活が成り立たない訳ではない。
しかし、現行でも韓国(政府補助があるにせよ)の3倍と言われる電気料金が更に値上がりし、エネルギーコストが諸外国と比べ高く成り過ぎると産業空洞化を招いてしまう。
現行式の原発に代えて、万が一の事故時の放射性物質汚染が、現行原発の1000分の1とも言われる「トリウム式原発」、緊急時には水没させ核反応を止めるという「地下式原発」もしくは両者の組み合わせが、政治家を含めた原子力関係者から提唱されている。(ネガティブな方向からの検証は、まだ不十分である)
一方、新エネルギーとしては、太陽光、太陽熱、風力、波力、深海水温差、地熱、オーランチオキトリウム等のバイオ、メタンハイドレード等がマスコミにも盛んに取り上げられるようになっている。
また当然ながら、既存の火力発電、水力発電が予見し得る将来に渡って大きな比重を占める。
原発は、神でもなければ悪魔でもない。
しかし、その使い方、運用の仕方により、神にも悪魔にも成り得る。
原発も太陽光等の新エネルギーも、結局、生活・経済のための道具であり手段であり、安全性とコストの総合力でどれが優位かが問われる。
今後のエネルギーのベスト・ミックスは、将来の原発全廃も含めた選択肢の中で安全性(具体的には、事故発生確率及び、致命的な事故に至ったときの最大被害規模)、生産コスト、エネルギー安全保障の3点から国民的議論の下、決められるべきだ。
◆新エネルギーへの費用負担◆
この中で、新エネルギーの生産コストと費用負担が取分け焦点となるだろう。
ドイツの例を見ると、再生可能エネルギーの高コスト電力での経済的デメリットを、風力発電装置、蓄電装置、スマートグリッド等の生産輸出で補いバランスさせているスキームとなっている。
オバマが考えているのも、これに電気自動車等を加えた図だ。
中国は安い人件費で太陽光パネル等の輸出大国となる事を目指しており、半ばそれを実現させている。
日本もこれらを研究し、緻密に計算して対処し、伍して勝ち抜かねばならない。
でなければ、新エネルギーへのシフトは、スペインの太陽光発電政策の破綻のように頓挫し成り立たない。
そのためには、将来、装置やシステムが国策的輸出製品に成り得る種類の再生可能エネルギーには電力買取り価格を当初は高めに設定し徐々に逓減させて行く等の戦略的政策と、国産装置使用以外には電力買取りのメリットを付けない等のシビアな対応が必要だろう。
また、再生可能エネルギー発電の全量買取り制度導入と平行して、発送電分離による競争原理で電気料金を下げる事は必須である。
なお、新エネルギーとCO2削減等の環境問題は表裏一体だが、両者は微妙にズレがある。
例えばCO2の地中閉じ込め技術は、環境対策には役立つが国のエネルギー安全保障には役立たない。
一方、メタンハイドレート(新エネルギーに位置付けるかどうかは別にして)は、国のエネルギー安全保障には役立つが環境対策には役立たない。
勿論、両方を兼ねるものを追求するのが一番よいが、CO2等の温室化効果ガスによる地球温暖化説には異論が出されていることを考えれば、今後国際社会の中で梯子を外される恐れがあり、ポジションを環境ではなく、新エネルギー寄りにシフトさせておく必要があろう。
ところで、菅首相が漸く退陣を決めたようだ。
筆者は、菅氏は只で辞任することなく、最後は城に火を放って少数の近衛兵だけ従えて早馬で城抜けする、即ち脱原発解散とともに脱党、脱原発新党を立ち上げて、郵政選挙を真似た本人のイメージする天下分け目の関が原をやりたいのだろうと見ていたが、北朝鮮関連の献金問題でそれどころではなくなったのか。
これにより、新エネルギー政策を比較的冷静に議論する余地が出来た事は、国民にとって良い事である。
民主党代表選挙及びそれに続く首班指名は、増税翼賛派 VS 復興成長派の戦いになる様相だ。
それと共に、各候補者は、合理的で現実的かつ具体的な、特に収支計算と日付入りの総合エネルギー政策を打ち出し競うべきだ。
東日本大震災と福島第一原発事故で大きな打撃を受けた日本が浮上する契機は、そこにある。
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